文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

書評:行乞記01(一)

2016-11-17 09:41:50 | 書評:その他
行乞記 01 (一)
クリエーター情報なし
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・種田山頭火

 自由律俳句で有名な種田山頭火。彼は放浪の俳人としても知られている。本名は種田正一。1882年(明治15)、山口県吉敷郡防府町(現在の防府市)の生まれである。裕福な家に生まれたが、母の自殺、実家の破産、更には弟の自殺まで。彼の人生は不幸に彩られていた。

 彼自身も、まったく生活能力というものが欠如していたようだ。結婚して子どもができてもまともに働かず、ついには出家して放浪の日々。空虚さと寂寥感に心を蝕まれ酒と放浪に日々。ただ句を作ることだけが彼の生きている証だったのだ。

 本書は、彼が主に九州方面を行乞して歩いた際の記録である。

< 私もやうやく『行乞記』を書きだすことが出来るやうになつた。―― 私はまた旅に出た。――

 所詮、乞食坊主以外の何物でもない私だつた、愚かな旅人として一生流転せずにはゐられない私だつた、

 それでは、二本の足よ、歩けるだけ歩け、行けるところまで行け。

 私の生涯の記録としてこの行乞記を作る。>


 俳句仲間のところを訪ねては、いろいろともてなしてもらったり、泊まった宿や同宿者の悪口などを書いたりと、表面上は気楽な旅のようにも見える。しかし彼の心の深いところには、タナトスの闇が渦巻いていたのではなかろうか。

<・しづけさは 死ぬるばかりの 水がながれて
 ・毒薬をふところにして天の川
 ・死にそこなつて虫を聴いてゐる
 ・降つたり照つたり死場所をさがす>

< 愚かな旅人として放浪するより外に私の行き方はない

 私は所詮、乞食坊主以外の何物でもないことを再発見して、また旅へ出ました、……歩けるだけ歩きます、行けるところまで行きます。

 清算か決算か、とにかく私の一生も終末に近づきつゝあるやうだ、とりとめもない悩ましさで寝つかれなかつた、>


 彼の旅は、死に場所を探すためのもの。しかし、探し歩くためには生きなければならない。大いなる矛盾。そして生きるためには行乞をして歩くより道はない。

< 行乞のむづかしさよりも行乞のみじめさである、行乞の矛盾にいつも苦しめられるのである、行乞の 客観的意義は兎も角も、主観的価値に悩まずにゐられないのである>

< 一歩々々がルンペンの悲哀だつた、一念々々が生存の憂欝だつた>


 みじめさを感じながらも行乞をすることこそ、唯一の生きる術。酒とカルモチン(睡眠薬)を友とし、寂しさを抱えて旅を続ける。そんな彼の生涯は悲しみに満ちている。

☆☆☆

※本記事は、「風竜胆の書評」に掲載したものです。
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銀河クルージング 1

2016-11-16 12:33:57 | 旅行:広島県


 少し前に初めて、「銀河」に乗った。「銀河」は広島港から宮島あたりまでクルージングしている船だ。前から一度乗りたいとは思っていたが、結構値段が高いこともあり、なかなか機会がなかった。

 今回、以前いた会社のOB会ということでお誘いがあった。この手の会合には普通はまず出ることはないのだが、銀河への興味で、参加してみたという次第だ。



 当日は天気もまずまず、絶好のクルージング日和だった。




 瀬戸内海は、なんといっても友人、無人の島が沢山ある多島美が魅力だ。これが外海なら、辺り一面大海原で見えるのは海と空と水平線という感じになるのだが、瀬戸内海は、どこにいっても島が見える。島を眺めながらのクルージングもなかなか楽しいものだ。



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書評:恋染紅葉 1

2016-11-15 09:41:47 | 書評:その他
恋染紅葉 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)
クリエーター情報なし
集英社

