蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

宇宙人・女中の嘆き

2013-03-21 | 日々のこと

昨日のゲスト。

わたしは、完全裏方なので、
お盆を持ったまま、お茶のサービスをするタイミングを見計らって、裏で待機するのみ。

もう、そろそろかな・・・と思う頃に、お茶を追加しにいく。

なにしろ、わたしの一生のうちで、一回か、多い人で、二回だけ、
しかも、話したこともない人々(多くても一言か、二言)を大勢、目の前に
ウエートレスを自分の家でやるのは、もごもご、もさもさ、恥ずかしいものである。

目をそらし、おどおどしながら、もたもた、お茶を出したり、ケーキを出したり。

「おかあさん、すみません、恐れ入ります。ありがとうございます」
「うちのお母さんだったら、ぜったい、ここまでしてくれへんわ」
などなど。。。恐縮していただく。

「いつもは、この家には人なんか、来ないんよ」
と、招待主である、上娘が言う。

ご主人さまに、言葉をかけられた、女中か、下郎、男衆のごとく、はにかみつつ、わたしは、
いつものように、まったくなにも考えず、口から勝手に出たことを言う。

「そうなんですよ。
日本語、忘れてしまいそうなんです」

・・・・・
しーーーん・・・

あきらかに、スベッている。

あっちゃーー。
そう思いつつ、この、水を打ったような静けさ・・・、どうすればいいんだ??
ひきつった笑顔で、なにごともなかったかのように、お茶をひく。

ウケを狙ったわけではないのに、しょうもないことが口から出てしまう。
宇宙人のアタマのなかにある宇宙ワールド。
あ、そうだ、みなさんは、地球人だったのだ。
いつものブログの、一方通行の独り言のノリで、するっと出たあと、いちばん気まずいのは、わたしだ。

あとで上娘に聞いたのだが、
あの中にいた一人が、わたしの日本語忘却話、おもしろがっていたそうだ。

痛々しい静寂ではあったが、ウケていた人もいたのか。
なんだか、よけいに、恥ずかしくなるのは、なぜ?


とりあえずは、無事に一日が終了し、女中は、ほっとしている。

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今朝の憂鬱

2013-03-20 | 日々のこと

いまの、わたしには、キレがない。
もともと、ないけれど。


貴重なブログタイムをキープできたが、ここで、筆が、ぴたりと止まる。
なにを、なんのために、だれに、言いたいのか。
整理できない。

ま、いいです。
書くのは好きなので、書いていると、もやもや考えていたことを忘れる。
これこそ、本末転倒。
書きながら、考えを深めるんじゃなかったの?



今日は、忙しい日である。
これから、あと30分後からバタバタが待っている。
このバタバタ、今日以外にも、ここ2週間に、あと、4回、大きなものがある。
考えただけで、どすんと、しんどくなる。
でも、決して、憂鬱な、心配な、イベントではない。


ただ、わたしとしては、最も不得意分野である。脂汗、たらたら。
自宅に、遠方から大勢のゲストを迎えたり、遠方まで人々に会いに訪れたり、・・・。
交際べたのわたし。
ものぐさ、なまけもの、掃除も整頓も、大嫌い。
自宅に人を招くなんて、特に、気合がいる。
死んでいる人間に、カツを入れるようなものだ。

四の五の言ってないで、ひとつひとつ、クリアしていくしかない。

さあ、好きなことをイメージして、あと少し残されたブログタイム(15分ぐらい)を有意義に使おう。

でも。。。なんだか、やはり筆が止まる。
いつもなら、すいすい、すらすら、勝手に指が動くのだけれど。
なにかが、ずしんと乗っかっている。


そりゃあそうだろう。
今から、山盛り、もりもり、用事、仕事が控えているんだもの。
ブログ更新なんか、やっている場合じゃない。


今、わたしが置かれている、現状に気付き、目覚め、あたふた、
いつも、なにかをする前は、出だしが重い、スロー・スターター。

ということで、ここで終了いたします。


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さびしいウサギは、雨でも元気

2013-03-19 | 日々のこと

今日は、たっぷり、たっぷり、ブログタイムを確保できた。

なんてったって、朝の5時半スタート。
(下娘は、その時間には、すでに持ち帰りの仕事をしていた・・・ご苦労様)
それから、ゴミ出し、宅配牛乳入れ、部屋ざっと片付け、洗濯・・・
まだまだ時間はある。
さあ、散歩、散歩。(インドア、パソコン内です)
その間も、某ブログを開けて、ピアノのBGMを流す。

