蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

いんちき庶民

2012-12-20 | 人生

ここのところ、状況的に皆様のブログを読む時間がなかったので、
一気に、あちこち、読みまわった。
何作も未読のものもあり、わたしの脳キャパから考えると、
まとめて大量一気読みは、容量オーバーになり、毎日、読むほうがいいみたいだ。
多くの文字を読む・・・読書する人は、素晴らしい。
(ジャッジ・レベル低くて単純すぎるけど、自分にできないことをしている人は、すべて、素晴らしいと、感じる)

文学、作家を志している人も、すごい。
先輩で、学生時代、作家を夢見ている人がいたが、企業に就職して、小説のハナシはそれ以来、聞いたことがない。

日常生活が多忙だと、なかなか、創作と向き合う余裕がない。
電車の中とか、待ち時間に構想を練ったりするんだろうけれど。
アウトプットに至るには、けっこうタイミング的に難しい。

学業をおろそかにして、趣味に走るのも青春のひとコマだろうけれど、
理性と感情のコントロールが、うまくいかず、
それぞれの人生、自分のやったことは、自分に跳ね返ってきて、ああ、やっぱりなあ・・・と、
それなりに、みんな、人生学習していることだろう。

手を変え品を変え、書くことに必死な、修業中とやらの、ある、うんとお若い方のブログを読むと、
テクニックばかりを学んでも、内容が大事だと、素人・読書嫌いのわたしめは、思うのであります。
表現方法もさることながら、書き方ではなく、「何を」訴えたいか。
共鳴してもらえなくても、へんてこなものでも、怪奇なものでも、気持ち悪いものでも、なんでもいい、
自分の世界を書けばいい。
語学もそうだが、幼児並の語彙では、思っていることが、表現できない。
だから、作家などの作品を貪り読む時期というものが、大切なのだろう。

わたしには、残念ながら、そっちの方面は、まるで疎いので(就寝時、文字読みは、1分で熟睡、昏睡)、
頑張ってね、というしかない。

がむしゃらに追究すると、なにかが、きっと見えるはず。
「なあんだ、なにもなかった」・・・そういうものが見えるっていう結論も、おおいにあり。
「やってきたことは、すべて無駄だった」・・・そういう結論に達するのは、無駄ではなく、とても意義がある。
人生に無駄などない、と、わたしは思う。
なにもしないより、するほうが、いい。失敗は、成功の元。
自分なりの哲学みたいなものをつかむ、っていうんですかねえ・・・(なんか、じじむさい表現)


あ、まったくハナシは変わりますが(いつもながらに、唐突に)

ある方は、こうおっしゃる。
人を学歴や職歴、お金があるなしで判断するのは、よろしくない。
行動、内容、中身、人間性で、その人を見ろ。
なるほど、道徳や倫理の教科書にも、教本や経典にも書いてある。
その通りだ。

で、ほんとうに、そのまま、美しく、中身だけを純粋に取り出して、見て、評価、絶賛するとしたら、
いったい、どんな中身なんだろう。
とてつもなく優しい美しい、慈愛と慈悲、思いやりに満ち満ちあふれ、無我で、人のために尽くす。
報酬や見返りも求めず、汗水流して、一生懸命働き、人を責めず、なんの不満も抱かず、安らかなこころを保つ。
欲を持たない、抱かない。身の丈に見合った行動をする。

そんな人は、お釈迦様か、キリスト様か、はたまた、どこぞの神様か・・・?

社会主義の国は、どうも、もひとつぱっとしない。
で、資本主義をテスト的に導入し、徐々に、そして、どんどん競争力が出て労働生産性が向上していく。
自由競争の原理を取り入れないことにゃあ、人間、まじめに働かない。
上を目指すことは良いことだ。
あまり、あくどいのは良くないにしても。

学歴や職歴だけで判断するのは、確かによくない。
だが、学歴や職歴もその人のキャラクターの一部であって、切っても切れない。
学歴や職歴が芳しくない人も、その人のキャラクターの一部だ。
職歴だって、リストラされたり、
組織のためと頑張ってやったことが、収賄罪で捕まってトカゲのシッポ切りをされたり、
輝かしい過去は、一変することもある。
あんまり頑張らなくて、あるいは、頑張ったけれど能力がなくて、ぱっとしない人もいる。

全員がトップにはなれないし、全員が下にもなれない。
能力のある人と、ない人を、まったく同じラインに立たせるとしても、その後は、それぞれの人生。

人生には、運・不運がつきまとう。
皆、自分のことを自分流に解釈すれば、それでいいんじゃないですか。(表現が、じじむさい)


ブランドについて。しつこい追記。

「すっぱいぶどう」でも、いいじゃない?
そう思ったりもする。
庶民には庶民の楽しみ方、人生の極め方がある。
貴族ご用達のブランド品を市場にのせ、世界中からお金をかき集めるのに成功し、
一大企業として今日、確固たる地位を築いたヨーロッパのブランド屋さん。

たんにデザインが好きで、少ない給料の中から、せっせせっせと貯金して、憧れのブランド品を買って、どこが悪い?
ブランド企業の発展、世界経済の活性化に協力しているんだし。
なにも、貴族になったような、セレブになったような気にならなくても、いえ、一瞬でも、なった気になるとしても、
その、欲しいものを手に入れたいという、ウォンツ、これ、大事。

