文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

照國神社(2)(鹿児島旅行5)

2015-12-19 19:43:31 | 旅行:四国・九州・沖縄



 上の写真は、照國神社横にど~んと言う感じで建っている「島津斉彬像」。市の中心部ともいえるようなところに神社があり、このような像も建っていると言うことは、いかに地元で崇拝されているかがうかがえるというものだろう。

 それでは、維新のもう一方の雄、長州藩の毛利敬親の方はどうかということで調べてみると、山口市(萩市ではなく)にある野田神社の御祭神として祀られている。また銅像の方は、亀山公園という場所に設置されているが、なんとなく存在感が薄い。やはり吉田松陰とか高杉晋作のような個性の強いのが揃っていたためだろうか。




 こちらは、照國神社の境内にある「照國文庫資料館」。島津斉彬の事績を中心とした博物館だ。このような施設は入館料を取るところが多いが、ここは無料で入れるのはうれしい。


○関連過去記事
照國神社(1)(鹿児島旅行4)
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書評:精神分析で何がわかるか―無意識の世界を探る

2015-12-19 10:36:02 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
精神分析で何がわかるか―無意識の世界を探る (ブルーバックス)
クリエーター情報なし
講談社


 精神分析の理論と実際について書かれた入門書、「精神分析で何がわかるか―無意識の世界を探る」(福島 章:講談社ブルーバックス)。

 精神分析はフロイトによって始められた。彼の理論によれば、大人の愛情は自分たちが幼児期に受けた<原型>のコピーであるという。つまり大人は、その<原型>を目の前にいる人に<転移>するのである。これは人間をコンピュータに例えれば分かりやすいのではないか。誰でも生まれたときには脳は基本的なOS以外は持たない真っ新な状態だ。成長と共に周りから受けた様々な刺激が蓄積され、その人の行動原理が作り上げられていくのだろう。自分が受けた愛情が自らのDBに蓄積されていてこそ、自分も他人に愛情を示すことができるようになるのである。

 しかし人生必ずしも良いことばかりではない。嫌な記憶は<抑圧>され、「無意識」の領域へ沈められていく。フロイトは「幼児期に生じた葛藤や外傷的体験が無意識に抑制されること」が、神経症の原因になると考えた。だから、抑圧された記憶・願望を<無意識>から<意識>の世界に引きずり出すことができれば、症状は、軽快、消失することが多いといるのだ。その手段としてフロイトが考えたのが<自由連想法>である。

 もっとも心の世界は一筋縄ではいかない。古典的な精神分析療法により治癒が可能なのは、その原因がエディプス・コンプレックスが問題となる時期にあるとみられるような患者で、それ以前に原因がある場合には、伝統的な精神分析療法では完治が困難だという。これは人の発達段階とも関係しており、言語と記号の体系である精神分析療法では、言語が十分に発達していないエディプス・コンプレックス以前の問題には対応が難しいということのようだ。

 本書は、フロイトの精神分析を中心に、彼の理論の骨子や実際の精神分析のやり方、臨床例などを示し、さらには、フロイトの後継者たちについてもその概要を紹介している。心理学を勉強している人、精神分析について深く学びたい人には、専門書に入る前に読むべき入門書としていいのではないだろうか。また、私たちのような本読みにとっても、一読しておけば小説などを読む際に、より深く理解していくための視点を与えてくれるだろう。

☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。


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