なにげなく、お気に入りブログを巡回していたら(4つほどあります)
そのうちのひとつに、確か前に、記憶違いでなければ、わたしのブログとリンクされていたように思ったが、
今朝、何気なく見てみると、リンクから、はずされていた。
べつに、いつも、ひとさまのブログのリンクを細かく、いちいちチェックしているわけではないが、
たまたま偶然、見つけた。
ほんの一期間でもリンクしてくださるというのは、光栄以外のなにものでもない。
快く、うれしくお引き受けした。
が、その後が、きっとよくないのだろう。
せっかくリンクしてくださっているのに、見に行ってもコメントも残さず、読み逃げばかり。
それが続く。(じつは、ずーーーっと長い間、続いていた・・・)
そして、自分のブログは相変わらず、自分のことばかり。
そりゃあ、つまらんわい、となるだろう。
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タンスに入りきれなくなった衣類。
どんどん欲しくなる新しい洋服。
服があふれかえってくる。
前の着なくなった服を処分しないと、収納しきれない。
では、とりあえず、この服、捨てとこう。
ほとんど袖を通さなかった新古品だったかもしれないけど。
蝶柄でちょっとユニークかなと思ったけれど、着にくかったし。
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ここの業者、営業に最近、来ないし、他の業者は頻繁に色々持って、挨拶に来る。
値段も品質も、別に抜きんでていないし、なによりも、慣れっこになっているのか、やる気がないのか、
担当者は顔も見せないし、べつに親戚でもなんでもないんだし、義理もない。
あえて、取引を続ける義務もない。
いま、積極的に働きかけてくる新しい業者に切り替えよう。
「こんにちわー。○○商会です」
久しぶりに顔を出すと、なにかシラけた、気まずい雰囲気が漂う。
「悪いねー。△△商事が、無理やり取引に来てねえ・・・」
と、言い訳がましい顔で、追い払われる。
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まあ、そんなかんじだろうか。
自分に危機感がないというのも、ひとつの原因。
そしてブログも生き物なので、未来永劫にブロガーさん同士、絆が続くなんてこともありえない。
お互い、変化していく。
この広い地球、宇宙のなかで、永遠にまったく交わらない、接点のない人がほとんどなのに、
変化途中の一点でも、交わる時期があれは、それだけで、十分。
出会いは、ほんの一瞬でも、宝物になる。
なので、一期一会みたいなかんじで、今を大切にしたいなあ・・・と感じる。
大切にしていると、それが線となって、つながるような気がする。
ただ、行動に移さないので、相手にはわからないのが、わたしの難点。
それと、発火装置が接触ミスを起こして、線が切れていることもある。
(サボってる、寝てる、ぼーーとしてる、ほかのこと考えてる、べつのことしてる・・・)
装置が動いていないまんま、気が付かない。
で、久しぶりに顧客訪問、営業に出ると、自分は切られていたことに気づく。
もっとマメに、相手にわかるように行動しないと、結果に出る。
(「結果なんか、いいじゃないですか、そんなこと、気にするなんておかしいですよ。本末転倒」、と、神の声)
あのブロガーさん、このブロガーさん、今のわたしのお気に入りのブロガーさんの顔がうかぶ。
(実際の顔は存じないが、イメージして、わたしが描いている顔が、それぞれにある)
あの人にも、この人にも、そのうち、切られちゃうんかなあ。
足しげく通っても、なんらかの足跡を残していかないと、
残金ほんの少し、またはゼロの預金通帳の口座が、一定期間、取引履歴がないと抹消されてしまうように。
想いだけでは、ひとには伝わらない。
行動なり、アクションを起こさねば。
などと、長々、ブログに書く手間隙があれば、
ほんの一言、おジャマしたブログにコメントを残していけばいいんだけれど、
それがなかなか、気分屋で、厄介なわたしだ。
この記事、すごくおもしろい、と訪問先で感じているのに、コメントを残さないわたし。
自分の言うことを聞いてくれない自分は、もはや、わたしの手から離れ、
自分じゃない、たんなる、「気ままな、やっかいな人」になっている。
ちょっとだけ追記。
アメリカで、庭・家のメンテナンスに精を出している某さん。
表現方法と思考回路が、とてもツボの、読書家・某さん。(これじゃ、だれのことかわかりませんね)
教職をお持ちで、謙虚な某さん。(これも、わかりにくいですね)
いつも、こっそりお邪魔してます。
わたしをファイヤーしてくださった某さん。
ときどき、見に行ってました。
怨みつらみはありません。(ほんとに、ほんとです)
「某さん」→どの某さんも、匿名にする必要性は、まったくないのですが、まあ、今日は、そういうスタンスで。
わたしの手を離れた気分屋は、意味なく気ままに、勝手に書くので、ほんとうに困りものだ。