今日は、放送大学の単位認定試験の1日目だった。本来なら、先学期に受験を見送った、「ヨーロッパ文学の読み方 -古典篇(’14)」と「現代哲学への挑戦(’11)」の2科目だったが、前者のみ受験して、後者は取りやめた。
「現代哲学への挑戦(’11)」を取りやめた理由は、自分の趣味と全く合わなかったからだ。かって、ハイデガー研究者の故木田元さんが言ったように、そもそも哲学というものは、実生活ではまったく役に立たないものだ。誰がどんなことを言ったとしても、所詮は科学的な見地に基づいてもいないたわごとに過ぎないとしか思えず、それがすばらしいなどとは、とても感じられない。
ところが、本書を流れるスタンスは、明らかに、哲学するということは現代人にとってマストに近いくらい有益だというものである。過去の試験問題を見ても、解答は教科書の考えに沿って書かなくてはならないし、持ち込みも不可なので、誰がどんなことを言ったかもいちいち記憶しておかないといけないのだが、とてもそんな暇はない。この試験、いったい記憶力を試すのか、それとも思考力を試しているのか?
もし思考力(哲学する力)を試すということなら、テキストは持ち込みにして、誰誰のこの考え方についてどう思うかといったような試験にすべきだろう。
さて、受験した、「ヨーロッパ文学の読み方 -古典篇(’14)」の方であるが、これも記述式の試験だったがテキスト類の持ち込みは可であった。600~800字で解答を記述するのだが、考えてそれを元に書こうとすると、50分では少しきつい。結局は、テキストをつまみ食いのような答案になってしまう。記述式の場合には、もっと試験時間を取る必要があると思う。
次の試験は、来週の日曜日である。こちらも、2科目中1科目は来学期回しにして、1科目だけの受験の予定だ。
「現代哲学への挑戦(’11)」を取りやめた理由は、自分の趣味と全く合わなかったからだ。かって、ハイデガー研究者の故木田元さんが言ったように、そもそも哲学というものは、実生活ではまったく役に立たないものだ。誰がどんなことを言ったとしても、所詮は科学的な見地に基づいてもいないたわごとに過ぎないとしか思えず、それがすばらしいなどとは、とても感じられない。
ところが、本書を流れるスタンスは、明らかに、哲学するということは現代人にとってマストに近いくらい有益だというものである。過去の試験問題を見ても、解答は教科書の考えに沿って書かなくてはならないし、持ち込みも不可なので、誰がどんなことを言ったかもいちいち記憶しておかないといけないのだが、とてもそんな暇はない。この試験、いったい記憶力を試すのか、それとも思考力を試しているのか?
もし思考力(哲学する力)を試すということなら、テキストは持ち込みにして、誰誰のこの考え方についてどう思うかといったような試験にすべきだろう。
さて、受験した、「ヨーロッパ文学の読み方 -古典篇(’14)」の方であるが、これも記述式の試験だったがテキスト類の持ち込みは可であった。600~800字で解答を記述するのだが、考えてそれを元に書こうとすると、50分では少しきつい。結局は、テキストをつまみ食いのような答案になってしまう。記述式の場合には、もっと試験時間を取る必要があると思う。
次の試験は、来週の日曜日である。こちらも、2科目中1科目は来学期回しにして、1科目だけの受験の予定だ。