文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

ノーベル文学賞考

2016-10-14 14:00:21 | オピニオン
 昨日のノーベル文学賞をボブ・ディランが受賞したというニュースから一日経った。今回の出来事の意義は、「文学」というものの範囲が、通常考えられるより遥かに広いのだということを、世界中に認識させたということだろうか。

 今回の受賞で一番ショックを受けているのは、文学とは、いわゆる古典的な名作であると思っている連中だろう。本とは、古典文学であるという一種の鎖国主義。ボブ・ディランの受賞はそこに風穴を開けたと思う。

 もっとも一番当惑しているのは、文学とはなんぞやを教えている国語教師たちだろう。これまでは読書感想文の宿題を出しても、提出されるのは一応は本の感想だった。しかし、これからは、音楽の歌詞に対する感想なんかも出てくるかもしれない。文句を言おうにも、「先生!ボブ・ディランがノーベル文学賞をもらいましたよね!」なんて言われたら、どう反論するのだろうか(笑)。

 でもやっぱり、今年のノーベル文学賞、半分くらい受けを狙ったような気もするのだが・・・。
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駅の自由通路はイデオロギー発露の場所か?

2016-10-14 10:44:20 | オピニオン
 ネットで気になるニュースを見つけた。神奈川県海老名駅の自由通路で市民団体が行っていた「フラッシュモブ」に対して出された市の禁止命令が表現の自由を侵害して憲法違反だと、その市民団体が行政訴訟を起こしたというのだ。

 しかし、禁止命令が果たして憲法違反だろうか?自由通路を設置している目的は、駅の線路の両側を自由に移動できるようにするということだろう。決して、自分たちのイデオロギーを発露するために作られた場所ではない。

 ちょっと考えてみるといい。駅の自由通路で、なんだか怪しげなことをしている集団がいる。普通なら、近寄りたくないと思うだろう。このような行為は、一般の人には迷惑行為でしかない。憲法で表現の自由を保証しているからといって、いつでも、どこでものお墨付きを与えているわけではない。

 これが、例えば市の施設などを使って、特定の人たちの間で行うような場合には、公序良俗に反しない限り、思想信条の自由や表現の自由などは最大限守られなければならないだろう。しかし、自由通路は公道である。そこで、不特定多数に対して行われる、関係のない人には迷惑でしかない行為を禁止することが、果たして表現の自由の侵害になるかどうかは疑問だ。

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書評:うまい雑草、ヤバイ野草 日本人が食べてきた薬草・山菜・猛毒草 魅惑的な植物の見分け方から調理法まで

2016-10-14 09:27:24 | 書評:学術教養(科学・工学)
うまい雑草、ヤバイ野草 日本人が食べてきた薬草・山菜・猛毒草 魅惑的な植物の見分け方から調理法まで (サイエンス・アイ新書)
クリエーター情報なし
ソフトバンククリエイティブ

・森昭彦

 本書は、タイトルの通り、身近に見られる雑草、野草について、それが食べられるものかどうか、食べるとしたら、いつが旬か。どこをそうやって食べるのかといったことを示したものだ。

 テレビで、俳優の岡本信人さんが、その辺りに生えている草を食べているのをよく目にする。雑草だって食べられるものが多いのだ。しかし全部がそうではない。毒があるものもあるし、毒はなくてもまずくてとても食べられないものもある。本書は、そのような観点から雑草・野草を、「食べられる」「まずくて食べられない」、「有毒」の3つに分類している。

 しかし、「有毒」だから食べられないとは限らない。救荒植物として有名なヒガンバナやソテツは有毒だが、飢饉時には毒抜きをして食べられた。また毒草と薬草は紙一重。薬として使われるものも多い。その逆で、普通に食用にされているものについても、有害物質が含まれているので、灰汁抜きをしないといけないものもある。

 裏表紙に、「日本人は・・(略)・・・「毒抜き」・・(略)・・を確立してきました」とあったので、毒草についても、食べられるようにする方法が載っているのかと期待していた。しかしトリカブトを薬用として使うときの減毒加工について書いてあるだけで、他の植物については特に書かれていない。まあ、うっかり真似されて、なにかあったら大変だということかもしれないが。

 しかしあの河豚の卵巣も、糠漬けにして毒を抜いておいしく食べてしまう我が国のこと。ここに紹介されている毒草も、やがては誰かが毒抜きをしておいしく食べられるようにしてしまうかもしれない。もっとも、素人は決してそんなことをやろうとは思わないことだ。さもないと、本当に「ヤバイ」ことになってしまう。

☆☆☆☆

※本記事は、「風竜胆の書評」に掲載したものです。


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