蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

夏の生ゴミは、腐るのが早い

2013-07-12 | 人生

ご近所ブログ以外のブログをちらちら見ていると、
なんだか眠くなってきた。
首かっくん。舟こぎ。

なんでだろ?
あ、きっと、年齢の違い。
なので、興味の対象が違うし、行動も違う。
だから、眠くなるんだろう。

年齢って、大きい。
個性がみんな違うんだから、年齢も関係ない、と言いたいところだが、
いやいや、年齢は、非常に絶対的な要素、影響をもつ。
人生経験や、それにともなう精神年齢もさることながら、カラダの絶対年齢というものは、動きようがない。
肉体!!健康!!
はずすことのできない重要不可欠キーワード。

健やかな精神は、健やかなカラダに宿る。
かといって、病気がちな人が、暗くてだめ、なんて、まったく言っていなくて、
病気の人はほんとうに、その気力、頑張りにはアタマが下がる思い。
生活の芯、軸となる、行動力の原点であるカラダが、自分の思い通りにならないのだから。
こんな苦痛に耐えることは、筆舌に尽くしがたい。


年齢が違うということは、
子供の年齢も、子育ての段階も違うし、親の年齢も違う。
そのあたりで、生活が全然、違う。
なにを中心に回っているかという、軸になるものが違う。
同じように仕事をしていたとしても、
働く意味や、働き方まで違ってくるような気がする。

足腰が動くうちに・・・と、耳年寄りのごとく、多くの人が言っていることを見聞きしていたものの、
知識のうちのひとつとして他人事のように思っていた。
自分のこととして捉える時期が、ほんとうに足音を立てて刻一刻と近づいていると実感する。

こんなキモチは、若い人にはわからない。
ほんの少し前の自分でさえ、ぜんぜんピンときていなかったのだから。

キモチが醸成され飽和状態になり、さあやるぞ!!と、やる気にミチミチあふれてきたというのに、
その段階では、カラダが言うことをきかない。
「ほんと、人間は愚かだね」、と、言うために、神様は出現し、愚かな人間を赦してくれるのか。
はたまた、あざ笑うのか。

はやばやと気付く人は、カラダが動く間に、とっとと計画を立てて、そこそこ満足のいく人生を送っていることだろう。
ただし、強欲にまみれている人(わたしのような)は、どんなに好き勝手しようが、
人生、悔いがなかった・・・と、爽やかに言い切れないだろう。
執念、執着が、たっぷりあることだろう。
自分の「欲」に対しての、執着である。
この際、人なんか、どうでもいい。

あきらめのいい、爽快で、すっきりした、澄み切った秋空みたいに、
目の前にあるであろう黄昏の草木、枯れ枝を眺めていたいものだ。
カサカサ踏むと、壊れ砕け散る枯れ草。
が、それは、無理。
ぬめっ、じとっ、べちゃっとした、何層にも重なり吹き溜まる濡れ落ち葉のごとく・・・だろう。
そして、なんども言うが、対象は他人ではなく、自分。
所詮、わたしは自分のことにしか興味がないのだ。

他人は、自分を確認、認識するため、客観視するための、ツール、測りにすぎない。
なので、羨ましいとか、妬ましいとか、思わない。
わたしより若い人たちは、いずれ、あなた方も同じ道。
わたしよりうんと年上の方々は、・・・うーーん・・・、
ああいうふうにはなりたくないが、あれが現実・・・と、冷静に自分の将来の姿をさらしてくれる。
なかには、あんな枯れ方、そして最善のこの世の去り方をしたいものだと、理想を描くが。

生臭いわたしには、しょせん無理だろうけれど。
腐敗臭がしないように、消臭剤をふりかけようか。

自分の人生の夏はとっくに過ぎているが、
季節が過ぎても賞味期限切れのナマモノを抱え、暑苦しいなか、さ迷っている。
クールな季節が一日も早く来ることを待ち望んでいる・・・
のだが・・・。

暑苦しい・・・。

 

 

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