最近、ご近所ブログ回りが、日課となりつつある。
まえも、お気に入りブログを見に行っていたが(引き続き、見に行っている)、少し感覚が違っている。
なんて言えばいいのか、「ご近所ブログ」なるものの登場だ。
これは、わたしにとっては、新しい響き。
実際のリンクとはまた別の・・・微妙にリンクしている、というか、影響を受けているというか、
うーーーん・・・
例えてみると
どこどこのカラダの具合が良くない。
薬やあれこれ、試してみているが、どうも調子が良くないという人がいる。
その人に、「この漢方薬、けっこう効くよ、試してみて。ダメもとで」
と、お互い、あまり期待せず、体験から来るオススメのものをそっと差し出す側と、受け取る側。
(ここは、「そっと」というところが、肝心。
押し付けや、効果をしつこく確認するのはNG。
ましてや、効き目があったからといって、どや顔は厳禁)
そおっと、あとで、様子を見に行く。
あ、どうやらよくなっているみたい。
あるいは、あんまり変化がないみたい。
または、他の人のオススメ方法で、改善されたみたい。
なによ、わたしのあげたあの漢方薬はどうしたの?!ぷんぷん!
なんてことは、まったく感じず、あらま、そうなの。どっちにしても、よかったね。
改善されていないとしても、まあ、様子をみましょう、
みたいなかんじで、
やいやい、わいわい、騒がず、静かに観戦、いや、見守る。
↑この例えは、よくなかった。わかりにくいし。
では、別の例えで。
このごろ、なになにが、流行っているらしい。
だれそれも買った、使った、もらった、捨てた、拾った、なんじゃらかんじゃら。
ご近所で話に花が咲いている。
へえ~、そんなのが流行っているのか・・・
ひとつ、今度、どこやらに見に行ってみよう。
こっそり、ひっそりネタを仕入れ、皆の感想と照らし合わせてみる。
「ねえ、買った? 見た? まだ見てないの? 知らないの?
はやく見なさいよ! いつ見る? いっしょに行ってあげるわ!!」
ではなく、あくまでの、個人のペースや趣味や都合で、取り入れる。
うううーーんん・・・この例も、わかりにくい・・・。
わかりにくい例ばかり出して、読んだ人は混乱するばかり。
だいいち、自分自身が混乱している。
早い話が、
あまり人の流れに呑み込まれないけれど、でも影響を受け、自分流に取り入れ、フィードバックし、・・・
(あんまり早い話でもないか・・・)
ゆるやかな自由度の高い参加とでもいいますか、でも、とても興味深い、
自分にとって、おもしろい動きだってことだ。
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せっかく、ここまで話をつたないなりに舌足らずで説明してきて、たいへん、遺憾に思うのだが、
突然、別の話がしたくなった。
(すみません)
わたしは、恋愛小説は、ほとんど読んだことはない。
かったるい。
(でも、一時期、「冬のソナタ」の時間帯には、テレビにべったり釘付け。
ものすごく笑ってしまうほど、わたしは超凡人だ。いいように言えば、素直なこころの持ち主ともいえる)
ましてや、不倫ものは、大嫌い。
しかも、素人(女性)の書く不倫ストーリーほど、おもしろくないものはないと、思っている。
深い哲学が潜んでいるならいざ知らず、
次々に登場するつまらん男と、ただただ、ああした、こうした、だらだら、小学生の日記のように。
備忘録か?
しかし、そんなこと、覚えておく必要はあるのか?
むしろ、忘れたほうがいいのでは?
書く人は、なにがおもしろくて書くのか、まったく理解に苦しむ。
これは、個人の好みなので、書く側も、キライだなんて、面と向かって言われる筋合いはない。
キライなら読むな、来るな、近寄るな、ということだ。
おたがいさまだ。
こうやって、隔離大作戦の結果、平和は保たれる。