憧れのファッションに身を包む自分を、うっとり夢見る・・・これ、大事。
梅干を眺めながら、ごっくんとツバを飲み込んで、白米を食べる。これ、けっこう美味しい。
馬にニンジン、ぶら下げる。
最近の馬は、舌が肥えて、そんじょそこらのニンジンでは、見向きもせす、嫌々、手を抜いて走るかも。

まあ、わたしは、あんまり、ブランド梅干うっとり嗜好はないけれど。
なので、ブランド品を持っている人を見ると、
「ああ、この人はブランド品が好きな人なんだなあ」と思うだけだ。
グレース・ケリーが、エルメスのケリーバッグを持ち、
オードリー・ヘップバーンがサブリナ・パンツを穿いていると(こっちは、ブランドとは関係ないか)、
まあ、元祖なので、それはそれで、素晴らしい。

庶民にブランド品を売りつける、あの商法に、のっかかるのが、日本人が最も多いそうだ。
それはそれで、また人それぞれ。
ブランドという魔法にかかって、幸せ感に陶酔できれば、それはそれでいいのでは。


どうでもいいことなら、こんなに文字数を割くことはないのに、わたしは、なぜ、こうも、だらだら、しつこく書くのか。
気なるのだろう。
見かけとブランド、ホンモノとニセモノ、外見と中身、学歴・肩書きと内容。
ついでに言えば、金持ちと庶民。お偉い方と庶民。

自由な庶民であるためには、わたしにとっては、作家になるための勉強よりも(もともと、全くしてない)、
世の中の、(くだらない、どうでもいい)いろんなことを研究し、追求していきたいのだ。

こころの解放を求めて、うさんくささを極めたい。 

あれ?仙人街道まっしぐらだったはずなのに、いつの間に、怪しい方向へ・・・?
ああ、そうでした。
仙人養成スクールは、ただいま、冬休み中であります。

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プライドと、ブランドと、ポリシー

2012-12-19 | 日々のこと

台湾に滞在中、後半から、ちょっとその兆候は現れていたが、
帰国後、急性の病気に進展し、きつい一回500mm服用の抗生物質を飲んだら、
あれよあれよという間に、病状は劇的に改善した。

薬って、すごい。
自分が苦しみながら、今が、江戸時代で、抗生物質がなかったら、
日常生活を送りつつ、こんな症状のまま、何日も、何年も耐えなければいけないなんて・・・
と、考えただけで、めまいがしそうだった。
ましてや、不治の難病、原因不明、病名不明で、一生、などということにでもなったら・・・
生まれた時から健康優良児のわたしには、ほんとうに、恐ろしい気がした。

しかし、喉もと過ぎたら、ころっと忘れ、また、元の生活、ちょっとムチャをしてしまう。
今回の病気も、じつは、今日、とても大事な案件があり、片道2時間ちょいの場所に出向かなければならなかった。
わたしが、欠席すると、コトが進まず
段取りしている専門家や業者は、まあ仕方ないとして、多くの人々に迷惑をかけ、困ったことになる。
そりゃあ、立つこともできない重症なら、アタマを下げて、延期してもらうが、
わたしは、けっこう、無理をしてしまうタイプなので、人の役には立たない代わり、迷惑になってはいけない、と、
常日頃から思っている。
なので、今日のことがアタマに浮かび、発症した時は、とても困惑した。

でも、どうにか行けそうなので、やれやれだ。
薬よ、このまま効いておくれ、と願うばかりだ。
そのうち、自分の治癒力で、本格的に治るだろう。
病状が安定すると、とたんに、楽天家のわたしに戻る。

やはり、こころとからだは、ぴったり寄り添っていると感じる。
病気なのに、明るく強いこころを維持する人は、アタマが下がる。
わたしには、できない、至難の技だ。


ちなみに、ハナシは変わって・・・
(もう、その重要案件の件で出かけないといけないのに、追加して、時間、大丈夫か?)

ノーブランドの服や、持ち物を持ち、ブランドは、自分だ!!というポリシー、
これは、痺(しび)れる。
とすると、コピー商品を持つ人は、いったいどういうポリシーなのだろう?
いっそ、ノーブランドにしたら、いいのに。
コピー、知的所有権の概念自体がない、コピー王国の住民ならいざ知らず。

ちっちゃい、サイフぐらいの大きさのミニバッグが10万円、ショルダーバッグも10万円、
横にカラーの動物柄があるのが、18万円、
免税店で、売っている商品の価格を店員さんに聞いたら、そう教えてくれた。
飛行機の出るギリギリ真際の、電気ショック療法っぽい、崖っぷち的・刺激の与え方をして、
そのバッグを買おうかと一瞬、思ったが、やめた。
別ブランドで、5万円の小さな、ちゃんとしたバッグも売られていた。
まあ、けっこうデザインは良く、鏡の前で、迷ったが、それも、やめた。
小さくて、荷物の多いわたしには、役立つとは思えない。

ノーブランドの中から、気に入ったデザイン、大きさのものを別の機会に、じっくり探そうと思った。
と言いつつ、おそらく、買わないような気がする。
よほど気に入ったモノがあれば別だが。なかなか、ない。

わたし、もともとケチ。
古いもの、家具、家、耐久消費財、そういうモノ、大好きだ。
いい味、素材の持つ味、使っている人の味が、加味される。
まさに、その人そのもののブランドだ。