・坂本次郎×ミウラタダヒロ

 普通の男子高校生がアイドルの女の子にモテモテ。そんなありえない妄想を漫画にした本作。

 鎌倉の県立恋ヶ浜高校に通う葛城翔太は、ある日超絶美少女から江ノ島をバックに写真を撮ってくれと頼まれる。その少女のあまりの美しさに一目惚れの翔太だが、残念なことの彼は好きな女の子の前では顔が真っ赤になって、ろくに話もできないという純情なチキンハートである。

 彼が好きになった相手は紫之宮紗奈。美少女なのも当然。連ドラ「恋染紅葉」の主役の一人を演じる女優で、撮影の役作りのために、鎌倉にある清廉女学院へ転校してきていたのだ。

 それでも友人たちに背中を押され、なんとか知り合いにまで昇格。友人たちグッジョブ!翔太は、本当にいい友達に恵まれている。紗奈がドラマで演じるのは恋する女の子なのだが、自分はまだ恋をしたことがないからと、恋する女の子の気持ちを知るために翔太とデートをすることに。

 翔太が、紗奈が危ないところを身を挺してかばったりしたことで、二人の距離は一気に縮まったようだ。役作りのためとはいいながら、かなりいい雰囲気になっていたのだが、そこに、「恋染紅葉」のもう一人の主役であるグラビアアイドルの七里由比(ナナ)が乱入してくる。

 紗奈が清楚なお嬢様タイプなのに対して、ナナはかなりコケティッシュな感じ。共通しているのは、どちらも超絶かわいいということ。

 実は、ナナは、翔太が小3の時に転校していった初恋の相手。初恋の相手だというのに思い出せなかったのは、昔は超内気な子だったナナが、いろんなところが育ちすぎて、グラビアアイドルをできるくらいのとってもセクシーな感じに変貌していたからだ。翔太はナナからも恋する気持ちを教えてほしいと頼まれるという両手に花状態。いやなんともうらやましい。

 モテない君だった翔太が、急に美少女二人と絡むようになるという、男子の夢と妄想がたっぷり詰まった作品だが、この羨ましい三角関係は、一体どのように進んでいくのか。続きがとっても気になってくる。

 この作品のプロトタイプとなる特別読切「恋染紅葉」を併録。

☆☆☆☆

※本記事は、「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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書評:SEのフシギな職場―ダメ上司とダメ部下の陥りがちな罠28ヶ条

2016-11-13 09:40:51 | 書評:ビジネス
SEのフシギな職場 ダメ上司とダメ部下の陥りがちな罠28ヶ条
クリエーター情報なし
幻冬舎

・きたみりゅうじ

 元SEのきたみりゅうじ氏がマンガとエッセイで描くSE業界のあまりにもブラックな裏側。もちろん、ちゃんとした会社もあるので、あくまでも著者がいた会社ということなのだろうが、色々なものを読む限りでは、こんな会社は結構あるようだ。

 大昔、SEなる言葉を初めて知ったころは、そのなんだかかっこいい響きに少し憧れたものだが、本書を読むと、そこで道を踏み外さないでよかったとつくづく思う。

 きたみ氏の会社に存在するのは、たくさんのアホな上司とデキナイ部下。上司も上司なら、部下も部下、集まりも集まったりという感じだ。これで会社として成り立っているのが不思議である。

 精神論だけで、パワハラしか能がない上司と、社員に課せられる、無茶苦茶なノルマ。挨拶や報連相といった、会社人として基本的なこともできないような人も多い。これではできる人間ほど離れていくのは当然だろう。

 思わずぶっ飛びそうになるようなエピソードも多いが、ひとつだけ紹介しておこう。

 会社の方針説明会での社長が言ったことには、「3倍は生産性を上げないとこの会社に未来はない。どうやったらやれるかわからないが、自分が社員をそこまで追い詰める」そうな。

