10月18日 続き
ホテル浦島からまた亀に送られて、JR紀伊勝浦駅へ。
ちょうどいい時間に特急くろしおがあったのでこれに乗ることにしたのだが、乗車券が240円なのに特急券が650円。
座席にはパンダの津波避難説明書だけが入っていたが、それも道理、線路は海岸ぎりぎりを通る。
眺めのいい路線もたった17分で新宮に到着。
このあたりは八咫烏のせいか、やたらにサッカーがらみの飾りが多い。
今夜の宿泊は駅前にあるビジネスホテル美郷。
便利な場所で一人泊4700円と大変に結構なのだが、部屋が猛烈にニコチン臭いのには閉口。
小さなホテルでは禁煙部屋と言うわけにはいかないのが残念。
部屋に荷物を置いたら地図をもらってすぐに外出。
駅前から延びるいささか寂しい商店街を抜けると新宮城跡。
その前をまっすぐ行くと
ちょっと味のある古い商店などがある。
駅前から徒歩15分ほどで目指す速玉大社に到着。
出雲のような太い注連縄が目立つ門をくぐり
那智大社よりも華やかな拝殿にお参り。鈴が変わっていてかわいい。
速玉大社を出たら右手に権現山を見ながらまた10分ほどテクテク。
赤い太鼓橋の正面にかわいらしい猿田彦神社があって、その先に神倉神社へ上る石段がある。
神倉神社は熊野の神様が最初に降臨したところ、ということで非常に興味をそそられるのだが
赤い鳥居の向こうはものすごい石段。不揃いの石段はそれぞれ結構高さもあり、磨耗した上に苔も生えていてヒヤヒヤ。途中まで登ってはみたものの、ヘロヘロになって降りてきたおばさまはまだまだ先が長いと言うし、暗くなってきたのでなにより下りが怖い。
初日から足でもくじいた日には目も当てられない、とまた自粛したが、やっぱり無理してでも登ればよかったか、と降りてからちょっと後悔。
ちなみにこの石段、地元の高校野球部が何往復もしてトレーニングをしていたが、毎年2月には松明を持ってこれを駆け下りるお祭りがあるそうで
熊野三山協議会のHPより
あれを暗い中駆け下りるなんてとても信じられん。
ここから駅まではまた15分ほどで、これで町はほぼ一周。
最後にホテルの窓から見えた中国風の門を見に行ってみると
ここは徐福公園。
徐福とは秦の始皇帝に派遣され、不老不死の薬を探しに日本に来たと言う伝説の人物だが
ここにはなんと、徐福の墓がある。
江戸初期に初代紀州藩主が作っちゃったそうだ。
ここを出たのが5時少しすぎで陽も落ちた頃だが、その頃にはまわりの店もみんな店じまいで、地方の夜は早い。
そんなこともあろうかと、今夜の夕食はホテルに入る前に隣の徐福寿司で調達済み。
いただいたのはさんま姿寿司と玉子巻。
さんまは尾頭付きの丸々一本だが、背開きで見事に骨を抜かれている。さんまの塩加減もご飯の酢加減も柔らかくて、これはおいしい。
玉子の方は甘いのかと思ったら意外や出汁巻で、中もかんぴょうだけかと思ったらゴボウも巻かれているので歯ごたえがある。こちらは朝食においしくいただいた。
こちらの店もホテルに帰った時には案の定、店じまいを始めていた。
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ホテル浦島からまた亀に送られて、JR紀伊勝浦駅へ。
ちょうどいい時間に特急くろしおがあったのでこれに乗ることにしたのだが、乗車券が240円なのに特急券が650円。
座席にはパンダの津波避難説明書だけが入っていたが、それも道理、線路は海岸ぎりぎりを通る。
眺めのいい路線もたった17分で新宮に到着。
このあたりは八咫烏のせいか、やたらにサッカーがらみの飾りが多い。
今夜の宿泊は駅前にあるビジネスホテル美郷。
便利な場所で一人泊4700円と大変に結構なのだが、部屋が猛烈にニコチン臭いのには閉口。
小さなホテルでは禁煙部屋と言うわけにはいかないのが残念。
部屋に荷物を置いたら地図をもらってすぐに外出。
駅前から延びるいささか寂しい商店街を抜けると新宮城跡。
その前をまっすぐ行くと
ちょっと味のある古い商店などがある。
駅前から徒歩15分ほどで目指す速玉大社に到着。
出雲のような太い注連縄が目立つ門をくぐり
那智大社よりも華やかな拝殿にお参り。鈴が変わっていてかわいい。
速玉大社を出たら右手に権現山を見ながらまた10分ほどテクテク。
赤い太鼓橋の正面にかわいらしい猿田彦神社があって、その先に神倉神社へ上る石段がある。
神倉神社は熊野の神様が最初に降臨したところ、ということで非常に興味をそそられるのだが
赤い鳥居の向こうはものすごい石段。不揃いの石段はそれぞれ結構高さもあり、磨耗した上に苔も生えていてヒヤヒヤ。途中まで登ってはみたものの、ヘロヘロになって降りてきたおばさまはまだまだ先が長いと言うし、暗くなってきたのでなにより下りが怖い。
初日から足でもくじいた日には目も当てられない、とまた自粛したが、やっぱり無理してでも登ればよかったか、と降りてからちょっと後悔。
ちなみにこの石段、地元の高校野球部が何往復もしてトレーニングをしていたが、毎年2月には松明を持ってこれを駆け下りるお祭りがあるそうで
熊野三山協議会のHPより
あれを暗い中駆け下りるなんてとても信じられん。
ここから駅まではまた15分ほどで、これで町はほぼ一周。
最後にホテルの窓から見えた中国風の門を見に行ってみると
ここは徐福公園。
徐福とは秦の始皇帝に派遣され、不老不死の薬を探しに日本に来たと言う伝説の人物だが
ここにはなんと、徐福の墓がある。
江戸初期に初代紀州藩主が作っちゃったそうだ。
ここを出たのが5時少しすぎで陽も落ちた頃だが、その頃にはまわりの店もみんな店じまいで、地方の夜は早い。
そんなこともあろうかと、今夜の夕食はホテルに入る前に隣の徐福寿司で調達済み。
いただいたのはさんま姿寿司と玉子巻。
さんまは尾頭付きの丸々一本だが、背開きで見事に骨を抜かれている。さんまの塩加減もご飯の酢加減も柔らかくて、これはおいしい。
玉子の方は甘いのかと思ったら意外や出汁巻で、中もかんぴょうだけかと思ったらゴボウも巻かれているので歯ごたえがある。こちらは朝食においしくいただいた。
こちらの店もホテルに帰った時には案の定、店じまいを始めていた。
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