「買えるけど買わない、という主義だ」、なんて、書くと、絶対に反感を買うけれど、
買えないから、けなすというのでは、少し、意味合いが違ってくると思うので。
選択肢があってこその、買わないというチョイスだ。
かといって、買えない人を見下しているわけでは決してない。
買えない人は、コピー商品なのか?
買えるけれどコピー商品を買う、リアル人の金持ちも知っている。
人それぞれ、意識も、それぞれ。

自分のために買うのか、人に、見られたくて買うのか。
それも、人それぞれ。
確かに、高いブランド品を持っている人を見ると、小金を持っているのかな、とは思うが、
わたしは、根性が悪いので、一応、コピー商品かも?と疑う目も、ついでに併せて持っている。
なんと、ほんと、性格悪いなあ・・・
いや、これも、個性のひとつだ。

日本には、西洋風ブランド意識が、根付いているのか、いないのか?
明治以降、西洋の考え方は、すべて素晴らしくてマネしよう、
価値観も、・・・なのか?
日本は今、階級社会ではないので、なんともかんとも・・・。

 
ここで、時間は大幅遅刻。おしまい。
中途半場で、強制終了いたします。

 

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アツすぎた旅

2012-12-17 | 

ばたばたばたと、旅行に行ってきた。
仕事がらみの、記念イベント。おつきあい親善行事の一環として。
なので、まったくのプライベートや、お遊びというよりは、公パブリック部分の顔が必要となる。
ということで、わたしのもっとも苦手な、人との和を保ち、協調性が不可欠。
あまり楽しみではない旅だったせいもあり、
準備は、乗らない気分の、のろのろモードに鞭打って、出かける前日の深夜からスタートした。

前に行ったことがある国、コースも、ほぼ同じ。
親日的な国、台湾。
自分のブログにも過去にアップしているので、見比べると面白い。(自分としては)

前回、行ったときは、暮れからお正月にかけてだったが、
その時は予想をはるかに超え、寒かったので、現地で衣類を調達し寒さを凌いだ。
そういう過去の苦い経験から、今回は警戒した。
まわりの声を聞く耳を持たず、天気予報を見て、高い気温であっても、
いいや、寒いに違いない、と、寒さ対策に力を入れた。

極々寒、極寒、寒冷、ぐらいの3パターンに分けて、着る服を調整できるよう準備した。
「暑い」なんていう想定は、想定外も甚だしく、まったくしてしてなかった。

空港を降りて、いやな予感がした。
むっ、ぼよーっと温い空気。
ひょっとして、コートとか、まったく、ありえない?

寒くて徐々に段階的に着込んでいく衣類は万全なのだが、
暑くて、徐々に脱いでいくパターンを用意していなかった。

着いた日は、快晴、おひさま、カンカン、あら、日焼け止めクリーム要るじゃない!?
という、暑さ。
28度だそうな。
ユニクロ・ヒートテックの、長袖シャツ&レギンス10分丈をしっかり着込み、
その上にはタートルネック長袖、さらに、チュニック、そして、ぴたっとした冬用10分丈パンツ、
首からも足首からも、熱の逃げるスキマのない、完璧・冬装束。

歩いて、お寺などを回ると、
なんともいえない、出口を失った熱気が体と衣服の間に、もわんもわんと煮え湧いてきて、
金時豆のように、赤い顔になってきた。
タートルネックの首をびろーんと、何度も延ばして、熱し溜まった空気を逃がしてやろうとするのだが、
そんな、小規模の、小手先の、とってつけたような対策では、てんで、ハナシにならない。

観光どころか、アタマのなかは、ユニクロ、ユニクロ、ユニクロ・・・・
ヒートテック、ヒートテック、ヒートテック、ヒートテック、・・・
と、呪文のように、無意味に繰り返される声にならない声が聞こえるような、もわもわ蒸れ蒸れになった。

トイレは、限られた機会にしか行けないし、トイレ本来の目的を達するのが精一杯で、
団体行動なので時間制限もあり、服を脱いで着替える、時間の余裕も、スペースの余裕もなく、
そして、大勢が、どやどや使う公衆トイレに近い設備なので、清潔・快適さもない。

何度、バスの中で、ひと目を気にせず、ヒートテックを脱ごうと思ったかも知れない。
が、わたしの、枯れ系に徹しきれない、中途半端な生煮えの部分が顔を出し、
そんなこと、はしたなくて、できない、、、、なんて、自己と格闘しつつ、頑張ってしまって・・・
ついに、最後まで、ヒートテックを脱がず、一日を終えた。
夜には、日中ほど、気温は上がらなかったので、やれやれだった。

二日目以降は、下にタートルネックを着込むつもりで持って行った服を選び、下着の上から一枚だけを着た。
暑いときに、それを脱いだり、前をはだけたりできるように、タンクトップや、半袖を持って行ってなかったせいで、
ぐっと暑くなると、それ以上は脱げない。
なので、ただただ無意味に、ぱたぱたと手扇子で、火照った顔に風を送っていた。

