マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

房総の急行電車(その1)

2007-04-23 11:18:03 | その他電車
こんばんわ。

今日は、プリントしていなかった死蔵写真からやっと陽の目を見ることになった「房総の急行電車」をご紹介いたします。

房総急行の写真は、数的にはあまり撮りに行ったことがなかったのですが、東北や上信越の急行と違ってヘッドマークが付いていましたので、大変興味を持っていました。それでも、昭和57年の11月に全廃となるまでには、年数的にも”写真を撮ることができた期間”はあまり長くなかったと思います。

今回ご紹介する写真は、昭和54年頃に総武線錦糸町駅にて撮影したものです。




74番編成を使用した急行「犬吠」。前後で0番台、500番台の顔違いの編成。
前後ともシールドビーム化されています。





73番編成を使用した急行「内房」。74番編成と同じく前後で0番台、500番台の顔違いの編成ですが、オリジナルライトのままの原型を保っています。


当時、全国で153系のヘッドマーク付き急行列車はここだけだったと思います。このヘッドマークにも変遷がありますが、53.10ダイヤ改正の頃からか、房総急行のヘッドマークにも絵がワンポイントで入るようになりました。
この写真を現像して一番「おっ!」と思ったのは、グリーン車に未だ帯が入っていたことですね。
私が高校生になってからは、全国から姿を消そうとしている旧型国電に興味を持ってしまったため、房総の急行を追いかけることはあまり無かったのですが、引き続きネガの整理をしていたら、未だ若干のプリントしていない写真があるようです。これら写真も近いうちに現像しようと思っていますので、現像・スキャニング編集が出来次第、またご紹介いたしたいと思います。

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ローカルな風景 第17回 (室蘭本線・釧網本線)

2007-04-22 02:20:02 | ローカルな風景
こんばんわ。
今日もデータ調査をしていたら、こんな時間になってしまいました。生活のリズムがまた崩れてしまいます。

今回は、北海道のローカルネタを2題お届けします。


平成2年9月5日 室蘭本線 追分~安平間にて キハ130+キハ22+キハ40

室蘭本線のローカル区間です。このときの撮影で、北海道に着地してからの1発目のショット。キハ130は日高線用の軽快車ですが、何故か室蘭本線の普通に併結されています。定期運用だったのか、詳しいところは解りません。



平成2年9月9日 室蘭本線 静狩~旭浜間にて キハ22単行の普通列車
れっきとした特急走行区間ですが、非電化複線でありながら普通列車が単行であることで、非常にアンバランスなローカルさを醸し出しています。上の写真と共に、キハ22が最後の活躍をしていた頃です。



平成2年3月15日 釧網本線 釧路湿原~細岡 DE15牽引の貨物列車

根釧原野を往くDE15牽引の貨物列車。釧網本線の貨物列車廃止がささやかれ始まった頃、無謀にも真冬の根釧原野へ。この日は比較的天気が良く、比較的つらい思いをせずに撮影することができました。プリントのシャドーがキツいため、スキャニング時点で画像が荒れてしまいました。



平成2年3月15日 釧網本線 細岡~塘路間にて キハ54単行普通列車

北海道東部では、比較的早くに新性能化が完成しており、残念ながらこの時点でキハ22やキハ56系は撤退済みでした。このときの撮影では、同区間を徒歩にて移動しましたが、7.2kmもあったんですね。線路沿いに道が無くて、大変苦労した記憶があります。
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「赤羽線」の補足(方向幕)

2007-04-21 14:04:51 | その他電車
今朝ほどアップいたしました「赤羽線」の方向幕について補足いたします。

101系時代は、縦書きで「赤羽←→池袋」でその下にローマ字表記がありましたが、103系になると前面・側面とも「赤羽線」になっています。赤羽線は4駅間のみの運転ですから、行先をそれぞれ「赤羽」「池袋」と表示しなくても問題が無かったのでしょう。むしろ、「池袋」で表示したまま池袋駅に到着してしまうと、山手線用のうぐいす色も使用していましたので、誤解を生ずるおそれがあったとも考えられます。私も103系時代の赤羽線には良く乗ったことがありますが、「赤羽」「池袋」といった行先を表示しているものを見た記憶がありません。

もうひとつ。今朝ほどのアップの内容で、”赤羽駅では7番線を使用して・・・”という本文を載せましたが、もしかしたら”5番線”だったかもしれません。その場合、通過する貨物専用線は”6番線”ということになります。
現在は、湘南新宿ラインが5・6番線を、埼京線が7・8番線を使用していますが、当時は現在の5・6番線が貨物線でホームがありませんでしたので、カウントされていなかったかもしれません。(段々そのような気がしてきました。)
曖昧で申し訳ありませんが、証拠も何も無いので、この辺りを加味していただきますよう、お願いいたします。
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101系・103系 (赤羽線)