 そのやり方を考えるのが社長の仕事だろう。精神論を押し付けてばかりではできるわけがない。著者のきたみ氏の会社もそうだったようだが、こういったときは、すべての部門に一律にノルマを課せるのが、バカな経営者や企画部門の常。

 その年の退職者はかなりの数になって、中堅どころがごっそり抜けたそうだが、SE業界のように、自分の腕一本で将来を切り開ける技術者が多いところは、こうなるのも当然だろう。

 本書に掲載されているのは、驚くほど呆れた例ばかりだが、それだからこそ反面教師として学ぶことも多いのではないかと思う。

☆☆☆☆

※本記事は、「風竜胆の書評」に掲載したものです。
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書評:あねどきっ1

2016-11-11 09:27:22 | 書評:その他
あねどきっ 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)
クリエーター情報なし
集英社

・河下水希

 主人公は、落合洸太という中一(13歳)の少年。ある日、とっても綺麗な女子高生のお姉さんから、食べていたアイスをくれと言われる。そのお姉さんの名は萩原なつき。超絶美少女でナイスバディの高校2年生(17歳)。

 洸太は父親と二人暮らしのようだが、父が長期出張になってしまう。帰りはまったくの未定。一人でどうすれびいいかと戸惑っていると、なつきが登場。アイスの恩返しと、強引に同居してしまう。

 このお姉さん、洸太の面倒を見てくれるのはいいのだが、挑発的で、エロエロで、洸太はマイペースな彼女に翻弄される毎日。ベッドでなくては眠れないと洸太の寝ているベッドに乱入したり、いっしょに風呂に入ろうと言われたり。

 おかげで洸太は翻弄されてドキドキの毎日。迷惑そうなそぶりは見せるが、たとえ中一とはいえ彼も立派な男の子。こんな綺麗なJKお姉さんに世話を焼かれて、本心はうれしいに違いない。でもそこはやはり中一、人畜無害。ドキドキするだけでアダルトな展開はない。

 なつきの同居が洸太に一番メリットがあったのは、桜井奏という同級生の美少女が彼のことを気にし始めたことだろう。クラスのアイドルを自認している彼女のこと。最初は、洸太なんか完全にモブ扱いだったのだが、超絶美少女のなつきが洸太にべたべたしてくるのを見て対抗心を燃やしたようだ。

 奏が変な男たちに絡まれているのを、洸太に助けられたり(実際に助けたのはなつき。なつきはなぜか結構強い)、溺れたところを助けられたり(溺れた原因はなつき)といったこともあり、どんどん洸太にひかれていっているようだ。

 中二病(洸太は中一だけど)の男子の妄想にあふれたような作品だ。きっと、こんなお姉さんなら、どうぞいっしょに住んでくださいと土下座しかねない男子も多いことだろう。なつきは、そのくらい可愛らしくてエロい美少女なのだ。いくら美少女という設定でも絵がそれに伴っていなければ、どうしようもない。ところがこの作品は、絵柄がとっても綺麗なので、なつきや奏の美少女ぶりが際立っている。まだ第一巻しか読んでいないが、これは続きを読んでみたい。

☆☆☆☆☆

※本記事は、「風竜胆の書評」に掲載したものです。
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セミナー「経験価値でユーザーの心をつかむ商品企画」受講

2016-11-09 19:15:59 | セミナー、講演会他


 今日は、午後から、広島工業技術センターで「経験価値でユーザーの心をつかむ商品企画」というセミナーを受講してきた。久しぶりのセミナー受講である。

 経験価値とは、その商品の直接の価値というのではなく、その商品を使う場面や感動などを通じて得られる価値のようである。今日やったのは、その経験価値を、どのように割り出して、商品開発につなげていくのかといったようなところか。

 そのためのツールとしてKA法というのがあるらしい。聞いてみると、よくQCサークルなんかでも使われていたKJ法の変形のようなものだなあという感じだ。

 これは、お誘いのメールが来たので申し込んだのだが、申し込む際には、グループワークがあることに気が付かなかった。よくチラシを読めば、「ワークショップ形式での商品企画プロセスも予定しております」と書かれてあった。グループワークは、昔うんざりするほどやらされたので、今更あまりやりたくなかったんだけどなあ・・・。