バスの中は、冷房が効いているので肌寒い。
寒さ対策は、万全なので、それは、ばっちり対応できた。

ハワイ生まれ、シベリア育ちのわたし、(嘘です)
暑さ寒さ、いささか不安はあったものの、どうにか、無事に陽は落ちた。

日本との温度差も大きいし、台湾でも、冬に28度なんて、ありえないことだと、ガイドさんが驚いていた。
このシーズンに咲かない花も咲いて、びっくりだそうだ。

そうやって、
日本(出国時は極寒)→台湾(暑い)→日本(寒い。でも、帰国時は、ちょっと寒さは薄らいでいたようす)
自前の体温調節機能が、経年劣化により、ガタが来ているところに、
(衣服対策、ヒートテックを熱愛しすぎたあまり)
オート制御装置が壊れ、マニュアルに緊急移行したものの、追い討ちをかけるように、
上がったり、下がったりに、対応できなかったようで、体調を崩した。

ああ、ここまで書くのの、なんと、長かったことか。

観光内容を書こうと思ったが、力尽きた。
強いて言えば、今回の旅行に参加するにあたって、企画側の人間であり、
わたしのポジションが、実に、仕事がらみの、宙ぶらりんの、ややこしい立場だったので、
日頃、一人行動が大好きなわたしなのに、中途半端に皆さんに、へんに気を遣い
皆さんも、へんに、気を遣ってくださって、それが、痛いようにわかって、よけい疲れた。

温度調節と、気遣い調節で、わたしは、バランスを崩し、病気になって、帰国した。
ああ、これを「あほ」って、言わずして、なんと言う?

強力な薬のせいもあり、どうにか、まあ、元に戻りつつある。

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ブログ村に集う人々

2012-12-13 | ブログ

ブログ村は、ランキングが意味不明で、どーだ、こーだ、ポイントのつけ方が、どうの、こうの、
お金払わないと、べたっと広告貼られるのイヤだ、だのだのだの、
あれこれ、文句ばっかり書いてきた。

でも、いいこともある。
知らないブログを知ること。
出会いがあるということ。

かつて、昔、昔、大昔、niftyネットユーザーが30万人しかいなかった頃、
ネットに集まってきた人々の顔ぶれは、通信関係者とパソコンマニア、文筆関係者が多かった。
わたしも、そこに無関係者ながら、集っていたが、和気藹々としていた。
たむろしているというのではなく、マニアの集まり、というかんじだった。
仕事で使用する人ぐらいしかパソコンをいじらない、自宅にパソコンがある家は少なかった。
ある、デザイナー氏は、なんと仕事用のMACを300万円近くで購入していた。
事務所で見た、そのモ二ター画面は、ばかデカかった。
ソフトも込みの値段にしても、隔世の感がある。

黒い画面に、白抜きの英数字・記号を打ち込む。
解凍したり圧縮したり、コマンドだかなんだかの記号を延々と、カチャカチャ打ち込む。
その道のマニアに手ほどきを受け、手取り足取り教えてもらい、ふーふーいっていた。
マニアは、コンピューターの専門家みたいなものだ。
今だったら、ひょいっとマークや絵図を押さえて、ぐーっと画面の上を滑らせるだけで、カンタンこの上ない。
作業的には、クリックだけ、みたいなものだ。

で、ある年齢以上の方に、当時のニオイを感じる。
つい最近、知った、「粗にして野だが卑ではない」が座右の銘の、しかじか氏、も、そう。
当時のマニアたちが、そのまま年をとった、というかんじ。
懐かしいのだ。
年代の持つ、独特の味というのもある。
ノリが、なんとなく、そういうノリ。
オヤジギャグも、そのうちのひとつか。
(ちなみに、わたくし、オヤジギャグは、使いません・・・
でも、無意識に口から出ていることもあり、首を左右にブルブルっと振り、全面・自己否定する)

ご近所ブログには、こそっとあいかわらず読み逃げしている。
わたしは、自分としては、女性ばかりの集まりに顔を出す、草食系の男性、みたいなかんじだ。
なぜか、オバちゃんにはなれなくて、いっきに、オジサンになってしまったように思う。
ちょっと「枯れ専」女子(枯れた男性を好む女性)のストライクゾーンに入っているっぽい。
あくまでも、それは感性・感覚的に、であって、ビジュアルや、リアルは、女性です。
そして、わたしは、枯れ専系もいいが、枯れない肉食系も、キライではない。

だが、あるリアルな人に、
「あなたと話していると、あなたじゃない、誰かと話しているような気がします」
と言われ、どきっとした。
誰? わたしじゃない、誰かって?
客観の目が鋭い、枯れオジサンかも? それとも、小人(コビト)さん?
こらこら、わたしを置いてきぼりにして、一人で勝手にしゃべっては、いかん。
私の承諾を得てから、話しなさい。


で、脱線話は、置いといて、・・・

若い時代から他国で生活しておられた、築100年・キッチン格闘家の方にとっては、
この年代になって、いきなりのネットかも知れない。
だが、外国でもインターネットはできるだろうけれど、
そんなに昔っから、ネット環境を整えておられたかどうかは、わからない。

いずれにしても、新旧・交流のもたらす、色合いの変化が楽しい。

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その日暮らし

2012-12-12 | 日々のこと

昨日は、ブログ更新に手間取り、昨日分スケジュールを一部分、割愛した。
ブログごときで、カットできるスケジュールなんて、いったい、なんぼのもん?
いえ、まあ、そういう日もあるということで。

