Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

ミャンマー周遊 17 カックー

2013-04-06 11:07:53 | 東南アジア
1月23日

ゴルフリゾートを出て山の上にあるタウンジ―の町へ。
シャン州の州都ではあるが、稜線上に細長く伸びる街はあまり特徴のない田舎町と言う感じ。

今日はタウンジ―の南にあるカックーと言うところに行くのだが、まずは街中にあるパオ族のオフィスに立ち寄る。
  
 パオ族地域にあるカックーへはパオのガイドなしでは立ち入ることができないのだ。

待っていると民族衣装に着替えた女性ガイドと、見習いらしい若い男の子がやって来て我々の車に乗り込んだ。
女性ガイドはなかなか上手な英語を話し、「私の名前はナンシーです」というので英語名を名乗るのかと思ったら「ナン」はMsにあたる言葉なので名前は「シー」なのだった。

緑の田んぼや畑が多く、日本の田舎を思わせるような景色をしばらく行くうち、特徴的な家屋が見えだした。
やがてまるで公園のように生垣が整えられた一角に車が止まり、「パオ族の村を見学します」と降ろされた。
 
家の壁は竹で編まれ、屋根はトタンが増えているようだが萱のような草を丁寧につないで葺いてある。
庭で作業中だったおばあちゃんの家にあがらせていただくと
 
1階は作業や物置のためのスペース、居住スペースは2階にあって囲炉裏まで木の床の真ん中にある。
 どの家も小さな窓がいくつも開いていないが、壁が隙間だらけなので思ったほど暗くない。
タイやラオスでもみかける、いかにも東南アジアらしい家だ。

村の中には学校などもあり、規則正しく配置された家々の間の道にはゴミ一つ落ちていない。
村人はもちろん本物だろうが、おそらくこの村は観光客を意識した「モデル村」と言ったところなのだと思う。
カックーへのガイド義務といい、オフィスの壁に写真がかかっていたパオ族のリーダーはなかなかやり手と見た。

さらに田園風景を走り、2時間ほどで目的地に到着。
 
12世紀以来、2500本もの仏塔が建てられたというカックー遺跡。しかし全体の印象としては思っていたよりずいぶんコンパクト。
 
それも道理、中央にこそ広い通路があるが、その両脇にはびっしりと仏塔が立ち並ぶ。
 
一見どれも同じように見える仏塔もよく見ればちがいがあり、頭の飾りがすっとじょうご型のものはシャン、釣鐘型はビルマ、釣鐘に耳が付いたものはパオ・スタイルだとか。また中には尖塔のない仏塔もある。
 
仏塔群の中央にはひときわ高く真っ白なパゴダが建ち、その始まりは紀元前ともいわれるらしいが、現在の形に修復し中に涅槃像を置いたのはシンガポールの仏教徒らしい。

実際、遺跡と呼ばれ、12世紀以来の歴史というわりには古さを感じさせる仏塔は少ない。
 中には外側の漆喰がはがれ中の煉瓦がむき出しになっていたり、頭の金属飾りがないものもあるが、ピンダヤの洞窟寺院同様、ここも次々に修復が「寄進」され、そのスピードはこの遺跡の名前が知られるとともにさらに加速しているとのこと。
寄進を拒むわけにはいかないし、かと言って修復されすぎては歴史的遺跡に価値を感じる海外からの観光客にはそっぽをむかれる。難しいところだ。 

さらに仏塔群を覗いて回れば、祠の中に小さな仏像が安置されていたり、どの時代の流行だったのか、小さな塑像をたくさんつけた仏塔があったり。
  
この塑像が素朴でかわいくて結構ツボ。


カラフルに彩色された仏塔の両脇に刻まれているのはパオ族の始祖。
 
龍の母親と超人の父親の末裔たちは村では今でも民族衣装を着ているが、このガイドさんたちにとっては仕事の制服。紺一色のスマートな衣装だが、本式の物はウールで高価なんだそうだ。

規模にはちょっとがっかりしたが、迷路のように立ち並ぶ仏塔の間を先端の飾りが風でチリチリ鳴るのを聞きながら歩くのは気持ちがいい。

一回りした後は遺跡の脇にある小さなマーケットでお昼。
 
 本日も飽きずにシャン・ヌードル。

食後は暇そうに昼寝などしているおばちゃんたちの露天を拝見。
  
 
観光地とは言え売られているものは香辛料やニンニク、豆類にお茶など日常的なものばかり。

我らがガイドさんが一番年かさに見えるおばあちゃんのところでお茶や香辛料を買っている。聞けば「お客さんがいなそうだから」と人助けの意味らしい。
なるほど、と教えられてこちらもターメリックなど購入。お釣りはないので出したお金分を買う。と言っても50円、100円の世界。

