蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

神経が、ないのかもしれない

2012-06-24 | 日々のこと

昨日は、とてもお疲れの土曜日だった。

母と義姉とのランチの後、性懲りもなく、ダンスパーティに参加した。
ランチ終了は午後1時から2時ぐらいだと予想して、それからの予定を組んだ。
なので、家から、ダンスシューズとドレスを、大きめのバッグに突っ込んで行った。

ランチ(展示会つき)だけだと、せっかく都心まで出てきているのに、その後の時間がもったいない。
義姉は、その足で、義姉の実家に、お父さんのご機嫌伺いに向かったようだ。
我々世代は、やはりまだ、元気もりもりで、一度にいくつもの用事をくっつけて片付けてしまう傾向がある。

わたしの場合、2つでは済まず、3つも4つも、くっつけてしまうので、
帰宅した後、恐ろしいほどの疲労感に見舞われる。
帰宅して、ばたばたと洗濯物を取り入れ、片付けると、しばらくは呆然として動けない。
1日中、酷使した足が、めちゃくちゃ痛い。
靴が合ってない。
わかっていながら、そんな靴を選ぶ自分が、アホまるだし。

もう、そう若くないので、そのときは、よくても、あとのことを考えて、行動しないといけない。

昨日のパーティは、その場によく居続けられるなあと自分でも思うぐらい、さんざんで
もう、しばらくはパーティ休業宣言をしよう、と、昨日はこころに誓った。
が、今日にはもう、そんなことは忘れている。
回復力があるというか、執着心がしつっこい、というか、一度、走ると、激突するまで止まらない、わたしの性質。
とりあえず、その、わたしをひっぱってくれる、なんだかよくわからない、熱情、やる気に、
行けるところまで引っ張っていってもらう予定だ。

しかし、それにしても、わたしは、こころがタフだ。
どうタフかと言うと、誰になにを面と向かって、ショックなことや失礼なことを言われても、めげない、くじけない。
その場では、ちょっと、しょんぼりし、帰宅してからは、二度ともう行かない、と思うのだが、
また、再生力が働き、むくむくと、もとの丈夫な、厚顔無恥なわたしに戻る。
ゾンビか、ロボコップ。(→この例ばかりだ)

突き抜ける天然のヒミツは、ここにある。
恥知らず。この一言に尽きる。

こころが、ぼろぼろになるには、かなりのダメージがないと、傷つかない。
これを、無神経、とも言う。

そのかわり、自覚せずに、ひとを傷つけている可能性もある。
(極力、なにも言わないように、口をぎゅっと押さえつけているのだが、押さえきれないこともあるかも知れない)


人間には2通りある。

神経質なひとと、無神経なひと。
わたしは、明らかに後者だ。

長所と短所は、裏腹。表裏一体。
なので、無神経なわたしは、気遣いがない。ひとの痛みもわからない。
これは、訓練したり、学習したり、シュミレーションを繰り返したりして、身につけるしかない。
このままでは決していいとは思っていない。
なので、もっと自分を向上させるよう、努力しなければならない。
でも、その場にならないと、実際に体験しないと、ぴんとこない。

脳の神経の一部が、生まれつき、破壊されているのではないかと自己分析する。
神経がぴりぴりしてオーバーワークして破壊されるのなら、わかるが、
無神経というのは、もともと神経自体がない可能性がある。

なので、人工の補聴器やら、義足やらをつける、そんなノリで、
人工の神経をつけないといけないのかも知れない。
でも、自分に人工装置をつけるという、そんな気がないので、無神経のまま、一生を過ごすことだろう。

かなわない老人として、鼻つまみとなり、隔離された老後を過ごすことだろう。
それを覚悟して、人工神経をつけないでいよう。
それもさることながら、人工知能も装着しないといけない。

こんな話は、実際に肉親のことで困っておられる方がお読みになると、じつに神経に障ることとなるだろう。
気を悪くされたら、ごめんなさい、スルーしてください。


あいかわらず、好きなことを入力すると、こころ、さわやか、気分すっきり。(でも、ちょっと気にしつつ・・・)
詰まっていたものが、勢いよく通るような気がする。
小説チマチマとは大違い。

いま、雨が降ってきたようだ。
明日の天気はどうなのか、知らないが、明日も、いい日でありますように。

 

 

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