感情移入って、なんだろう。
昨日のブログでは、なにげなく使った言葉だが、意味を考えてみた。
あんまりアタマを使わなくても、すらすら読める、ということ。
それを感情移入と表現したような気がする。
なぜなら、考えなくても意味がわかる、ということは、同じような考えやフィーリングを持っているから
いちいち翻訳ソフトを使って、言語の意味を自分にわかる表現におきかえなくてもいい。
わたしは、読書嫌いで、小説も読まないし、書いたことは、ほとんどないに等しい。
(ある、と無理に言ったとしても、つい最近、しかも、ほんのさわりだけ、しかない)
たまたま、わたしが読んだ小説も、小説初トライの方の作品。
なので、初心者コースなのかも知れない。
だから、読みやすかったのかも知れない。
読みやすい=感情移入しやすい
と捉えたが、単語や表現が、よく一般的に使われる、誰にでもわかるようなものなので、
読みやすく、立ち止まることなく読み進むことができる。
これは、あまり深く考えないで、勘違いしてしまう、擬似恋愛感情にも似ているのかも知れない。
やさしくされた=好き
みたいな。
よくよく考えてみると、感情移入というよりは、
読みやすい、意味がよくわかる、理解できる、というほうのウエートが高い。
主人公は、わたしとは正反対のタイプなので、
主人公の考えや行動に感情移入する、というには、なんかツジツマがあわないような気がする。
でも、自分は性格的には正反対であっても、
使っている言語が同じというか、同じ母国語を話すというか、同じ時代に生きてきたというか、
主人公のおかれている環境が、説明が加われば加わるほど、すんなりとてもよくわかる、というか、
説明されても、されなくても、わかっているというか・・・
・・・・・なんと言えばいいのか・・・
安心できるのだ。
(ただし、しつっこいようだが、わたしは、主人公と自分とは、おそらく正反対のタイプ)
あとは、主人公が、ものの見事に期待を裏切ってくれることなのだが、
優等生タイプのこの主人公が、はたして、期待を裏切ってくれるかどうか・・・
今後の行方を見守りたい。
さて、もう一方・・・
難解なものは、ハイリスク、ハイリターンだ。
読み手が、途中で挫折して、座礁して、木っ端みじんに砕けて、空中分解してしまうか、
あるいは、空に散ったはずの、砕けた塊りのひとつが、いつまでも、こころに残るか、
難解のまま丸のみして、時間をかけて胃袋の中で少しづつ溶けるか。
どれかだ。
読書も映画も絵画も、いろいろ鑑賞方法や感じ方は、人それぞれ。
その人にあった作品を、その人に合った鑑賞方法で、楽しむのがよくて、
統一された基準なんてない。
まったくの初心者が、まるでどこから手をつければいいのか、アプローチの仕方が皆目わからないという場合、
参考に、人の鑑賞方法を知る、という場合も大いにありえる。
わたしの場合、
こころに残る→そのはずが、しばらくすると忘れてしまう→でも、気づかないうちに身になっている
こころに残らない→素通り→わかってない
まったくわからない→心に残る
別の時期に見ると、別の見方をする、
別のアプローチ方法で、再発掘、再発見、再認識ということも、あるだろう。
ああ、アタマがこんがらがって、
これこれが、こうです!と、ちゃんと具体的に自己分析できない。
そうそう・・・
わたしの、へんてこ小説のことですが・・・
わたしのブログを知る、ある近しいリアル人、Kさんに
「小説、読んだよ。おもしろいね。あれ、私小説でしょ」
と言われた。
なんで、あれが私小説やねんっっ
「失礼なっっっっ」と、思わず叫んでしまった。
Kさん、あれは、ジョークですよね?
「もう、やめるかもしれない」
とグチったら、
「やめずに、最後まで書いたら」
とススメられた。
(気楽に、人のことだと思って・・・)
私小説だとおっしゃっていただいたKさんへ、
あなたの期待を裏切れるものが、書けるでしょうか?
自信ないです・・・