そのスケジュールをひとつ割愛したせいで、次の予定が狂った。
順番、順番に、ひとつずつズレていって、いつものパターンと違うことが起きた。
昼食をとる場所、店が、変わった。
いつもは、カンタンな、店とは言えないような、オープンスペースの場所なのだが、
密閉された場所(通常の飲食店)で、食べた。
ランチタイムのサービスに、ごはんと、お吸い物が無料でついて、
「ただ」という特典には、無条件で反応してしまうわたしは、お腹いっぱいになった。

で、胃袋満杯という、身体的なイレギュラー変化をもたらし、その後の行動に影響を与えた。
・・・・
書いていて、なんか、続きを書くのが面倒になったので、
「風が吹けば桶屋が儲かる」ハナシは、進まないまま、終わることにする。


・・・・・・
と、ハナシは、まるで関係ないのだが、
昨日のブログで、わたしは消化不良になっている。
時間が無く、泣く泣く、途中でやめた(無理やり終わらせて更新終了した)が、もやもやしている。
そのブログのせいで、昨日の行動がズレたぐらい、自分では気になっていたのだろう。

しかし、小学生や中学生レベルの問題ではあるが、
人間の基本的なコンプレックスというものは、根本的に、徹底的に退治しなければ、
大人になってもずっと、引きずるものである。
人格形成の上でも、重要なことだと思う次第だ。
ま、内容が、軽薄で、チャラいのは、しかたないとしても、だ。

外見と、能力。
容姿と、学力。

ジャンルが、やぱり中学生レベルだな~。
もっと、わたしの年齢にふさわしい悩みを書くべきである。
(が、それは、他の、重厚な、ご苦労されている方のブログをお読みください)

ここで、・・・いきなり、で・・・あるが・・・、
成績が悪い、勉強できないのは、自分のアタマが悪いからだ、ということに、昨日、はじめて気が付いた。
これだけ長い間、生きてきて、学生生活も長々と経験しておいて、同窓会にも皆勤賞並に出席しておいて、
いまごろ、それに気が付くなんて、なんて、アッパレなんだろう。

じゃあ、それまでは、どう思っていたか。
自分がサボっているせいで、勉強できない、と思っていた。
つまり、自分のアタマを信じていたことになる。
自分は、やれば出来る、アタマは決して悪くない、と、思っていたってことに、昨日、ブログを書いていて気が付いた。

しかし、自分は、アタマが悪くて、しかも、それを補う努力をしないせいで、勉強が出来なかったのだ。
決して、サボっているせいだけではなく、もともと、アタマが悪い、ということが、根本的な原因だったのだ。
それを補助すべき、努力を怠ったせいで、もともとデキない頭脳に、カビを生やすだけということになった。
怠惰な性格、行動だけでなく、脳自体が悪い。
そう気が付いて、目からウロコ。

今まで、あまり、自分の霞のかかった脳みそを解明しなかった。
出来、不出来という、結果だけで判断していた。
その原因は、どこにあるか、なんて、反省せず、ここまで来てしまった。
とても、すっきりした。

しかし、これは、解明されるまえより、落ち込むことになった。
精神面、こころの弱さ、意志の弱さが原因だと思っているときのほうが、気が楽だった。


よく世間や学校、塾で、一般的に言われる、
「○○ちゃんは、やる気にさえなれば、デキるのに」という言葉。
やる気がしない、やる気が起こらないこと、それ自体が、その子の能力なのである。
気力は、アタマとセットなのだ。切り離せない。

アタマが悪いのは、自分のせいではない、DNAのせいだ、と、人のせいにすると、自分は楽だ。
くよくよ自分を責める必要はなかったのだ。
だが、こころならともかく、どうにもならないアタマの悪さを改めて実感するだけであって、かえって辛い。

不快なこころ、嫌な気分を、人のせいにするのは、楽だ。
自分と対峙しなければいけないが、そんなことは、鬱陶しいので、手っ取り早く、人のせいにしておく。
すると、こころが、軽くなる。
精神衛生上、暗闇から抜け出す、こころを軽くするノウハウのひとつだろう。

わたしは、今まで、人のせいにするより、自分のせいにしてきた。
人を怨むことは、してこなかったが、自分を怨むこともしなかった。
これも、性格。楽天家なのだ。
「なんでだろ? ようわからんわ」で、すぐ投げ出す。

で、自分のアタマが、根本的に、DNA的に性能が悪い、
と、再認識できて、すっきりして、喜ぶ人が、どこにいるだろう?
でも、わたしは、半分、喜んで、半分、泣いている。

たとえ親であっても、兄弟であっても、子供であっても、
怨むなんていう、精神のメカニズムをわたしは体験したことがない。
「怨み、怨恨」は、「愛」と並んで、小説をはじめ、芸術のテーマにもなっている。
戦争や紛争も、長い歴史の間に、積もり積もった怨みが原因となっていることが多い。
そういう感情を経験したことがないということは、わたしのノーテンキな性質を生み出す土壌になっているのだろう。

(と、書くと、反感を買う場合もある。
どう書いても、なにを書いても、反感というものは、買うものである。
めんどくさいので、反感をお持ちの方は、そういう感情自体が、好きな人なのだろうと、放置することにする。
負のスパイラルで、そういう負の感情は、連鎖し、自分を支配する。
逆に、正の感情は、自分を高め、楽しくする。
ただし、文章にした場合、教科書みたいで、面白みに欠けて、眠くなるのが難点)

