2月14日
呼子でイカを食べ、有田で焼き物を見て武雄で温泉に入って、あと佐賀県で有名なものは、ということで吉野ヶ里遺跡へ。
広くて疲れそうだとはじめは難色を示していた父親も、車いすが借りられるらしいと言うと行くことに同意したのは興味がなくはなかったのだろう。
朝ほぼ一番で行ってみると、広大な駐車場に車はちらほら。
冬場の平日午前ではそんなものかもしれないが、入口の建物はものすごく立派。
420円の入場料を払うと同時に車いすを借り、建物の前に伸びる橋を渡ると
周りを柵に囲まれた門があって、ここから先が集落の跡。
と言ってもこの遺跡公園はとても広い。
どこから攻めたものかと考えているとすぐに門のそばにいたお兄さんが声をかけてくれて、まずは園内バスで北墳丘墓まで行き、そこから歩いて戻ってくることを薦めてくれる。
そこで車いすごとこのバスに乗せてもらって
やってきたこれが北墳丘墓。
名前の通り、弥生時代の王や貴族が埋葬された墳丘で
内部は墓の跡が見えるようになっている。
埋葬の仕方ももちろん詳しく解説されていて、甕棺はなんだか宇宙ポッドのようだ。
この墳丘を下りて次にあるのは北内郭。
まつりごとの中心だったエリアと考えられていて、中央には大きな祭殿が復元され
中には王を中心に貴族が集まった場面や、巫女が神事を行っている場面が再現されている。
これはもちろん出土品から推察しての再現なのだろうが、やっぱり邪馬台国はここだ、と主張しているように見えちゃう。
神官とその従者の家もあるこの内郭には真新しい門ができていて、「これ、まだ作ったばかりなんです」と係りの人がやけにうれしそうに説明してくれるのがおもしろい。
さらにこの先にある南内郭は王や高い身分の人たちの住居があったエリア。
中央の広場の周りにいくつもの小屋が再現されているが
やっぱり興味があるのはどんなものを食べていたか。
ここは弥生時代の遺跡なのでもちろん稲作も始まっていただろうが、魚や貝などなかなか充実した食生活っぽい。
見張り台からは西の倉と市、さらに南の庶民のムラも見えるが、国営公園部分だけでも49ha、隣の県立公園まで含めると85haのこの遺跡は広すぎる。
しかし園内には大勢の職員がいてきれいに整備し、説明などもとても丁寧にしてくれるのはさすがお国の特別史跡。
これで420円の入場料は安すぎるくらいだ。
とどピーカンの気持ちの良い日差しを浴びながら出発点まで戻って、遺跡見学は無事終了。
入口の立派な建物内で解説ビデオなども見せてもらい、最後に売店を覗いてみると
広い売り場に商品がいっぱい。
しかし残念ながら売られているのは九州各地の土産物ばかりで、「吉野ヶ里グッズ」はおもしろいものがない。
一応ひみかちゃんとやよいちゃんというキャラクターもいるのだが、その使い方もいまいち。
こういうところもお国の仕事だろうか。
予想以上に楽しめた吉野ヶ里の後は九州新幹線の新鳥栖駅へ。
ここでレンタカーを返却し、列車を待つ間にお昼を食べようと思ったのだが、この巨大で立派な駅構内はがらんとして、コンビニが一つに立ち食いのうどん屋しかない。
仕方がないので大忙しのうどん屋さんで売っている駅弁を何とかゲット。
鳥栖名物の焼麦弁当はボリュームがあっていいけれど、駅の待合室で食べると列車内で食べる時ほどおいしく感じないのはなぜだろう。
そうこうしているうちに鹿児島行きの「さくら」がやって来た。
正面や外観はすっきりしているけれど割とふつう、秋田新幹線の「こまち」の方がかっこいいかも、なんて思いながら乗り込むと
まずはデッキ部分が漆のような黒でびっくり、客車内の壁の方は金色でこれにも驚いたが
座席の背やひじ置き、テーブルが木製、薄型でかっこいい座面がレザーとは、普通自由席なのにこの贅沢感はなにごと。
座り心地もいいし、さすがJR九州はすごい。
と喜んでいたら外の景色を眺める暇もなく、わずか1時間20分で鹿児島中央駅に着いてしまった。
