じつは、わたしは楽しく毎日を暮らしている。
んで、ああ、楽しい、なんて楽しいんだろう、
あんなことがあった、こんなことがあった、こんなことをしなくっちゃ、あんなことも、・・・
と、つらつら書いてもいいのだけれど。
リアル面で楽しい状態で完結しているので、書くには及ばない。
もちろん、悲しいことも、腹立たしいことも、その場で完結していることが多い。
書く場合は、それを引きずっている場合、深く掘り下げる場合、
そして、なんにも考えていない場合、場当たり的きまぐれでキーを叩く。
気分屋さんなので。
気分屋さんの割には、毎日、律儀にブログを更新している。
この矛盾。
はい、人間は、矛盾する生き物でございます。
で・・・
ひとのブログは、おもしろいときもあるけれど、
退屈なときもある。
わたしのブログもそう。
最近の、ブログ散歩、お気に入りは、ちょっと前と変わってきている。
前からのお気に入りと、そう遠くはないのだが、
なんというか・・・
芯のあるものが、好き。
おなじテーマ、カテゴリーでも、目線が、びしっとしているものが、気持ちいい。
第三者的目線が、暑苦しくなく、ナマあたたかくなく、媚びも同情路線もなく、
無機質っぽいところが、いいかんじ。
事実だけの追究。
ブロガーさんも、感じたことを書かれているが、どう捉えるかは、読み手の想像の世界。
引っ張られたり、押し付けられたりするのではなく、
お互いの双方からの、共同作業的なテンションが生まれて、気持ちいい。
同じブログでも、記事によっては、キライだなあ・・と思うこともあるが、
読み続けてみると
(なぜか、わたしは、キライでもある程度、読み続ける・・・。大嫌いなものは、もちろん論外)
その人の芯みたいなものが見えてくる。
で、けっこう、共感をもつ。
ただし、共感であって、好感ではない。
読み物というものは、それでいいと思っている。
好感は、だんだん飽きてくる。
なぜなら、なんのお付き合いも、関わりもないのだから。
が、共感は、違う。
発信していることに対して、好き嫌いを越えて、自分のなかで共通するものを感じる。
自分のことでさえ、すごく贔屓目に見ても、嫌いでたまらないことが、山ほどあるのに、
努力してもなかなか直らないことが、わんさかあるのに、
赤の他人のことを、スミからスミまで、大好きでい続けられるはずがない。
なので、好感でなくて、共感でいい。
この人、つまらんことを言ってるな~という日があっても、まったく構わないのだ。
わたしは、もっとつまらんことを言い続けているんだし。
というか、つまらんことを言っているときも、まともなことを言ってることもあり、
それは、支離滅裂に、順不同で、気分屋の特権で、
めちゃめちゃアットランダムに、べらべらつらつら綴っていて、
そのうちのたったひとつの記事を読んでも、わからないはずだ。
(わかる人にはわかるか。
選者が、応募作品に目を通す場合、最初の数行だけで、わかるというし)
で、・・・・・
ブログ記事の「起承転結」の「結」が、本日に限って、わたしには、あるのだが、
あえて書かない。