負の感情に支配された人と、関わる気持ちはない。
そう書くと、人の痛みのわからない人間とみなされる。
不幸やピンチに陥ったとき、ざまみろと、拍手喝さいを受けそうだ。
自分が、負の感情に支配されたときは、どうするのか?
ブログで吐きまくるか、音楽でも聴くか、ヒーリング療法でも施すか・・・
はたまた、怨念ブログでも新しく開設するか。
(自慢ブログも開設したいと、ふと思ったりすることもあるのだが・・・実際にする、しないは、別として)


アタマの悪さから、ここまでハナシが飛んできた。
分析してみるに、今日は、時間に余裕があるってことだ。

 さ、別件に取り掛かる準備をしよう。

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暗いのは、キライ

2012-12-11 | 人生

ブログって、不思議なものだ。
人さまのブログの海、さらっと通り過ぎるのと、常駐するのとでは違う。
この違いは、結構大きい。
ブログの周辺、後方、裏面あたりで、うごめく人々を感じることがある。
逆に、明るいのは、いいな~。
わたしは、最近、仙人学校に通うぐらいなので、明るいほうが、好きになった。
(でも、怖いもの見たさ的・野次馬根性は、ある)

昔は、暗くて、じめっとしていた時期もあった。
が、人を怨むようなことは、したことがない。

たとえば、フラれたとする。
自分のせいだと思う。
相手のこころを読む力がなかった。惹きつける力がなかった。
自分の気持ちばかりを優先しすぎた。
または、相性が合わなかった、と思う。
相手を怨んだことは、不思議なことに一度もない。(この書き方、偽善者のニオイ、多少する)
もし、怨むとすると、自分の馬鹿アタマ。学習能力のなさ。
自己嫌悪の渦に巻き込まれると、脱するのは、けっこうしんどい。

成績が悪いとする。
先生や、親に怒られる。
怨むのは、またまた自分の馬鹿アタマ。
両親は、なぜ、もっと優秀なDNAを上澄みだけすくい取って、わたしの遺伝子に組み込まなかったのか、
そういう考え方は、したことがなかった。
自分が、サボっているからだ、と、ひしひしと、強く思っていた。
(実際、サボリまくっていて、夢でうなされるぐらいだった。
しかし、これも、よく考えてみると、ある意味、
成績が悪いのは、サボっているせいで、アタマが悪いせいではない、と言っているかのごとく。
嫌なやつだ。
自己嫌悪とか言いつつ、最後は、自己肯定。
現状は、アタマが悪いせいで、人の何倍も勉強しないといけないのに、サボっている。
(なあんだ、成績が悪い本当の深い原因は、アタマが悪いからだ、ということに気づいたのは、これを書いていて、今)
自分はアタマが悪いという、自己肯定。
否定でなく、肯定になっている。
これは、いいことか、よくないことか。

ブ○と、言われ、落ち込むとする。
今に見ていろ!!という気持ちには、さらさらならなく、
それが、どうした?と、思うだけ。
あんたは、どうなのよ?
仮に、ブ○と言った人が、美人、イケメンだっとして、スタイルよく、アタマもよく、お金持ちで、友だちも多いとする。
この設定は、ありえない。
人のことを、ブ○なんて言うような人に、友だちが多いわけがないので。
「友だちが多い」は、削除したとしても、全ての条件がよかったとしても、そんな人は、性格が悪い。
これは、どうしようもない。

ブ○より、劣っていると感じる。(負け惜しみが、入っている。いいの、そんなの)
なので、ヘーき。
こころの醜さは、必ず、自分に返ってくるので、そのうち自滅してくれる。

すべて条件が揃っている人は、スーパーマン。
(駅近で、広くて、日当たりがよく、環境よく、安い物件など、不動産ではありえないが、
人間には・・・はたして???)


これを書いている自分も、かなり、こころが醜いような気がしてきた。
怨んだことがない、と言いつつ、相手に自滅を期待しているあたり、
裏復讐だ。陰湿だ。
(だが、わら人形は、用意したことがない。あたりまえか)

怨む相手の、イスに置かれた座布団に、押しピンを忍ばせるのと、等しい。
しかし、わたしは、決して押しピンは、忍ばせない。
オシリに刺さったら、痛いし、残虐行為だ。
座ると、ブーッと鳴るモノを仕組む。
陰険かなあ・・・やっぱり。
かわいそうだから、じゃあ、座布団にガムをくっつけておく。
それも、やっぱり性質(たち)が、悪いから、・・・うーーん・・・ゴキブリもダメだし・・・
考えるだけで、リアルタイムに押し寄せる次の用事をしている間に忘れてしまう。