そうすると、あれれ、自分が書く時間が減った・・・。
とはいっても、まだまだ時間はある。

さて、ブログ村。
新しいメンバーが次々続々登場し、活気づいて、けっこうなことだ。
やはり、同じ顔ぶれは、停滞、渋滞をもたらす。

ちなみに、社交ダンス・メイトたちにも、同じことが言える・・・はずなんだけど・・・。
わたしにおいては、フレッシュメンバー歓迎!!には、至らない、みなさま、先輩諸氏のご様子。
フレッシュ検定があるようだ。
その検定試験に合格しないと、だめなのか。
なぜか、わたしは、どうも、コミュニケーションがとれない猫みたいだ。
一定の距離があり、縮まらない。

そもそもわたしは、へんなヤツだと自覚している。
自分のことは、猫だとは思っていないが、ウサギかも知れない。
仮に猫だとしても、高貴な猫なんかではなく、野良猫。
うろちょろ、うろちょろ、うろうろ、のろのろ。
でも、根っからの野良猫大将なんかじゃなくて、野良猫と、どこかの猫のハーフか、クオーターかも?

ウサギは、さびしくて死んでしまうらしい、という、この症状が、とてもお気に入りである。
わたしは、突然、ウサギになる。
でも、本当は人間。ウサギではないので、死なない。

まあ、ウサギは、おいといて・・・。
その、社交ダンスメイトのなかで、自分は、浮いている、と感じる。
みなさん、長くやっておられるので、顔なじみになっていて、近年、参加したような新顔には、冷たい(と感じる)。

社交ダンスは、高齢者に適した娯楽。
長くやっている、ということは、小学生の時からやっている人は、ほとんどいないので、
つまり、皆さん、そこそこのお年だということだ。
そこに、新顔のわたしが、仮に80歳だとしよう。
そうすると、ひょっとして、けっこう、すんなり、新顔でありながら、迎え入れてくれるかも知れない。

何十歳もうんと若い場合は、マスコットやオモチャ、アイドル的に迎えてくれるかも知れない。
だが、皆さんより、5~10~15~20歳、若い場合は?
中途半端に、ただ、ほんの少し若いだけ。いちばん、鬱陶しい、目障りな年下ぶり。
しかも、たいして上手でもない。

もし、誰もが認めるほど上手であれば、
性格が悪かろうが、顔が悪かろうが、スタイルが悪かろうが、
行い、態度が悪かろうが、口が悪かろうが、根性が悪かろうが、すべてが悪かろうが、
おそらく、一目置いてくれると思う。お相手をしてくれると思う。

ちょっと若い分、頭を低くして、素直に先輩たちの懐に飛び込めばいいものを、
雑種の異端猫であるわたしは、群れから離れ、ひとりで拗ねている。
そして、ウサギかも知れない、なんて、かわいくもなんともないことを言っている。(あ、こころの中で、です)

いわゆる、かわいがられないタイプであります。

そういえば、デジャブ。
前にも、とってもとっても年上の年齢の、おねえさま・お局さんにイビられたような記憶が蘇ってきた。
イビられて、なんぼ、です。

いいの、いいの。
帰りに、ひとりで、とぼとぼ、雨降るなか、五月人形を見に、まっちゃまち(大阪にある、人形で有名な地)に、行った。
地下鉄の乗換え交差駅が、線によって上層下層に分離され、異国の地みたいだ。
外国・一人旅気分。(たんに、方向おんち)

ずらずらずらと並ぶ、店、店、店。
おなじ人形を扱う店にも、店のタイプ、ティスト、取り揃えられている商品も、得意分野が少しずつ違っていて、
また、いろんな店主、店員がいて、面白かった。
土砂降り一歩手前であったことと、閉店真際だったことで、お客は、ほとんどいなかった。
何回か足を運ぼうと思っている。

