
全周約220kmの琵琶湖を16回に分けて一周する「ぐるり琵琶湖一周ウォーク」が開催されていました。昨秋9月、瀬田の唐橋から出発したこのツアーは、今回が8回目にあたります。湖北、奥琵琶湖を巡る回につまみ食いで参加してみたいと思い立ち、申し込んでいたのです。まさかの体調不良に見舞われコンディションづくりに慌てましたが、当日の朝の気分次第と決めてのぞみました。前夜は早めに就寝、ぐっすり眠れたようでした。
20日、午前8時35分京都駅八条口を出発。名神高速道路の集中工事による片側1車線の通行規制で、滋賀県長浜市湖北町にある「道の駅湖北みずどりステーション」到着は予定よりも遅れました。到着後、先ずお弁当とお茶でお昼です。お豆さんのおこわがおいしく、ご飯の量が多いのも「しっかり食べてしっかり歩けよ」という励ましに感じます。実際、案内書にあった12.5kmという今回の行程は、正しくは16km弱だと行きの車内で聞かされ愕然。したがって5時間前後このあと歩かねばならないことになります。
眼前に竹生島が浮かぶスタート地点を、ウォーキングリーダーのあとについて12時40分に出発。


延々と鹿よけの防護柵が施され、山藤や桐の花が咲く山沿いの道で片山集落を抜け、「西野水道公園」で一休み。「西野水道」とは、江戸時代、余呉川氾濫に苦しんでいた村人を救うために、古生層の岩盤から成る山塊をゲンノウとノミだけで琵琶湖へ水抜きのために掘削した、全長220m、幅1~1.5m、高さ1.6~3mの水路です。5年の歳月をかけ、私財を投じたのが西野村充満寺住職・西野恵荘だったと説明がありました。


1時40分、いよいよ賎ヶ岳リフト乗り場までの山越えの道に入りました。息が切れるひどくきつい山道、登っては休憩を繰り返し尾根に出るまでに1時間20分。起伏に富んだ尾根づたいを徐々に下ってリフト乗り場まで、山越えには2時間ほどかかりました。



山を越え、「賎ヶ岳リフト乗り場」で小休止後、4時に出発。あと7キロ弱で琵琶湖最北端の塩津浜に到着です。旧トンネルを抜けて湖岸へ出たあとは、左手に琵琶湖を見ながら「飯浦(はんのうら)」へ、そしてゴールの「塩津浜」へと進みます。
飯浦から広々とした湖が広がり竹生島の後方に周囲よりは小高い長命寺山までが望めます。進んできた山中は明るい緑が湖面に映えています。