 行くときはそうでもなかったのだが、帰りはもうかなり寒くなっていた。まだ11月というのに、雰囲気はほとんど冬だ。
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書評:「超」入門!論理トレーニング

2016-11-09 08:21:06 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
「超」入門!論理トレーニング (ちくま新書)
クリエーター情報なし
筑摩書房

・横山雅彦

 日本語はもともとロジックの運用に向いていないとして、それをロジカルに運用するために本書が紹介しているのが「三角ロジック」というものだ。

 この「三角ロジック」は、元々ディベートで使われていたもののようである。特徴は、「クレーム」、「データ」、「ワラント」の3つから成り立っているということ。ここでクレームとは、何らかの「主張」や「意見」のことである。「データ」と「ワラント」は、「クレーム」に対して論証を与えるもので、それぞれ、「事実」と「根拠」のことだ。

 これを聞くと、何か目新しい物のように聞こえるかもしれないが、実はこの考え方自体は大昔からあるものだ。著者は、1980年代にはまだ「三角ロジック」という呼称は無かったと書いている。確かに昔はそんな呼び方はなかったろう。しかし三という数字から何かを連想しはしないか。

 そう大昔からある「三段論法」である。私の見る限り、「三角ロジック」というのは「三段論法」の見せ方を変えたものに過ぎない。このことは、「ワラント」=「一般論、ルール」、「データ」=「観察事項」、「クレーム」=「結論」と、よく使われる「三段論法」の用語に置き換えてみればわかるだろう。

 そういった、「三段論法」の観点から見れば、本書の中に「三角ロジック」の例として挙げられているものには、首をかしげてしまうようなものもある。

 「三段論法」というのは次のようなものだ。
①A→B:一般論、ルール
②C→A:観察事項
③C→B:結論

 すなわちC→A→Bという推移律が成り立つので、そのロジックは極めて強力なものだ。①が、科学法則のように普遍性のあるものなら、②が正しい限り、③の結論は異論の余地がない。

 しかし、一般に①は、何らかの価値観を伴ったものであることが多いし、②についても正しい観察事項であるとは言えないこともある。だからそこに反論の余地が生まれて来る。

 著者は、ディベートにおいては、クレームに対してケチをつけてはならず、「データ」や「ワラント」を攻めなければならないとしている。これは上に述べたこととよく整合しているのではないだろうか。

 要は、見せ方はどういう方法でもいいから、普段から論理的な考え方を心がけることが大切だろうと思う。「三角ロジック」で書くのもいいが、それが果たして上に述べた「三段論法」でうまく書き表せるかということも、ロジックのチェックになると思う。 

☆☆

※本記事は、「風竜胆の書評」に掲載したものです。
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人間ドック

2016-11-08 16:24:50 | その他
 今日は、年に1回の人間ドックの日。朝が早いので、昨日はかなり早く寝たのだが、いつもと就寝時間が違うためか、あまり良く寝付けなかった。寝不足気味で、ドック実施機関に行ったが、今日わかる範囲では大した指摘はなかったので、一安心というところ(細かなものはけっこうあったが)。

 胃の検査では、バリウムを飲むと必ず再検査を言い渡されるので、最近はずっと最初から内視鏡検査にしている。とはいっても、昔胃カメラを飲んださいに、とても苦しかったといういやな思い出があるため、鼻から入れるやつで、鎮静剤も打ってもらうという用意周到ぶりだ。

 この鎮静剤、よく効くときとそうでないときがあるようで、聞かない時は、最後まで内視鏡で検査されている状況を覚えているのだが、今日は寝不足のためか、ものすごく効いたようである。鎮静剤を打ってから、検査が終わるまで、記憶がまったくないのだ。どうやって検査をしたのか、まったく思い出せない。気が付けば、椅子に座って休んでいたという感じだ。