帰路、どさっと、野菜やらなんやらを買い込み、エコバッグになんかおさまらず、何袋も何袋もぶらさげ、
電車、バス、徒歩と、延々雨のなか、ああ、しんど~、にもかかわらず、

さびしいウサギは、けっこう一人遊びが好きだったりして、
体力と、好奇心、行動力は、不思議とあるのであります。

 

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人生のクロス・ポイント

2013-03-18 | 趣味

さてさて、ブログタイム。

昨日は、ウォーミングアップの2行を入力しただけで、時間切れのため、アップできなかった。
今日は、またまた、さあ、と思う前からアウトで、背後で赤子が、ぎゃーぎゃ-、わんわん、泣いている。
が、赤子泣いても蓋とるな、と言われるとおり、蓋はとらずに、ちゃっちゃと、すごいスピードで、入力しよう。

いま、別のブログから流れる、ピアノの曲を流しながら、入力している。
別のブログを開いて、音楽を聴きながら同時に、自分のブログ作業ができる、なんて、今の今まで、知らなかった。
なので、何十分も、聴く時間が取れないから、困ったなあ・・・と、あきらめていたところ、
赤子の母親が、「同時に複数のタブを開いたら?」と、教えてくれた。

へー、そうだったの。
同時タブ開き。
ということで、BGMにすると、画面を見ないで失礼な!と、叱られそうだが、
ブログを書きながら、聴かせていただくことにした。
(途中、トークが入るときは、タブ切り替え)
これからは、この手を使おう。
いい音だ。

スローな、やさしいリズム、音色の部分になると、静かに、こころが解き放されるような気になる。
重々しい音の重なりの時も、そう感じたが、
ひとつひとつの曲のうねりに、弾き手側の込められた気持ちが伝わり、聴き手と一体感が生じる。


アップ、スロー、強弱、硬軟、高低、長短、
テンポ、キレ、メリハリ、柔軟さ、粘り、リズム、調子・・・ダンスと共通点あり。
ダンスは、音に合わせて踊るのだ。
わたしも、言わずもがな、ヘタではあるのは事実中の事実である・・・にもかかわらず、
ダンスの技術ももちろんだが、芸術面を高めるポイントも意識下におきながら、踊っている。

意識におくだけであって、現実は、足がもつれ、相手の足を踏み、相手に足を踏まれ、
リズム、テンポを間違え、ステップを間違え、方向を間違え、いろんなことを間違え、(基本が、まだ、なっていない)
膝は痛い、つま先は痛い、首は、だる痛い、
大きく、速く、強く、大回転に振り回され、付いていけず、滑ってコケそうになる恐怖に見舞われ、
他の人とぶつかり、相手とぶつかり、ヘア・アクセサリーは、ぶっ飛び、
教え魔には、いまだ、ぐたぐた、「教え魔」流に直され、
霧のなか、暗雲たちこめるなか、懲りずにやっている。

嫌な思いもいっぱいし、自信も無くし、
もともと低い鼻も、ぺっちゃんこに、へし折られ
(そもそも、生まれつき鼻が高くないので、折れるには、かなりの重圧が必要)
ヘタな人にしか相手にしてもらえず、レベルの低い、プライドのない踊りに冷笑を浴び、
高いレッスン料を払い(・・・上達ほど遠い)、

それでも、嫌になりながらも、なぜ、踊り続けるのか・・・?

 ひとつには・・・踊りが好き、ということ。
ふたつには・・・今よりも、少しは上手になるに違いない・・と、淡い期待を抱いていること。
みっつには・・・ブログ村と同じで、いろんな人がいて、興味が尽きないこと。

 嫌なことも、ひとつひとつクリアーしていけば、きっと、自分の糧になるだろう、
なんて、根拠のない楽天脳の持ち主である。

ただただ若いだけでも良さが出ない、社交ダンス(パーティ)は、まさに高齢者の社交の場である。
(その一方で、競技ダンスは、また別枠の、純然たるスポーツである)
集う人々は、ダンスという共通点はあるものの、生活や人生、ライフスタイルは、それぞれの独自のものがある。
別々の自立した人々が、ダンスを一緒に踊る、という点で接する、絶妙な、クロス・ポイント。