カックー観光の後はタウンジ―の町に戻り、パオ族のガイドさんたちと一緒にシャン州文化博物館へ。
 田舎博物館そのものだが、入場料を2ドルも取り、内部は撮影禁止。
1階にはシャン州だけではなくミャンマー各地の民族衣装を着たマネキンが並び、2階にはアウンサン将軍を始め、ミャンマーおよびシャン州の英雄たちの肖像画や写真が並べられている。
アウンサン将軍は少数民族との融和を約束したので今でも人気が高いようだが、やはり人気の娘の方は少数民族問題までは気が回っていなそうなのが残念。

パオ族のオフィスで地元ガイドさんたちと別れ、タウンジ―の町を後にした。


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ミャンマー周遊 16 タウンジーの宿

2013-04-01 16:57:19 | 東南アジア
1月22日 続き

ピンダヤから来た道をシュエニャウンまで戻り、そこから東のタウンジ―を目指す。

シュエニャウンまで来ると同行者が声を上げた。
 おお、鉄橋を列車が渡っている!
 
喜んで写真を撮っていると運転手氏が「このちょっと先で待っていればまた列車が戻って来るよ」と車を動かしてくれた。
 果たせるかな、今度は列車が鉄橋をくぐってやってきた。
ここは線路がループになっていて、列車はここで来た方向とは直角の方向へ進むのだ。
さすがベテランのお父さん、わかってらっしゃる。

この列車にはAsiaxさんが乗車していて、鉄道は決して嫌いではないので機会があれば乗ってみたいと思っていた。
ところが旅行会社は言葉を濁すし、現地ガイドたちも「列車は遅いし、乗り心地が悪いです。乗るのはよほどお金のない人だけです」とはなはだ評判が悪い。
見れば確かにボロボロの車両。しかしミャンマーの鉄道は線路や車両を整備すればとてもいい観光資源になりそうだ。どこか投資してくれないだろうか。

 やがて見えてきたタウンジーは山の稜線に伸びる街。

その山の中腹には10数年前にドイツ人が始めたというワイナリーがある。
 
稼働はしていなかったが小さくて近代的な設備を見せてもらい
  
ヨーロッパ式のブドウ畑をながめながら
  
同行者の試飲をちょっとなめさせてもらう。飲めない自分が言うのもなんだが、インドや中国のワインよりずっとおいしく、お味は決して悪くない。
イタリアだかスペインだかからの団体さんも大いに盛り上がっていた模様。

このワイナリーにも宿泊棟を作っていたが、残念ながらまだ完成していないのでまた山の麓へ。

 次に車が止まったのはこちらのローカル食堂。
ここにこの地方の名物料理があるというので立ち寄ったのだが、どうもガイドさんが食べたかったよう(笑)。
 
洗面器に入れられて並んでいたのは湯葉やクズ、高野豆腐のようなものが8種類ほど。注文するとおねえさんがこれらを次々にはさみで切り、青菜やもやしと一緒に茹で、タレであえてくれる。

ホテルに持ち帰った出来上がりはこちら↓
 マーラーヒンと言うそうで、戻した様々な乾物類の食感が面白くておいしいが、これは辛い!

ついでにこちらはヤンゴンのスーパーで見つけたマーラーヒン・セット。
 乾物類とタレ、ピーナッツ粉が入っているので、あとは野菜を加えるだけで現地の味が再現できる。しかしタレは半分入れただけでも十分辛いので、辛いものが苦手な方はご注意あれ。

 
ニンニクがプンプン匂うマーラーヒンの袋をぶら下げて、チェックインした今夜の宿は Aye Thar Yar Golf Resort
大きな木も植えられた広い敷地の中にたくさんのコテージが散在する。
 

宿泊したのは1棟のコテージに2部屋あるタイプ。内部はシンプルだが広くて快適。 

食堂はフロントのあるこちらの建物の奥。
 
こちらもとても広く、実は写真の倍もあるのだが、客は我々1組のみ。
従業員も退屈していたのか、我々が持ちこんだ屋台料理をすぐに温めなおしてくれたのには恐縮してしまった。
 
この食堂のチキンや魚のカレーも思いのほかおいしく、デザートまで注文したが、とうとうほかのお客は現れなかった。

さらに翌朝食堂へ行くと、もう1組食事に現れたのはジャパニーズ・ビジネスマン3人組だけ。
 ヒントゥという米粉と野菜の粽をおいしくいただいたが、この立派なリゾートの経営はどうなっているのかと余計な心配をしてしまう。 
  


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