こんばんわ。昨夜は大変見苦しい記事をアップいたしまして失礼いたしました。
どうにもアタマに来て何も考えたくないときもあるもんで、特に昨日はアタマに来たんです。今日は少し落ち着いたので、冷静に記事を書こうと思います。
私が中学を卒業するとき、春休みに卒業旅行として九州に行ったんです。
ただ、私は事情があってエレクトーン発表会のドラマーのアルバイトをしなければならないことになり、同行のみんなから数日遅れて九州入りとなりました。それで、往路は1人旅となったわけですが、東京からブルトレで行くとなると寝台特急「富士」のみとなり、せっかく九州まで行くのだから東京に走っていない列車に乗りたくなったため、新幹線→寝台特急「彗星」という行程を選んだのです。
ちなみに、それまで寝台列車に乗った経験は小学5年生のときの急行寝台上り「銀河2号」のみであり、私の寝台特急(ブルトレ)デビューは、意外にも寝台特急「彗星」となったのです。
※過去ログ『583系 寝台特急「彗星」』もご覧下さい。
昭和54年3月23日 下関駅?にて
昭和54年3月23日 門司駅?にて
上の写真がリバーサルで、下の写真がネガカラーです。カメラが別なので、撮影した順序が分からないのですが、周辺の明るさから考えてこのような順序でないかと思っております。駅の風景は全く覚えていません。
昭和51年後半に登場したカニ24100番代を連結した「彗星」。編成自体は24系25形0番代車で関西オリジナル編成ですが、カニのみ後発の100番代を連結していました。カニ24100番代は東京発の九州ブルトレ用として製造された車両でしたが、九州方面の20系客車の老朽化交換を機に関西にも若干数が導入されています。
結果的にはレアな車両に当たったわけですが、私的にはカヤ24(←マヤ24)の方が好きだったので、ちょっとガッカリ。
新大阪~別府間を乗り通したわけですが、機関車の写真は全く撮っていません。当時はヘッドマークが付いていなかったので、あまり興味が湧かなかったのですね。ですので、全区間とも牽引車が何だったのか、全く記憶にございません。
今となってはEF30すら1回も撮らないで終ってしまいましたので、非常に勿体無いことをしたな、と思います。
どうにもアタマに来て何も考えたくないときもあるもんで、特に昨日はアタマに来たんです。今日は少し落ち着いたので、冷静に記事を書こうと思います。
私が中学を卒業するとき、春休みに卒業旅行として九州に行ったんです。
ただ、私は事情があってエレクトーン発表会のドラマーのアルバイトをしなければならないことになり、同行のみんなから数日遅れて九州入りとなりました。それで、往路は1人旅となったわけですが、東京からブルトレで行くとなると寝台特急「富士」のみとなり、せっかく九州まで行くのだから東京に走っていない列車に乗りたくなったため、新幹線→寝台特急「彗星」という行程を選んだのです。
ちなみに、それまで寝台列車に乗った経験は小学5年生のときの急行寝台上り「銀河2号」のみであり、私の寝台特急(ブルトレ)デビューは、意外にも寝台特急「彗星」となったのです。
※過去ログ『583系 寝台特急「彗星」』もご覧下さい。
昭和54年3月23日 下関駅?にて
昭和54年3月23日 門司駅?にて
上の写真がリバーサルで、下の写真がネガカラーです。カメラが別なので、撮影した順序が分からないのですが、周辺の明るさから考えてこのような順序でないかと思っております。駅の風景は全く覚えていません。
昭和51年後半に登場したカニ24100番代を連結した「彗星」。編成自体は24系25形0番代車で関西オリジナル編成ですが、カニのみ後発の100番代を連結していました。カニ24100番代は東京発の九州ブルトレ用として製造された車両でしたが、九州方面の20系客車の老朽化交換を機に関西にも若干数が導入されています。
結果的にはレアな車両に当たったわけですが、私的にはカヤ24(←マヤ24)の方が好きだったので、ちょっとガッカリ。
新大阪~別府間を乗り通したわけですが、機関車の写真は全く撮っていません。当時はヘッドマークが付いていなかったので、あまり興味が湧かなかったのですね。ですので、全区間とも牽引車が何だったのか、全く記憶にございません。
今となってはEF30すら1回も撮らないで終ってしまいましたので、非常に勿体無いことをしたな、と思います。