 人間ドックのついでに、インフルエンザの予防注射もしてもらった。これも去年からやりだしたのだが、田舎に年寄りがいるので、インフルエンザになって動けないということになるリスクを少しでも減らしておこうということである。もっとも、インフルエンザの予防注射は、確実に効くかどうか分からないという不安材料があるのではあるが。

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札場の石の表示碑(広島市を歩く148)

2016-11-07 18:44:44 | 旅行:広島県


 上の写真は、所用で戸坂の方に行った際に、戸坂公民館の近くで見つけた「札場の石の表示碑」。「なんじゃそれ!?」と思って、少し調べてみた。「札場」というのは、時代劇なんかで、よく御触れを出しているシーンがあるが、ああいった高札なんかを建てる場所のようだ。つまりここに札を立てていたのを記念して、表示のための碑を設置したということだろう。それにしても、知らないところに行ってみると、意外な発見があるものだ。


〇関連過去記事
京橋川の土手(広島市を歩く147)
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書評:11月そして12月

2016-11-07 09:31:40 | 書評:小説(その他)
11月そして12月 (中公文庫)
クリエーター情報なし
中央公論新社

・樋口有介

 この作品の主人公は晴川柿郎という22歳の青年だ。高校も大学も中退して、仕事もせずにカメラばかりいじっているニートな毎日。他の樋口作品の主人公と同様、若いくせに人生を悟りきったような言動である。

 彼の家庭はなかなか複雑だ。父親は勤めていた会社から、浄水器を作る子会社に移り、そこで企画開発部長をしているが、部下の若い女性と不倫中。

 姉は、雑誌の編集者だが、こちらも妻子ありのアパレルメーカー専務と絶賛不倫中。不倫相手が妻と別れると言っていたくせに、双子の子供ができたと言って、睡眠薬を飲んで自殺を図る。

 母親は、カルチャーセンター狂いで忙しい。やっかいごとは、いつも柿郎に持ち込まれる。

 そんな彼が、ゴミ虫を撮影しているときに、山口明夜という変わった女性と出会う。かなり蓮っ葉な感じで登場するのだが、実は高校時代はかなり期待されていた長距離陸上選手だ。これは、そんな二人の、淡い恋と別れの物語。

 二人の間にお邪魔虫として登場するのが、かって明夜の監督だった寺塚修司という男。山口の才能を殺させまいと、ほとんど脅迫のような感じで、柿郎に別れろと迫る。こういうスポーツバカは始末がわるい。脳みそまで筋肉でできているのだろう。自分の価値観が絶対だと思って人に押し付ける。

 柿郎は、一応寺塚の言うことに反論はしている。

「たとえ才能をひき出せたとしても、せいぜい一秒か二秒、ほかの人より速く、走れるだけでしょう」

「彼女は、あなたの道具ではありません」
(以上p187)

 しかし、結局は寺塚の主張に負けた形になってしまう。なぜ引き下がる柿郎。君の言っていることは正しいぞ。ニートだからか?ヘタレだからか? 一番の問題は、明夜が寺塚と同じ価値観を持っているというところだろう。つまらない価値観だと思うが、柿郎はそれを尊重したのだ。明夜を愛しているゆえに。これはちょっと切ないなあ。

 その他の登場人物についても、色々な出来事の後、それぞれの道を歩みだしたという感じだ。物語は、決してハッピーエンドというようなものではないが、かといって最悪だったとも思えない。タイトルのように、晩秋が冬に入って、もの悲しさが漂っているような雰囲気だ。総じていえば、少し遅い青春の甘酸っぱさを感じる作品と言ったところだろうか。しかし、果たして、冬が過ぎて春はくるのか?

☆☆☆☆

※本記事は、「風竜胆の書評」に掲載したものです。
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