スパークリングしたり、フィットしたり、馴染んだり、助け合ったり、包み込んだり、
パーツパーツを別々に分担して責任を持って踊ったり、
でも、人生は、お互い、各自、別々で、別であることが、なんの難点もなかったりして、
じつに面白いものである。
別々の立ち位置で、共存し合うには、
自立した別個のものであるほうが、いい影響を与え合うことが多いことだろう。

(競技ダンスは、ペアは、夫婦であるケースが多い)


それよりも、なによりも、
なにごとも、楽しむことが、第一である。

楽しくなければ、意味がない。
壊され、もがき、癒され、再生され、楽しむ、これの繰り返し。
楽しさは、生きる意欲、人生のベースになる。

 

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小学生は、考えた

2013-03-16 | ブログ

さて、あと何分だか、何十分だか、わからないが、とりあえず、自分の使える時間でブログを更新する。
時間が決められないというのは、ツライものだ。
いつも、わたしは受動型。自立型ではない。
人生のパターンそのものだ。

あ、足音が・・・。
時間が、やってきた。
なんと早い。あまりにも、早すぎる。

こんな状態では、とてもブログを書けないのだが・・・
一日のうちで、この作業が終わらないと、気が落ち着かない、ブログ更新・中毒症。

と、ここまでの文章って、そのまま、カットして、本題に移るべきものなのだが・・・。
さて、どうしよう・・・。

今日の、小学生日記。
まだ、書き始めなのに、残念ながら、顔を洗って出直してきます。

 

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ブログは、自分を救う

2013-03-15 | ブログ

旅のブログ。

更新せずに、ほったらかしていたのだが、どこかの、どなたかが、気に入ってくださったようす。
訪問数は、ビビビビビビたる数であるが、時に、こういう、サプライズ的に目にとまることがあるようだ。

もう一方の、小説ブログ。
放置しっぱなしで、アタマからも、小説の存在自体が、すーーっと抜けている。
いずれ、続編を書く・・・日は、来るのか?
(第一話、完結とか、全然してないのに)

いいかげんである。
じつに、じつに。

わたしのブログに対するスタンスは、「いいかげん」が全編を貫いている。
楽しくなければ、ブログでない。
なので、放置も楽しさの一貫?
いや、そこは、そうでもなく、胸がきゅんと締め付けられるところだ。
やはり、自分でも、反省したりする。
やりかけて、途中で投げ出すのは、わたしの常套手段であるが、やはり、精神衛生上、よろしくない。

何年か先には、進んでいるかも知れない・・・(などと言って、自分を甘やかす)
旅に関しては、計画が動きそうではあるが、ブログに書く余裕が、いまのところ、ない。

なんだかんだ言っても、ブログは、自分を救う。
だから、やめられない・・・。

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ぽたぽた、ぼたぼた、じゃーじゃー、天才詩人

2013-03-14 | 日々のこと

今日はまた寒い日だ。

一日の中に、ヨーロッパがある。四季がある。
暑くなったり、寒くなったり。

こうやって、段々暖かくなっていくのだが、
こうやって、気温の変化についてゆけず、体調を崩したりする。

出かける時の服装・・・どんだけ悩むか。
まず、コート。
ダウンコートにすると、お昼間、外はポカポカだったりして、いかにも、マヌケっぽい。
すぱっとジャケットにするほど、潔くない。
わたしは、寒がりだから。寒いと耐えられない。

で、薄手のコートにして、中に着込む作戦を。
長袖ヒートテックシャツは、暑すぎないか?
いや、これは、必須アイテム。
では、その次。
タートルネック長袖カットソー。
暑いかも?
その上には、ジッパー前開き長袖チュニック。
これは、脱げない。
脱ぐと、とんでもないことになる。せいぜい、前をMAX数十センチ開けるぐらい。
さらに、その上には、薄手のウール長袖カーディガン。
そして、コート。

