今朝は、ダスキンモップの提出日。
やたら早朝、5時過ぎから、せっせと掃除。
(この日まで、自分の掃除エネルギーをかなりチャージしていた)
階段を拭いていて、ふと思った。
ブログにはキレイごとは書くが、決して汚いことは書いていない。
それは、あえて、だ。
(あ、これ、掃除のことじゃなくって、心や、行いのことです)
自分には汚い、醜いことがあるが、はっきりその内容を書いても、なんのメリットもない。
が、ウソは書かない。
「自分は、汚くありません。これっぽっちも正しくないことは、していません」
とは、書いていない。
人さまの前で、懺悔する気もない。
自分の胸の中だけで、している。
わざわざ声に出したり、言葉にしたり、文字にしたり、わたしはしない。
そうすると、結果的に、美しいこと、正しいことだけが、文字として残る。
正しいことも、決してウソではない。
ただ、少々演出過剰なときもある。
わたしは、はっきりとした宗教心が、あるわけではない。
(おぼえおげには、あるだろうけれど。冠婚葬祭のうち、葬式だけ仏教・日本人的・消極的信者)
あえて言えば、自分を信じるしかない。
そして、自分ほど信じられなくて、あてにならない、いい加減な人間はない。
でも、それが、自分なんだから、しかたない。
そんなサボリな自分でも、たいして、キライでもない。
目を背けようにも、真実は正面から受け止めるべき。
だって・・・
「できるけれど、したくない。でも、しなければならない。さあ、どうする?」
→これなら、苦悩もするけれど。選択肢あり。
「したいけれど、できない。しかたない」
→これだったら、苦悩のしようがない。選択肢なし。
「でも、どうやったら、できるようになるか」
→これで、新たな苦悩が誕生する。
これを、実に真剣な、まじめな顔をして、モップがけをしながら考えていたら、
あら不思議、大嫌いな掃除が、どんどん進んでいって、制限時間いっぱいまでに終了した。
次の掃除の時は、なにをテーマに、眉間にシワをよせようか。
楽しいテーマでも可。
要は、大嫌いな掃除が、終わればすべてよし。
わたしのモップ義務は果たした。