日本の怪談を書いた外国出身の人と言えば、すぐ連想するのはラフカディオ・ハーンがだが、もう一人忘れてはならない人がいる。イギリスの博物学者で旅行者のリチャード・ゴードン・スミスだ。彼が日本にやって来たのは1898年(明治31)。すっかり日本が気に入って居ついてしまったスミスは、多くの日本の怪談・奇談を書き留めていた。
「ゴードン・スミスの日本怪談集」(荒俣宏編訳:角川書店)は、大判5冊に及ぶ彼の原本の中からよりすぐりの16編を紹介したものだ。大富豪でもあったスミスは、ほとんどの物語に美しい挿絵を描かせている。本書にもその挿絵が掲載されているが、なんとも雰囲気のあるすばらしいものばかりだ。
収められている話はどれも怪しく美しい。例えば「帰ってきた名刀、幸丸」という話は、命を助けられた雌鯉の精が助けてくれた男の嫁になるという話だ。男女の愛は種族の壁を超えるという異種婚姻譚である。
和歌山に伝わる「安珍と清姫」の原本になったという「白羊塚」という話も載っている。ただしこちらは沖縄の話だ。猟師の息子である松寿は、首里の蓮華道の住持のもとで学問を学んでいた。あまり学問好きではなかった彼は、口実をこしらえて師匠から逃げ出し山に入る。山で白い山羊を見つけた彼は、その山羊を追いかけるうちにすっかり道に迷ってしまった。山の中を歩き回るうちに見つけた小屋で出会った娘の名が「清姫」。山は「道成山」だった。
自分といっしょに暮して欲しいという清姫に、松寿は色よい返事をしない。遂に怒り心頭に達した清姫は、夜叉のようになって松寿を追いかける。「安珍と清姫」と違うのは、鐘の中に入って死ぬのは清姫の方だというところである。もちろん人間ではない。それにしても、和歌山に伝わる話のルーツが遠く離れた沖縄にあったというのは面白い。いったいどのようにして伝わったのだろうか。
ところで本書中には、いくつか気になる箇所が見られる。まず「観音という慈悲の女神」(p94)と書かれているところだ。観音菩薩は女性ではないし神でもないというのが私の見解だ。スミスは、髭が描かれている観音像を見たことがなかったのだろう。もっとも、観音菩薩を女神として扱うこともあることはある。しかし、顔に髭を書くと言うことは、少なくとも正式な仏教では、女性としては扱われなかったということだろうと思う。なお、あれは髭ではなく口の動きだと言う説もあるが、客観的にはどう見ても髭にしか見えない。
また祇園の神様として有名な牛頭天王について、次のように書かれている。
「牛頭天皇は、ときに冥土の神と呼ばれる」
「牛頭天皇は月の神とも呼ばれる」 (p98)
牛頭天皇はスサノオノミコトと同一とされ、「疫病神」としての性格も持っているが、「冥土の神」と言うのはどういうことだろう。スサノオが「根之堅州國」に住んでいたからなのか。また「月の神」というのは初耳だ。そのような伝説もどこかに伝わっていたのだろうか。それともスサノオの兄である「月読命」と混同したのだろうか。
しかしこれらの物語は、ハーンの「怪談」と比べても遜色がないくらい興味深いものだ。スミスがこのような物語を、私たちに残してくれた意義は大きいのではないかと思う。できれば本書に収録されなかった話も、機会があれば読んでみたいものである。
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※本記事は、書評専門の拙ブログ
「風竜胆の書評」に掲載したものです。