ここのところ、状況的に皆様のブログを読む時間がなかったので、
一気に、あちこち、読みまわった。
何作も未読のものもあり、わたしの脳キャパから考えると、
まとめて大量一気読みは、容量オーバーになり、毎日、読むほうがいいみたいだ。
多くの文字を読む・・・読書する人は、素晴らしい。
(ジャッジ・レベル低くて単純すぎるけど、自分にできないことをしている人は、すべて、素晴らしいと、感じる)
文学、作家を志している人も、すごい。
先輩で、学生時代、作家を夢見ている人がいたが、企業に就職して、小説のハナシはそれ以来、聞いたことがない。
日常生活が多忙だと、なかなか、創作と向き合う余裕がない。
電車の中とか、待ち時間に構想を練ったりするんだろうけれど。
アウトプットに至るには、けっこうタイミング的に難しい。
学業をおろそかにして、趣味に走るのも青春のひとコマだろうけれど、
理性と感情のコントロールが、うまくいかず、
それぞれの人生、自分のやったことは、自分に跳ね返ってきて、ああ、やっぱりなあ・・・と、
それなりに、みんな、人生学習していることだろう。
手を変え品を変え、書くことに必死な、修業中とやらの、ある、うんとお若い方のブログを読むと、
テクニックばかりを学んでも、内容が大事だと、素人・読書嫌いのわたしめは、思うのであります。
表現方法もさることながら、書き方ではなく、「何を」訴えたいか。
共鳴してもらえなくても、へんてこなものでも、怪奇なものでも、気持ち悪いものでも、なんでもいい、
自分の世界を書けばいい。
語学もそうだが、幼児並の語彙では、思っていることが、表現できない。
だから、作家などの作品を貪り読む時期というものが、大切なのだろう。
わたしには、残念ながら、そっちの方面は、まるで疎いので(就寝時、文字読みは、1分で熟睡、昏睡)、
頑張ってね、というしかない。
がむしゃらに追究すると、なにかが、きっと見えるはず。
「なあんだ、なにもなかった」・・・そういうものが見えるっていう結論も、おおいにあり。
「やってきたことは、すべて無駄だった」・・・そういう結論に達するのは、無駄ではなく、とても意義がある。
人生に無駄などない、と、わたしは思う。
なにもしないより、するほうが、いい。失敗は、成功の元。
自分なりの哲学みたいなものをつかむ、っていうんですかねえ・・・(なんか、じじむさい表現)
あ、まったくハナシは変わりますが(いつもながらに、唐突に)
ある方は、こうおっしゃる。
人を学歴や職歴、お金があるなしで判断するのは、よろしくない。
行動、内容、中身、人間性で、その人を見ろ。
なるほど、道徳や倫理の教科書にも、教本や経典にも書いてある。
その通りだ。
で、ほんとうに、そのまま、美しく、中身だけを純粋に取り出して、見て、評価、絶賛するとしたら、
いったい、どんな中身なんだろう。
とてつもなく優しい美しい、慈愛と慈悲、思いやりに満ち満ちあふれ、無我で、人のために尽くす。
報酬や見返りも求めず、汗水流して、一生懸命働き、人を責めず、なんの不満も抱かず、安らかなこころを保つ。
欲を持たない、抱かない。身の丈に見合った行動をする。
そんな人は、お釈迦様か、キリスト様か、はたまた、どこぞの神様か・・・?
社会主義の国は、どうも、もひとつぱっとしない。
で、資本主義をテスト的に導入し、徐々に、そして、どんどん競争力が出て労働生産性が向上していく。
自由競争の原理を取り入れないことにゃあ、人間、まじめに働かない。
上を目指すことは良いことだ。
あまり、あくどいのは良くないにしても。
学歴や職歴だけで判断するのは、確かによくない。
だが、学歴や職歴もその人のキャラクターの一部であって、切っても切れない。
学歴や職歴が芳しくない人も、その人のキャラクターの一部だ。
職歴だって、リストラされたり、
組織のためと頑張ってやったことが、収賄罪で捕まってトカゲのシッポ切りをされたり、
輝かしい過去は、一変することもある。
あんまり頑張らなくて、あるいは、頑張ったけれど能力がなくて、ぱっとしない人もいる。
全員がトップにはなれないし、全員が下にもなれない。
能力のある人と、ない人を、まったく同じラインに立たせるとしても、その後は、それぞれの人生。
人生には、運・不運がつきまとう。
皆、自分のことを自分流に解釈すれば、それでいいんじゃないですか。(表現が、じじむさい)
ブランドについて。しつこい追記。
「すっぱいぶどう」でも、いいじゃない?
そう思ったりもする。
庶民には庶民の楽しみ方、人生の極め方がある。
貴族ご用達のブランド品を市場にのせ、世界中からお金をかき集めるのに成功し、
一大企業として今日、確固たる地位を築いたヨーロッパのブランド屋さん。
たんにデザインが好きで、少ない給料の中から、せっせせっせと貯金して、憧れのブランド品を買って、どこが悪い?
ブランド企業の発展、世界経済の活性化に協力しているんだし。
なにも、貴族になったような、セレブになったような気にならなくても、いえ、一瞬でも、なった気になるとしても、
その、欲しいものを手に入れたいという、ウォンツ、これ、大事。
憧れのファッションに身を包む自分を、うっとり夢見る・・・これ、大事。
梅干を眺めながら、ごっくんとツバを飲み込んで、白米を食べる。これ、けっこう美味しい。
馬にニンジン、ぶら下げる。
最近の馬は、舌が肥えて、そんじょそこらのニンジンでは、見向きもせす、嫌々、手を抜いて走るかも。
まあ、わたしは、あんまり、ブランド梅干うっとり嗜好はないけれど。
なので、ブランド品を持っている人を見ると、
「ああ、この人はブランド品が好きな人なんだなあ」と思うだけだ。
グレース・ケリーが、エルメスのケリーバッグを持ち、
オードリー・ヘップバーンがサブリナ・パンツを穿いていると(こっちは、ブランドとは関係ないか)、
まあ、元祖なので、それはそれで、素晴らしい。
庶民にブランド品を売りつける、あの商法に、のっかかるのが、日本人が最も多いそうだ。
それはそれで、また人それぞれ。
ブランドという魔法にかかって、幸せ感に陶酔できれば、それはそれでいいのでは。
どうでもいいことなら、こんなに文字数を割くことはないのに、わたしは、なぜ、こうも、だらだら、しつこく書くのか。
気なるのだろう。
見かけとブランド、ホンモノとニセモノ、外見と中身、学歴・肩書きと内容。
ついでに言えば、金持ちと庶民。お偉い方と庶民。
自由な庶民であるためには、わたしにとっては、作家になるための勉強よりも(もともと、全くしてない)、
世の中の、(くだらない、どうでもいい)いろんなことを研究し、追求していきたいのだ。
こころの解放を求めて、うさんくささを極めたい。
あれ?仙人街道まっしぐらだったはずなのに、いつの間に、怪しい方向へ・・・?
ああ、そうでした。
仙人養成スクールは、ただいま、冬休み中であります。