そうやって、何年も何年も経ってから、自分のブログでぼやいて、
自滅するのは、自分だったりする。
やっぱり、自分に返ってくる。

明るく、前向きが一番いい。
暗くて、恨みがましいものは、漫画や小説、映画の世界だけで充分。
実生活は、あくまでも、小市民スタンスで、まいりましょう。

仙人学校の1時間目に、(自習時間だったけれど)、そう、学習した。



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限界は、すぐ来る

2012-12-10 | 日々のこと

さあ、一週間。早いものだ。

昨夜は、先週のおさらい。
どんなことをしたかな。
思い出しながら、小遣い帳と、日記をつける。
紙と、シャーペン。電子ではありません。

今週は、前半だけは、趣味や練習にかける時間が取れる。
週の後半から来週前半までは、予定ぎしぎし、ぎっしり。
身動きとれず。

来週後半から再来週前半にかけて、好きなことが出来る余裕あり。
わくわく。うれしいな。
その後は、予定が、びしびし、びっしり。
げっそり。

そして、あっという間に、年末、年始。
あわただしいこと、この上ない。

今日のブログ更新予定は2分。でも5分遅刻。これで、限界。
なので、ここで終了という、・・・意味のないブログとなった、です。

小学2年生ごろの作文のほうが、もっともっと上手だった。

 

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タイトルに力を入れすぎるあまり、考えたタイトルは、全てボツに

2012-12-09 | 暮らし

「粗にして野だが卑ではない」

この言葉、モットーにしているという人を二人知っている。
(年齢的には、お二人とも近いようだ。時代背景が同じなのかも?)
一人は、リアル人、一人は、ブロガーさん。
偶然か必然かは知らないが、お二人とも、その脳内センスに、わたしは、ぴぴぴと来てしまう。
そして、複数の神様と、築100年以上のオタクで同居してしておられる、某ブロガー氏の、
直近、お気に入りに登録した、というブログは、上記のブロガーさんのじゃないかと、想像する。

わたしの最近の傾向は、年齢を重ねた分、なぜか、性別を越えてしまうようだ。
おんなで、あろうが、おとこで、あろうが、同じニオイ、同種の人種に、アンテナが反応する。
だれでも、そうだろうけれど。
だが、男性でも女性でも関係なくボーダレスに、感性の分野で。

女性たちが佃煮みたいに、ぐちゃっと寄り集まって固まって、あーでもない、こーでもない、と、
噂やら、嫉み、嫉妬、見栄、虚栄心、競争、などなど・・・・、
そういう、密室で香水だか、化粧品だかのキツイ匂いが、混ざり合ったようなのって、苦手だな~。

絶品スモークハムみたいに、粋にステキに、枯れている、そういう老後に、憧れる。
そして、茶目っ気が欲しい。
もちろん、お色気も。
(ぎんぎん、どろどろ、べたべた、どろどろ、ではなく。ぎろぎろは、年齢的、体力的にも無理だろうけれど)
裏教養人、って、いいなあ。
哲学に、音楽やアートみたいなノリを、ぺたっと貼り付けて、へらへらと笑う。スウィングする。
理屈抜きの、理屈。
あほアタマで考える、ポリシー、スタンスのない哲学。

わたしも、性別を越えようとする境地に、どんどん近づいてきているのか?
といいつつ、脳は、おとこ、カラダは、おんな。
同時進行している。
絶滅寸前の、両性動物かも知れない。
幻の絶滅種か。

全地球規模で、保護してもらわねば。

 

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ブ○の涙

2012-12-08 | 思い出

他人の言葉で、傷つけられたことがある。

一番、多感な年頃・・・中学生か、高校生ぐらいの時。(高校生の可能性が高いか?)
道で、男子(高校生か、それ以上)2~3人連れと、すれ違いざまに、
背後から「ブスっ!!」と声がした。

思春期で、最も、自分が女の子であることを意識し、見かけや美に対して、神経をとがらせている頃だ。
あの時の、オトコどもは、今頃、どうしているのか?
わたしの人生をむちゃくちゃに、しおって・・・
ぷりぷり。


中学のとき、かわいくて、美人の同級生の女子、Kさんがいた。
めちゃめちゃモテていた。
男子という男子は、メロメロだった。
追っかけまで、やっていた、オタク系のFクン。
熱狂的ファンの真面目なYクン。
おちゃらけ不良っぽいOクン。
たいして、がり勉しなくても特進コースを歩む秀才のHクン。
などなど、書ききれない、ファングループ、取り巻きがいた。

ま、それで、さー。
わたし、・・・ブスって、いわれちゃって、さー。
誰にかっていうと、真面目なYクンに。
はっきり言われたわけじゃないんだけど、さー、
kさん以外は、女じゃない、みたいなこと、わたしに言って、さー。
むかついたわけよ。

で、です、ね。
前々回の同窓会で、彼に、当時のことをネチネチと涙ながらに訴えたわけです。
「あんた、さー、ひどいやん。自分の言ったこと、覚えてる?」
「うん、ごめん。
僕は、当時、子供だったから、思っていることをそのまま言ってしまったんや。
今でも、そんなとこ、あるから、気をつけんといかん」
そうやって、謝ってくれたんだけど、これって、謝ってもらっても、ちっとも嬉しくなかった。
時を経て、自分の言ったことを肯定してるだけではないか。
ま、いいですどね。
どうせ、 十把一絡げ(じっぱひとからげ)の、その他の女子ですから。わたしなんか・・・。


そうやって、思春期の頃は、ずいぶん、傷ついたものだ。
学業面でも、先生には、さんざん、きつく怒られ、これまた、やる気と自信を失ったものだ。
(一番、欠如していたのは、学力と能力)
でも、なぜか、その傷は、人生の過程のうちの、ひとつのポイントではあったが、
点であり、線には、なっていないような気がする。
(負け惜しみ、かなり、入っているが。すっぱい、ぶどう)

