蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

一度でいいから、憧れのひとと・・・

2012-06-26 | わたし

ある方の小説を読んだ。

わあ、いいな。
こんなシチュエーション。

好きな人から告白され、交際がスタート!!
わあ、わあ、わあ。

残念なことに、そういう経験は、わたしは一度もない。
そして、今後、おそらく一生ないだろう。

きちんと告白されて交際がスタートする、という、至極、ちゃんとした、そういう交際。
別に順序がちゃんとしてなくてもいいから、せめて、好きな人とお付き合いしてみたい。
好きになってから交際・・・これが、一回してみたい。
死ぬまでの課題。夢として、とっておこう。

交際してから好きになるケースが多い。
好きでもないのに、普通は交際しないんだろうけれど、わたしの場合、おかしいのだろうか。
だって、好きな人は、交際してくれないんだもの。
ダンスと同じだ。
上手な人は、踊ってくれない。
ヘタな人しか踊ってくれない。

男女交際(この表現、すごいです)においては、おそらく似たモノ同士が付き合うのだろう。
憧れの人は付き合ってくれなくて、自分と同じレベルの分相応な人と付き合う。
なんか、小さくて、かなしいなあ。

歪んだ人には、歪んだ人がお似合いなのかなあ。
まともな人と付き合うには、まず、自分がまともな人にならなければならない。
(これ、ダンスと同じ。上手い人と踊ってもらうには、自分も上手くならないと踊ってもらえない)

昔、姉のだんなさんを見て、とても羨ましく思った。
いいなあ、こんな人が、だんなさんだったら。
でも自分は・・・
いやいや、レベルの高い人の相手は、やはりレベルが高い。
低いレベルの人間が高い人を羨ましがるヒマがあれば、自分も高まればいいのだ・・・・が。
向上する努力を惜しみ、低いレベルの者同士である自分を見て、
「我々は、割れ鍋に綴じ蓋だ」と無理に納得しようとする。
というか、相手に文句が言えないのは、努力しない、自分のせいだ。

それに、見方を変えれば、視点の転換で、ころっと評価が変わる。
横から見たら、Aさんの方がカラダが大きい。
でも、上から見たら、Bさんのほうが、頭が大きい(カラダは見えない)。
下から見たら・・・
斜めから見たら・・・

まあ、そんなもの。

あるいは、それぞれの得点を比較して、総合評価しようとする。
駅前の物件は面積が狭い。広いところは、高い。
交通が不便なところは、安い。築年数は、浅いほど高い。
面積、立地、価格、建物、それぞれをトータルに考えて、
自分でどれぐらいのお金を出して、どの物件を買うか、調整する。
それに、似ている。
自分が重きを置くものはどれか、妥協できないポイントはなにか。
逆に、目をつぶるものは、なにか。
優先順位をつけて、自分であれこれ考える。
(その時点で、純愛路線からすでに脱落している。
あ、これ、結婚を決める場合だった)


やっぱり、なんでもかんでも、自分に返ってくる。
自分が変わらなければ、人も変えられない。
自分が変わらないで、人に変わってほしいと願うのは、片手落ち。

人の恋愛を羨ましがって(たとえ、小説のなかのお話でも)
自分は努力しないんだったら、やっぱり、小説のなかで、自分の理想を昇華するのが楽。
でも、わたしは、ものすごく現実主義なので、恋愛ってよくわからない。
恋愛に対して、夢がないのだ。

感受性はあるが、努力と、智恵が足りない。
なによりも、やる気、根性がない。
試合が始まる前から、放棄している。

タナぼたで、恋愛がうまいぐあいに、転がり込んでくる、なんてことは、わたしに関してはありえない。
恋愛に関しては、語れない、かなしい人であります。わたし。
(だから恋愛小説は絶対に書けない)


ちなみに、今、書いている小説、純文学からエンタメに変更しようと思う。
安物の漫画みたいな展開になりそうなので。
しょせん、わたしは、恋愛ものには程遠く、
サッカリンをどばどば入れたお菓子か、味の素をがんがん入れた和食、
そんな作為的な話しか書けそうもない。

天然の素材そのものの持ち味を活かした、うす味で、奥行きがあり、十分おいしい・・・
のとは正反対だが、それも個性。

話は、戻って・・・
自分にはないものを小説で疑似体験できるなんて(方法としては安易だけれど)、ステキ。
ああ、わたしも、好きな人に告白されて、交際したい。
一生、無理。(あ、これ、さっき、書いた)

 

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