蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

共感

2013-07-19 | ブログ

じつは、わたしは楽しく毎日を暮らしている。
んで、ああ、楽しい、なんて楽しいんだろう、
あんなことがあった、こんなことがあった、こんなことをしなくっちゃ、あんなことも、・・・
と、つらつら書いてもいいのだけれど。

リアル面で楽しい状態で完結しているので、書くには及ばない。
もちろん、悲しいことも、腹立たしいことも、その場で完結していることが多い。
書く場合は、それを引きずっている場合、深く掘り下げる場合、
そして、なんにも考えていない場合、場当たり的きまぐれでキーを叩く。
気分屋さんなので。
気分屋さんの割には、毎日、律儀にブログを更新している。
この矛盾。
はい、人間は、矛盾する生き物でございます。

で・・・
ひとのブログは、おもしろいときもあるけれど、
退屈なときもある。
わたしのブログもそう。

最近の、ブログ散歩、お気に入りは、ちょっと前と変わってきている。
前からのお気に入りと、そう遠くはないのだが、
なんというか・・・
芯のあるものが、好き。

おなじテーマ、カテゴリーでも、目線が、びしっとしているものが、気持ちいい。
第三者的目線が、暑苦しくなく、ナマあたたかくなく、媚びも同情路線もなく、
無機質っぽいところが、いいかんじ。
事実だけの追究。
ブロガーさんも、感じたことを書かれているが、どう捉えるかは、読み手の想像の世界。
引っ張られたり、押し付けられたりするのではなく、
お互いの双方からの、共同作業的なテンションが生まれて、気持ちいい。

同じブログでも、記事によっては、キライだなあ・・と思うこともあるが、
読み続けてみると
(なぜか、わたしは、キライでもある程度、読み続ける・・・。大嫌いなものは、もちろん論外)
その人の芯みたいなものが見えてくる。
で、けっこう、共感をもつ。
ただし、共感であって、好感ではない。

読み物というものは、それでいいと思っている。
好感は、だんだん飽きてくる。
なぜなら、なんのお付き合いも、関わりもないのだから。
が、共感は、違う。
発信していることに対して、好き嫌いを越えて、自分のなかで共通するものを感じる。

自分のことでさえ、すごく贔屓目に見ても、嫌いでたまらないことが、山ほどあるのに、
努力してもなかなか直らないことが、わんさかあるのに、
赤の他人のことを、スミからスミまで、大好きでい続けられるはずがない。

なので、好感でなくて、共感でいい。

この人、つまらんことを言ってるな~という日があっても、まったく構わないのだ。
わたしは、もっとつまらんことを言い続けているんだし。
というか、つまらんことを言っているときも、まともなことを言ってることもあり、
それは、支離滅裂に、順不同で、気分屋の特権で、
めちゃめちゃアットランダムに、べらべらつらつら綴っていて、
そのうちのたったひとつの記事を読んでも、わからないはずだ。
(わかる人にはわかるか。
選者が、応募作品に目を通す場合、最初の数行だけで、わかるというし)

で、・・・・・
ブログ記事の「起承転結」の「結」が、本日に限って、わたしには、あるのだが、
あえて書かない。

 

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村人気ブログランキングへ