ある方の小説を読んだ。
わあ、いいな。
こんなシチュエーション。
好きな人から告白され、交際がスタート!!
わあ、わあ、わあ。
残念なことに、そういう経験は、わたしは一度もない。
そして、今後、おそらく一生ないだろう。
きちんと告白されて交際がスタートする、という、至極、ちゃんとした、そういう交際。
別に順序がちゃんとしてなくてもいいから、せめて、好きな人とお付き合いしてみたい。
好きになってから交際・・・これが、一回してみたい。
死ぬまでの課題。夢として、とっておこう。
交際してから好きになるケースが多い。
好きでもないのに、普通は交際しないんだろうけれど、わたしの場合、おかしいのだろうか。
だって、好きな人は、交際してくれないんだもの。
ダンスと同じだ。
上手な人は、踊ってくれない。
ヘタな人しか踊ってくれない。
男女交際(この表現、すごいです)においては、おそらく似たモノ同士が付き合うのだろう。
憧れの人は付き合ってくれなくて、自分と同じレベルの分相応な人と付き合う。
なんか、小さくて、かなしいなあ。
歪んだ人には、歪んだ人がお似合いなのかなあ。
まともな人と付き合うには、まず、自分がまともな人にならなければならない。
(これ、ダンスと同じ。上手い人と踊ってもらうには、自分も上手くならないと踊ってもらえない)
昔、姉のだんなさんを見て、とても羨ましく思った。
いいなあ、こんな人が、だんなさんだったら。
でも自分は・・・
いやいや、レベルの高い人の相手は、やはりレベルが高い。
低いレベルの人間が高い人を羨ましがるヒマがあれば、自分も高まればいいのだ・・・・が。
向上する努力を惜しみ、低いレベルの者同士である自分を見て、
「我々は、割れ鍋に綴じ蓋だ」と無理に納得しようとする。
というか、相手に文句が言えないのは、努力しない、自分のせいだ。
それに、見方を変えれば、視点の転換で、ころっと評価が変わる。
横から見たら、Aさんの方がカラダが大きい。
でも、上から見たら、Bさんのほうが、頭が大きい(カラダは見えない)。
下から見たら・・・
斜めから見たら・・・
まあ、そんなもの。
あるいは、それぞれの得点を比較して、総合評価しようとする。
駅前の物件は面積が狭い。広いところは、高い。
交通が不便なところは、安い。築年数は、浅いほど高い。
面積、立地、価格、建物、それぞれをトータルに考えて、
自分でどれぐらいのお金を出して、どの物件を買うか、調整する。
それに、似ている。
自分が重きを置くものはどれか、妥協できないポイントはなにか。
逆に、目をつぶるものは、なにか。
優先順位をつけて、自分であれこれ考える。
(その時点で、純愛路線からすでに脱落している。
あ、これ、結婚を決める場合だった)
やっぱり、なんでもかんでも、自分に返ってくる。
自分が変わらなければ、人も変えられない。
自分が変わらないで、人に変わってほしいと願うのは、片手落ち。
人の恋愛を羨ましがって(たとえ、小説のなかのお話でも)
自分は努力しないんだったら、やっぱり、小説のなかで、自分の理想を昇華するのが楽。
でも、わたしは、ものすごく現実主義なので、恋愛ってよくわからない。
恋愛に対して、夢がないのだ。
感受性はあるが、努力と、智恵が足りない。
なによりも、やる気、根性がない。
試合が始まる前から、放棄している。
タナぼたで、恋愛がうまいぐあいに、転がり込んでくる、なんてことは、わたしに関してはありえない。
恋愛に関しては、語れない、かなしい人であります。わたし。
(だから恋愛小説は絶対に書けない)
ちなみに、今、書いている小説、純文学からエンタメに変更しようと思う。
安物の漫画みたいな展開になりそうなので。
しょせん、わたしは、恋愛ものには程遠く、
サッカリンをどばどば入れたお菓子か、味の素をがんがん入れた和食、
そんな作為的な話しか書けそうもない。
天然の素材そのものの持ち味を活かした、うす味で、奥行きがあり、十分おいしい・・・
のとは正反対だが、それも個性。
話は、戻って・・・
自分にはないものを小説で疑似体験できるなんて(方法としては安易だけれど)、ステキ。
ああ、わたしも、好きな人に告白されて、交際したい。
一生、無理。(あ、これ、さっき、書いた)