わたしのブログ・・・つまらんねえ。
エッセーにランキングされているブログは、正統派。
わたしのは、ちょっと、エッセーっぽくない。
自分のことばっかり書いている。
そもそもわたしは、自分の位置を見誤っている。
それは、幼少時代からである。
小学校~中学校と、クラスに秀才がフツーにごろごろ混じっていて、
学校も、全国の教育機関のトライアル試験校みたいなもので、
先生達が全国からぞろぞろ視察や研修にやってきて、新しい試みを先駆けてやっていた。
生徒は、モルモットだ。
で、モルモットでガキんちょのくせに、先生やら教育をなめていて、
そのくせ、自分(わたし)の成績は、めちゃめちゃ悪くて。
自分は、落ちこぼれなんだけど、まわりは、どうも、普通とは違うようなかんじ。
つまり、世間一般的なスタンダード、真ん中がない。
勉強はするものの、デキはイマイチ、という学生はいても、
人生を捨てている不良は、いなかった。
ほんとうは、いたのだろうけれど、
成績上位にいる人は目に入るが、下位にいる人は、発言もしないし目立たないので、目に入らない。
下位の子は、学校では不良にはならなくて、卒業して学校から消えていってから、
どこかで不良になっているのかも知れない。
少なくても、在籍中は不良にはなれない、そういう雰囲気だ。
彼らは卒業してから一度たりとも姿を現さないし、音信不通だ。
学校の適正基準からはみ出し、学校が大嫌いだったと思われる。
わたしも、はみ出していたけれど、学校のほうが、家より、まだマシだった。
というわけで、下位の人々は、存在感がなく、いないようなものだったので、
視界に入る、まわりには、フツーに偉い子がわんさかいるが、
いざ、自分の実力を実感すると、奈落の底。ひゅーん。どっかーーん。
普通の、明るい無邪気な、あどけない、お嬢さま笑顔とか、小さい頃から無かったというわけだ。
このヒネ根性。
お金ではない。親の職業でもない。ルックスでもない。性格でもない。運動神経でもない。
成績に支配される社会・・・ううう・・・
純粋に自分だけの力で、競争。
成績絶対主義・・・・落ちこぼれ・・・る・・・
なかなかトラウマが、治らない。
なので、ママ友たちの争いとか、ぜんぜん、ぴんと来ないし、どうでもいい。
わたしの観点と、まったくズレまくっている。(わたしが、ズレている)
家がどうとか、服がどうとか、食べ物がああ、とか、まったくといっていいほど、どうでもいい。
競っている人たちを見ると、宇宙人を見るかのごとく。
だが、トラウマが成績部門だからといって、子供の進学や成績で競うかというと、そんなことは、しない。
自分と子供は、別人格。
あり地獄、砂に呑まれてしまうようなことは、しない。
興味の対象は、自分。
自分は、どうなのか?ってこと。
まあ、誰でも脛に傷を持つ。
とっくに定年退職した男性たちも、リタイア生活を十二分に満喫している人も、
まだ、とうに過ぎ去った現役時代の、会社での不満がくすぶっている人がいる。
自分への評価に,納得がいかない。
もう、済んだことなのに。
それと似ている、わたしも。
もう済んだことなのに、いまだにうなされている。
一生、そうだろう。
歪んでしまったものは、なかなか直らない。