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呼子でイカを食べ、有田で焼き物を見て武雄で温泉に入って、あと佐賀県で有名なものは、ということで吉野ヶ里遺跡へ。
広くて疲れそうだとはじめは難色を示していた父親も、車いすが借りられるらしいと言うと行くことに同意したのは興味がなくはなかったのだろう。
朝ほぼ一番で行ってみると、広大な駐車場に車はちらほら。
冬場の平日午前ではそんなものかもしれないが、入口の建物はものすごく立派。
420円の入場料を払うと同時に車いすを借り、建物の前に伸びる橋を渡ると
周りを柵に囲まれた門があって、ここから先が集落の跡。
と言ってもこの遺跡公園はとても広い。
どこから攻めたものかと考えているとすぐに門のそばにいたお兄さんが声をかけてくれて、まずは園内バスで北墳丘墓まで行き、そこから歩いて戻ってくることを薦めてくれる。
そこで車いすごとこのバスに乗せてもらって
やってきたこれが北墳丘墓。
名前の通り、弥生時代の王や貴族が埋葬された墳丘で
内部は墓の跡が見えるようになっている。
埋葬の仕方ももちろん詳しく解説されていて、甕棺はなんだか宇宙ポッドのようだ。
この墳丘を下りて次にあるのは北内郭。
まつりごとの中心だったエリアと考えられていて、中央には大きな祭殿が復元され
中には王を中心に貴族が集まった場面や、巫女が神事を行っている場面が再現されている。
これはもちろん出土品から推察しての再現なのだろうが、やっぱり邪馬台国はここだ、と主張しているように見えちゃう。
神官とその従者の家もあるこの内郭には真新しい門ができていて、「これ、まだ作ったばかりなんです」と係りの人がやけにうれしそうに説明してくれるのがおもしろい。
さらにこの先にある南内郭は王や高い身分の人たちの住居があったエリア。
中央の広場の周りにいくつもの小屋が再現されているが
やっぱり興味があるのはどんなものを食べていたか。
ここは弥生時代の遺跡なのでもちろん稲作も始まっていただろうが、魚や貝などなかなか充実した食生活っぽい。
見張り台からは西の倉と市、さらに南の庶民のムラも見えるが、国営公園部分だけでも49ha、隣の県立公園まで含めると85haのこの遺跡は広すぎる。
しかし園内には大勢の職員がいてきれいに整備し、説明などもとても丁寧にしてくれるのはさすがお国の特別史跡。
これで420円の入場料は安すぎるくらいだ。
とどピーカンの気持ちの良い日差しを浴びながら出発点まで戻って、遺跡見学は無事終了。
入口の立派な建物内で解説ビデオなども見せてもらい、最後に売店を覗いてみると
広い売り場に商品がいっぱい。
しかし残念ながら売られているのは九州各地の土産物ばかりで、「吉野ヶ里グッズ」はおもしろいものがない。
一応ひみかちゃんとやよいちゃんというキャラクターもいるのだが、その使い方もいまいち。
こういうところもお国の仕事だろうか。
予想以上に楽しめた吉野ヶ里の後は九州新幹線の新鳥栖駅へ。
ここでレンタカーを返却し、列車を待つ間にお昼を食べようと思ったのだが、この巨大で立派な駅構内はがらんとして、コンビニが一つに立ち食いのうどん屋しかない。
仕方がないので大忙しのうどん屋さんで売っている駅弁を何とかゲット。
鳥栖名物の焼麦弁当はボリュームがあっていいけれど、駅の待合室で食べると列車内で食べる時ほどおいしく感じないのはなぜだろう。
そうこうしているうちに鹿児島行きの「さくら」がやって来た。
正面や外観はすっきりしているけれど割とふつう、秋田新幹線の「こまち」の方がかっこいいかも、なんて思いながら乗り込むと
まずはデッキ部分が漆のような黒でびっくり、客車内の壁の方は金色でこれにも驚いたが
座席の背やひじ置き、テーブルが木製、薄型でかっこいい座面がレザーとは、普通自由席なのにこの贅沢感はなにごと。
座り心地もいいし、さすがJR九州はすごい。
と喜んでいたら外の景色を眺める暇もなく、わずか1時間20分で鹿児島中央駅に着いてしまった。
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