Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

小泉八雲のこと

2011-12-19 20:50:25 | 雑談
出雲に行く前、泥縄式に小泉八雲の本を読んだ。

八雲と言えば怪談が有名で、耳なし芳一や雪女の話は記憶していた通り。
それよりも日本に関するエッセイ、特に日本到着早々のエッセイが面白い。

八雲が日本にやって来たのは明治23年、1890年のこと。
すでに主要都市には鉄道が通り、お雇い外国人も大勢いただろうが、八雲が赴任した出雲はまだまだ昔の日本のままだった。そんな日本に八雲は恋をした。

意地の悪い見方をすれば八雲と言う人は欧米社会ではコンプレックスの塊だったと思われる。
イギリスでは差別をされるアイルランド人、しかもギリシャ人との混血、身長が低いことも欧米ではハンデになる。
それが日本に来てみれば日本の男は自分よりもさらに背が低く、イギリスとアイルランドの区別も普通の日本人にはつけようがない。
そんなところで「先生様」と持ち上げられれば誰だって悪い気はしないだろう。

しかしそんな中で八雲は西洋風をひけらかすことなく、和服を着、日本家屋に住んで日本人の心を理解しようとした。だから出雲の人たちにも愛され、八雲の日本に対する恋心は相思相愛になった。

現代の目で八雲のエッセイを読むと、確かに日本を美化しすぎているように思われて面映ゆい所もないではない。しかしさすがにジャーナリストだけあって歴史などに関する記述は正確だし、欧米人を対象に書いているのでわかりやすい。
そして何よりも近代化をすすめる日本への懸念が的を射ていて、今読んでも古臭さを感じない。

八雲と同じような感情を、現代の我々はたとえばブータンのような国へ行くと経験する。
我々が捨て去ってしまったものを残した昔の日本のように感じ、何も変わらないでほしい、などと思う。
しかしどこの国の人間にも便利さ、快適さを追求する権利はあるわけで、それを入手してしまった国の人間が他の国の人間にそれを否定することはできない。
ただ八雲のように外から美点を評価し、先に存在するかもしれない落とし穴を前もって知らせることは有効かもしれない。相手に聞く耳さえあれば。

出雲に行かなければわざわざ読もうとは思わなかっただろう小泉八雲、読んでよかった。


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コメント (2)
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