2007-04-21 07:50:52 | その他電車
おはようございます。

昨夜は1週間の疲れでしょうか。風呂も入らず寝てしまいました。今日は娘の映画鑑賞に付き合うことになっており、早起きしています。更新を期待されていた方、スミマセン・・・。


通勤型の写真には食指の動かなかった私ですが、古いネガを辿ってみると、意外と101系や103系の写真が出てきました。それでも、当時はまだ戦前型の国電が最後の頑張りを見せていた頃で、新性能車であった101系や103系はプリントアウトされずにそのまま眠っている状態でした。そんな彼らの写真ですが、このブログを始めるにあたり、やっとデッドストックから解放されることになりました。

今回、大量にプリントアウトした中から、現在は「埼京線」と呼ばれスルー運転されている、正式名称「赤羽線」の写真を集めてご紹介したいと思います。

まずは101系です。


昭和52年頃 赤羽駅にて

「赤羽線」の新性能化は早かったらしく、小学校低学年の頃乗ったときには既に101系になっていました。同線が黄色いラインカラーを使っているのは、車輌を共通で使用していた「山手線」の名残といえるでしょう。(「山手線」が101系化されたときのラインカラーはカナリアイエローで、103系化の際にうぐいす色に改められています。)同線の101系時代の写真は、この1枚と別にもう1枚の計2枚しか撮っていないようです。

次に103系編です。

撮影は、すべて赤羽駅にて。

うぐいす色との混色編成。103系時代には良く見られました。


うぐいす色のアップ写真。時には、山手線の編成から1ユニットを抜いた8両編成を使用したうぐいす色のみで運転されることもありました。


オールカナリアイエローの編成。編成的に統一が図れるようになったのは、103系時代の晩年の頃でした。


上の写真よりやや後年でしょうか。この写真だけリバーサルで、300mmを使っています。手前に邪魔するトラックですが、今となっては懐かしい型ですね。


昭和56年頃の写真でしょうか。ある程度の望遠レンズを使用しているので、多分その頃ではないかと。赤羽駅では、「赤羽線」は7番線1本で折り返し運転され、島式の8番線は同線からの直通貨物の通過専用線となっており、危険防止のため金網が張られていました。写真は、東北新幹線・通勤新線(現在の「埼京線」の仮称)の建設工事が始まるため、この貨物線が撤去された後だということがわかります。

今回仕上がった写真を見ていて、自分でも楽しくなってしまいました。車輌的にもそうですが、駅の風景が大幅に変わってしまうこともありますし、そういった意味では駅撮りも記録の手段として重要なのかなぁと改めて思います。
今でこそ「赤羽線」という名称でさえ忘れられてしまっていますが、山手線の一員として活躍した同線の103系は、「埼京線」と名を変え発展的に消えていきました。

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ローカルな風景 第16回 (島原鉄道)

2007-04-20 22:50:19 | ローカルな風景
こんばんわ。

今日は1枚物になりますが、ローカルな風景の第16回目として「島原鉄道」をお送りいたします。

私が国鉄職員時代、入社6ヶ月経ってやっと全国パス(年2回まで使用可)を手に入れる資格ができたのですが、なんと、約2ヵ月後のダイヤ改正(57・11)とあわせて制度が見直しされ、全国パスの交付が廃止になってしまうことになりました。国鉄に入社したことの大きな目的の一つが、あっさり奪われてしまうことに。
未だ入社半年後のことでしたので、先輩方に遠慮して有給休暇など取りづらかったときですが、先輩方もその気の毒さに同情してか、旅行のための休暇を快く承諾していただきました。(交代制勤務なので、長期休暇の取得は難しいのです。)そして、1ヶ月先輩と結託して、九州旅行に出掛けていくことになりました。

前置きが長くなりましたが、九州を1週する行程の中の1つである「島原鉄道」に乗ったときに撮った写真です。


昭和57年11月26日 諫早駅にて

島原鉄道に在籍したディーゼル機関車と国鉄キハ55タイプの気動車です。ディーゼル機関車は、確か3両が在籍していたかと思います。そして、キハ55タイプの気動車は、かつて国鉄の気動車列車に併結され、乗り入れていました。

この時は、長崎市内を早朝から観光し、その後島原鉄道の島原外港駅まで乗り、天草五橋を渡って国鉄三角線へ抜け、熊本に宿泊するという結構な強行スケジュールでした。一緒に同行した先輩が鉄ではなかったので、あまり鉄道写真の撮影に付き合わせるわけにも行かず、撮った写真がこの1枚だけということに。

「島原鉄道」の一部区間が廃止になるとか。鹿島鉄道、くりはら田園鉄道もとうとう廃止となり、茨城交通も廃止に憂き目にあっています。全国的にローカルの存続が難しいようですが、いま車を運転できる世代の方が歳をとったとき、少子化で運転人口が減ることも予想されます。本当に廃止してしまって良いのでしょうかねぇ。
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