この山の向こうに余呉湖が広がるのです。

湖岸を作る山の切り立ちも美しく、水鳥が飛び立つ音を立てます。湖を抱きかかえて静かに日が傾いてゆく奥琵琶湖でした。

塩津浜ゴールは5時40分。名神の工事による渋滞を避け、湖西回りで6時前帰途につきました。
季節ごとに表情を変えるといわれる琵琶湖、この万緑の侯に訪れることができたのも嬉しいことです。しかし奥琵琶湖は冬、いつか冬にもう一度訪ねることができたら、幸せです。
言葉を失うほどの絶景を見せて頂く有り難さを実感しています。
延々5時間。口で言うのは一言ですが、実際に一歩一歩を重ねられたご苦労とそのファイトに改めて敬意と拍手をお贈りしたいと思います。
そして、このような素晴らしい自然の織りなす美観が、汗を流すkeiさんに大きな大きな慰めを与えてくれたことでしょう。
居ながらにして、奥琵琶湖の神秘や歴史の中に身を置かせて頂ける幸せを噛みしめています。
琵琶湖最北端の塩津浜、湖面に浮かぶ竹生島。
小谷山・賎ヶ岳など天下統一を目前にした歴史を、この足で歩くような地名の数々。
素晴らしい写真を添えて目の前に展開させて頂き、本当にありがとうございます。
どうか、お疲れになった身体のケアーをお忘れなく、普通の日々を早く取り戻して下さい。そしてまた次への目標探しですね。
どうぞお大事に。
それにしても琵琶湖の大きさに今更ながら驚きました。
今日は、快い疲れを休めておられることでしょう。
教えていただけ、気持ちが澄んだ琵琶湖のごとく
大きくなるのを感じました。
keiさんのバイタリティーに敬服します。
奥琵琶湖を囲む歴史も興味ぶかいです。
ほんとうに有難うございます。
後のお身体のケアもお大事にね。
何もかも忘れる事の出来る一瞬ではないでしょうか。
私がまだ10代の頃、その人は絵の勉強のため東京の親戚に身を寄せていました。幼いお付き合いが始まり楽しい時が過ぎて、ある時その人の父親が病気になり滋賀県へ戻って行きました。そのまま上京する事はなくお互いに別の人生を歩き出し、その後人伝に40代で亡くなったことを知りました。琵琶湖の近くに住んでいたようです。
3年前、延暦寺参拝の折私の「思い」を湖水に置いてきました。keiさんのお写真を拝見してつい、思い出に走ってしまいました。お許しを。
尾根にも続くアップダウンの中で開けたこの風光は、息を呑む美しさで迫ってきました。
心地よい汗に一変でした。
日暮れるのを感じながら目にした飯浦での穏やかにも静まった湖面の美しさ、言い尽せません…。
やはり何か誘われます。
多くの文人が最後は訪れるというのが菅浦だとか、今後が楽しみです。
ようまあ16キロも歩いたものだと振り返ります。
日暮れる頃から、奥琵琶湖の色みも深みも変化を見せ始めている気がしました。
長命寺山(近江八幡市)からずっと左手には鈴鹿の山並みも望める広がりも素晴らしいものでした。
塩津のかつての賑わいは面影もないほど埋め立てられているようです。
菅浦の地へと、ぜひ歩いてみたくています。
まさに湖岸を歩くように奥琵琶湖、飯浦を歩けた幸せ!
最後7キロは疲れも感じましたが、日が暮れ始める時のわずかな変化を湖面に見ながら、
堪能して歩きました。
尾根づたいに突然開けた琵琶湖の展望には感動しました。
がんばりましたわ。前日までのぐずぐずがウソのような一日でした。
甘酸っぱいような切ない思い出がおありですね。
梅原猛さんの『湖の伝説-画家・三橋節子の愛と死-』、
若い頃贈られた一冊で、湖北の地への関心の始まりとなったような気がします。
これほど琵琶湖の奥まできたことがなく、まして歩いて、これほど素敵な風景に出合えた一日、忘れられないでしょう。
菅浦への興味が続きます。
瀬田の唐橋・長浜・竹生島・西野水道・賤ヶ岳・小谷城・・8時45分出発5時40分ゴール大変なウォークですね。
みんなどこかで聞いたことのある地名です。この際改めてネットで調べて見ることにしました。
瀬田の大橋=日本武尊の時代、丸木舟を横に並べ藤や蔦などでからめてつくられたのが 最初、京都防衛上重要な橋で、古来この橋をめぐって幾多の戦いがあった・・・いや~瀬田の唐橋の項だけでも読むのが大変です。でもなんか楽しめそうです。
その前に興味深い写真をもう一度ゆっくり鑑賞させて頂きます。
最初は10回、平均で22キロづつ。これでは女性が集まらなかったそうで、
16回コースにしたところ、最盛期の春には3000人からの参加者が集まったそうです。
今は他社との競争が激しく、大手には負けがちだとか…。
積雪量も南北では異なります。やはり大きなうみですね。
なかなかいけない湖北を歩く回に参加してみたいと思っているのですが…。
今日の都に近く、多くの武将が足跡を残しています。近江八景も素晴らしいと思います。見どころ多し、ですね。
汗をかいたぶん感動も大きかったと思います。