こんばんわ。今日は起きてます。
しばらく旧型国電ネタから遠ざかっていましたので、1回完結ネタになってしまいますが、小野田線本山支線のクモハ42をご紹介したいと思います。
※撮影は、全て昭和57年10月5日です。
雀田駅にて
本山支線は単線1閉塞のみで、1両のクモハ42が往復するだけの路線でした。
早朝に宇部新川駅を出発し、直通で長門本山駅へ。そのまま午前中に7往復を運転します。小野田線との分岐点となる雀田駅から終点の長門本山駅は2駅間でわずか2.3kmという短さ。
土曜のいわゆる半ドンの日は13:30から1往復の電車がありますが、この日は土曜日でないため運休。クモハ42は雀田駅で16:30までパンタグラフを下ろして昼寝。夕方と夜に合わせて6往復して1日の運転を終了します。
写真は夕方の運転のためにやっと起きたところ、といった具合です。
風情のあるサボと形式表記
サボはプラスチック製のようですね。
この日の登板は005。本山支線用として001、005、006の3両が用意されていましたが、001はちょうど幡生工場に入場していたようでした。
クモハ42の検査表記類とお顔
こちら2位側のお顔ですね。長さのあるホロ枠が特徴で、私的にはこちらのお顔が大好きです。ただ、このまっ黄色のお顔はファンの間ではあまり好かれていなかったみたいです。ちなみに、引退末期の頃は、この警戒色は撤去され、茶色一色になりました。
長門本山駅にて
終点の長門本山駅は、突き当りの道路を挟んで直ぐに海になっていたようです。折り返しまであまり時間が無かったので、海を見る余裕がありませんでした。
写真左手前にはコスモスが写っているようですが、悲しいかなモノクロで撮ってしまったため、せっかくの季節感を台無しにしてしまったようです。
長門本山~浜河内間にて
長門本山駅を発車したクモハ42005。奥に見えるのが長門本山駅です。
電化区間において架線柱というのは処理に困るもんですが、構図的には邪魔な架線柱も、木製の架線柱はローカル然とした雰囲気を十分に醸し出してくれました。
「ワンマン」表示も無い時代ですので、オリジナリティもタップリですね。
茶色の関西急電から始まり、横須賀線ではスカ色に変身して颯爽と駆け抜け、また茶色に戻ってローカルでノンビリと余生を過ごしていたクモハ42。
旧型国電にあまり興味を示さなかった私でしたが、GMのクモハ43のキットを見つけて以来、小窓の行列が壮観なスタイルに惚れこみ、このクモハ42系が大好きになりました。
特に、両運転台で貫通幌受けの長いタイプの重厚さが大好きで、とき間に合わずして見ることが出来なかった飯田線のクモハ42に思いを馳せ、意地でも逢いたくなって、山口線の撮影に合わせて立ち寄った次第です。
その後は山口線の12系客車改造により写欲を失い、以来訪れることがなくなってしまいました。
しかし、旧型国電への憧れを誘ったクモハ42は、死ぬまで忘れられない存在でありつづける筈です。
← おっと、3日連続で茶色代わりの黒になっちまった!
しばらく旧型国電ネタから遠ざかっていましたので、1回完結ネタになってしまいますが、小野田線本山支線のクモハ42をご紹介したいと思います。
※撮影は、全て昭和57年10月5日です。
雀田駅にて
本山支線は単線1閉塞のみで、1両のクモハ42が往復するだけの路線でした。
早朝に宇部新川駅を出発し、直通で長門本山駅へ。そのまま午前中に7往復を運転します。小野田線との分岐点となる雀田駅から終点の長門本山駅は2駅間でわずか2.3kmという短さ。
土曜のいわゆる半ドンの日は13:30から1往復の電車がありますが、この日は土曜日でないため運休。クモハ42は雀田駅で16:30までパンタグラフを下ろして昼寝。夕方と夜に合わせて6往復して1日の運転を終了します。
写真は夕方の運転のためにやっと起きたところ、といった具合です。
風情のあるサボと形式表記
サボはプラスチック製のようですね。
この日の登板は005。本山支線用として001、005、006の3両が用意されていましたが、001はちょうど幡生工場に入場していたようでした。
クモハ42の検査表記類とお顔
こちら2位側のお顔ですね。長さのあるホロ枠が特徴で、私的にはこちらのお顔が大好きです。ただ、このまっ黄色のお顔はファンの間ではあまり好かれていなかったみたいです。ちなみに、引退末期の頃は、この警戒色は撤去され、茶色一色になりました。
長門本山駅にて
終点の長門本山駅は、突き当りの道路を挟んで直ぐに海になっていたようです。折り返しまであまり時間が無かったので、海を見る余裕がありませんでした。
写真左手前にはコスモスが写っているようですが、悲しいかなモノクロで撮ってしまったため、せっかくの季節感を台無しにしてしまったようです。
長門本山~浜河内間にて
長門本山駅を発車したクモハ42005。奥に見えるのが長門本山駅です。
電化区間において架線柱というのは処理に困るもんですが、構図的には邪魔な架線柱も、木製の架線柱はローカル然とした雰囲気を十分に醸し出してくれました。
「ワンマン」表示も無い時代ですので、オリジナリティもタップリですね。
茶色の関西急電から始まり、横須賀線ではスカ色に変身して颯爽と駆け抜け、また茶色に戻ってローカルでノンビリと余生を過ごしていたクモハ42。
旧型国電にあまり興味を示さなかった私でしたが、GMのクモハ43のキットを見つけて以来、小窓の行列が壮観なスタイルに惚れこみ、このクモハ42系が大好きになりました。
特に、両運転台で貫通幌受けの長いタイプの重厚さが大好きで、とき間に合わずして見ることが出来なかった飯田線のクモハ42に思いを馳せ、意地でも逢いたくなって、山口線の撮影に合わせて立ち寄った次第です。
その後は山口線の12系客車改造により写欲を失い、以来訪れることがなくなってしまいました。
しかし、旧型国電への憧れを誘ったクモハ42は、死ぬまで忘れられない存在でありつづける筈です。
← おっと、3日連続で茶色代わりの黒になっちまった!