行乞記 01 (一) | |
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・種田山頭火
自由律俳句で有名な種田山頭火。彼は放浪の俳人としても知られている。本名は種田正一。1882年(明治15)、山口県吉敷郡防府町(現在の防府市)の生まれである。裕福な家に生まれたが、母の自殺、実家の破産、更には弟の自殺まで。彼の人生は不幸に彩られていた。
彼自身も、まったく生活能力というものが欠如していたようだ。結婚して子どもができてもまともに働かず、ついには出家して放浪の日々。空虚さと寂寥感に心を蝕まれ酒と放浪に日々。ただ句を作ることだけが彼の生きている証だったのだ。
本書は、彼が主に九州方面を行乞して歩いた際の記録である。
< 私もやうやく『行乞記』を書きだすことが出来るやうになつた。―― 私はまた旅に出た。――
所詮、乞食坊主以外の何物でもない私だつた、愚かな旅人として一生流転せずにはゐられない私だつた、
それでは、二本の足よ、歩けるだけ歩け、行けるところまで行け。
私の生涯の記録としてこの行乞記を作る。>
俳句仲間のところを訪ねては、いろいろともてなしてもらったり、泊まった宿や同宿者の悪口などを書いたりと、表面上は気楽な旅のようにも見える。しかし彼の心の深いところには、タナトスの闇が渦巻いていたのではなかろうか。
<・しづけさは 死ぬるばかりの 水がながれて
・毒薬をふところにして天の川
・死にそこなつて虫を聴いてゐる
・降つたり照つたり死場所をさがす>
< 愚かな旅人として放浪するより外に私の行き方はない
私は所詮、乞食坊主以外の何物でもないことを再発見して、また旅へ出ました、……歩けるだけ歩きます、行けるところまで行きます。
清算か決算か、とにかく私の一生も終末に近づきつゝあるやうだ、とりとめもない悩ましさで寝つかれなかつた、>
彼の旅は、死に場所を探すためのもの。しかし、探し歩くためには生きなければならない。大いなる矛盾。そして生きるためには行乞をして歩くより道はない。
< 行乞のむづかしさよりも行乞のみじめさである、行乞の矛盾にいつも苦しめられるのである、行乞の 客観的意義は兎も角も、主観的価値に悩まずにゐられないのである>
< 一歩々々がルンペンの悲哀だつた、一念々々が生存の憂欝だつた>
みじめさを感じながらも行乞をすることこそ、唯一の生きる術。酒とカルモチン(睡眠薬)を友とし、寂しさを抱えて旅を続ける。そんな彼の生涯は悲しみに満ちている。
☆☆☆
※本記事は、「風竜胆の書評」に掲載したものです。