美人→人生での勝者
成績優秀者→人生での勝者
の確率は、高いもののの、必ず、絶対に、全員がそうなるとも限らない。
限りなく優秀な同級生で、若くして山で亡くなった人もいる。
国内トップクラスの才能を持つ先輩も、重い病気にかかり、若くして退職して療養されている人もいる。
贈賄かなにかで、新聞で、お目にかかる人もいる。

モテモテ美人さんのその後は、けっこう、平凡である。
結婚して、それでおわり。子供のハナシしかしない。
同窓会に行っても、話のネタがない。

女子のハナシは、わたしにとって、つまらないことが、多い。
当たり前のことを、当たり前に、話す。
わざわざ、同窓会に来て、そんなこと、話しても、おもしろくもなんともない。
男子の話を聞くほうが、興味深いこともある。

わたしの、聞き手としての、姿勢が悪いんだろうけれど。
もっと、相手の、目に見えない良い部分を引き出せるように話を持っていかないからだろう。
もう、いちいち、めんどう。
人に引き出してもらうのではなく、自分で、プレゼンしてください。
人間も年をとると、可愛げがなくなる。(これ、わたしのことです)
ほんと。

オトナになって、しがらみのない、大勢の不特定多数のいる、リアルな場(パーティ)に出入りすると、
いろいろな発見があって、おもしろい。
アカの他人に、どこまで自分を見せるか、出すか。
真実の自分か、ええかっこしーの自分か、まわりは、自分のことを全く知らないので、演技し放題。
その場だけ、一度限りならよいが、ずっと出入りしていると、化けの皮が、はがれることもある。
演技し続けて、息が切れないのか、はたまた、演技することが快感なのか、人による。

10年以上の長い目で見続ける人々も大勢いるので、人物評価が、あちこちで、聞こえてくる。
「あの人は、こんな人だから、注意してね。誰々さんも、たいへんだったらしい」
「この人は、あーだから、いい人。みんなも、そう言ってる」
いろんな噂が飛び交い、どれが、本当か、よくわからない。

自分を守るためには、嘘と真実を見分ける目も大事。
人間を見る目は、かなり鍛えられる。


自立と共存。
これが、テーマである。
自分をしっかり持ち、他と関わる。
しなやかに。


なんて、最初の、ブスって言われて傷ついた話から、どんどん遠くなっている。
なんか、強がりばかりのイタい人みたいになっている。
傷ついても、事態が進むと、いろんな方向にコトは運び、ひとつのコトが、永遠に決定的にならない。
なかには、トラウマになるケースもあるだろうけれど、カウンセリングや、心療内科など、専門家のケアを受け、
風穴をあけ、自分だけで、抱え込まないようにしたほうがいい。
そんなことは、百も承知。
それでもうまくいかないから、悩むわけで。

ああ、仙人の出る幕はない。

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偉いひと、偉くないひと

2012-12-07 | 日々のこと

感謝されたい、認められたい、これは、人間のまともな欲求であります。
わたしは、仙人予備校時代には、なにも考えていなかったけれど、
仙人ぴかぴか1年生になって、まともではなくなってきている感がある。


感謝しろとか、認めろ、とか、迫ってこられると、過呼吸?になって、うっと、なって、
チアノーゼ気味の顔色になってしまう。


お互いが自然体でそうあるべきだが、仙人学校の校長先生でも、難しい技かも知れない。


無言のプレッシャーも、恐ろしい武器である。
いっそ、「1000円、よこせ」
「合計24000円いただきます」、
などと、お代金でも請求されたほうが、あっさり、さっぱり、その場その場で、精算できていいかも。
うやむや未清算がたまると、ろくなことがない。
うっぷんや、恨みなどとは正反対の、感謝や感激など、プラスの思いなら、よろしいが。


仙人は、実生活に疎い。
というか、実生活が苦手で、仙人になった。(まだ、実習生で、仙人になっていないけれど)
霞ばっかり食べていても、生きていけないし、
理想ばかり高くても、現実が、「あれま?なにやってんの?」と、マヌケなら、なんの説得力もない。


人さまに向かって声高に言える人は、実生活もちゃんとしてないと。
しかも、人と比べて、どこの誰にも文句が言えないぐらい、ちゃんとしてないと。
(だが、自分は完璧と思っている人ほど、鬱陶しい人はいない)
世界中の人から賛同、絶賛を浴びる実生活って、どんなだ?
おえらい高僧だって、自分の衣類、ちゃんと自分で洗濯してる?
王様やお妃さまだって、自分のこと、自分でしてる?
じゃあ、自分のこと、自分でしてる人は、そんなに偉い?
自分のことを自分でするのは、あたりまえ、と思うけれど。
まあ、役割分担や、適材適所という、合理的采配もありだけれど。

人のあげ足ばっかり取って、なにが面白い?
なので、わたしは、人前には決して出ることもなく、山にこもって、ひっそり暮らしている。
(あ、これ、精神的に・・・です。抽象的心象風景です。
いちいち説明するのも、どうかと思いますが、
たまには、説明しておかないと、誤解を生んではいけないので)


ただひとつ、現時点で、リアルタイムで、最高気分なのは、
・・・今日のブログが、ここで終わりそうなこと。

わたしも、つまらん人間であります。・・・つくづく・・・


 


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