タートルネック・カットソーと、ウール長袖カーディガンは、間引き可能。
脱いだ時は、バッグに詰め込む。
着込む衣類の総数は・・・、行きは全部で3枚、途中で4枚に、帰りは5枚に。

帰りは持っていた衣類すべてを着込んでも、まだブルブル寒かった。
雨も冷たかった。
そんなに細かく服装調節しなくても、我慢したら済むことなんだけど、我慢できない、老化現象。

さらに、花粉飛びまくり、で、鼻が、ずるずる。
突然、なんの前触れもなく、鼻がぽたりと落ちる。
あれ? 涙? 雨?
いえ、鼻水です。

なので、常にハンカチを手放せない。
ちょっとでも手間取って探していようものなら、その数秒の間に、ぽたっぽたっ。
ああ、バッグの上に・・・ああ、服の上に・・・ぽたっ、ぽたっ、ぽたぽたっ。
雨が泣き出したよう。
泣き出したいのは、わたしだ。


小降りだった雨が、強くなってきた。
出先のエレベーターで、5歳ぐらいの女の子が、お母さんに言った。
「土砂降りやね」

うわ~、この年齢で、そんな単語、知ってるんだ~と、わたしは目を丸くした。
風も強かった。
彼女は、こう言った。

「風に、食べられる~」

うわ~。
この年齢で、彼女は、詩人だ。
わたしは、脱帽した。

 

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順調な下り坂

2013-03-13 | 日々のこと

最近・・・

膝が痛い。
腰が痛い。
目が痒い。
鼻が出る。
歯が悪い。
目が悪い。

季節の影響もあるが、年のせいでもある。
もともと、若い頃からのお付き合いのものもあるが、
ああ、わたし・・・けっこう、年だって、しみじみ感じる。
ずしっずしっ、どしっどしっ、と、老いが向うのほうから、やってきている。

アタマが悪い。
言ったことを忘れる。
聞いたことを忘れる。
人名、漢字を忘れる。
言おうとすることが、よくわからない。
新しいことが覚えられない。
「いつ、どこで、誰と、話した? 買った? 食べた? 見た? いくらだった?」を忘れる。
予定や出来事は、メモが必要。

複雑なことをぺらぺらスピーディに、しゃべられると、意味がわからない。
比較的かんたんなことでも、理解が遅い。飲み込みが悪い。
アタマの交通整理係が、休暇をとっている。
(これは、若いときからだ・・・)

道に迷う。
180度、または360度、回ると、方向感覚がゼロになる。
電車に乗ると、毎日乗っている電車でも、座る座席の位置で、下車してから、まったく逆方向に歩き出す。
お店でトイレに行くと、自分の席にたどり着くのに、まごまごする。
一旦お店の外に出ると、その店に戻るのに、迷う。

下準備をしない。
ツメが甘い。
交通ルート、目的地へは最後は、駅からタクシーで、と考えるのはいいが、
タクシーに乗ろうとすると、田舎すぎてタクシーがない。
出席時間に到着しそうもなく、焦る。


などなど、書けばキリがない。
しかし、わたしとしては、順調な老化であると、とらえる。

老化は、悲しいことではあるが、嘆かわしいことではない。
杖を用意すればいい。

赤ちゃんは、昨日、できなかったことが、今日、できている。
老化は、昨日、できていたことが、今日、できない。
たんに、時計の進み方が、逆になっているだけだ。

人間は、生まれて、死ぬ。
これは、悲しいことではあるが、嘆かわしいことではない。
覚悟していれば、少しはマシ。
だが、往生際が悪いのも、ひとつの美学。とても人間らしい。


若い頃には、まったくわからなかったことだ。
なので、若い人に理解せよ、というのは、無理。
ただ、多くの世代の人たちと日頃、接している人と、そうでない人とでは、理解度が違うだろう。

不条理の摂理、横たわる不動の壁。

若いときは、そんなこと、まったく考えなかった。
でも、人生の残り時間が少なくなると、時間が貴重になる。

赤ちゃんは、すごいエネルギーの塊だ。

 

 

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「言葉」の持つ意味

2013-03-12 | ブログ

言葉には、いろいろな受け止め方がある。
人の目を引く言葉というものも、ある。

ただし、使い方に注意。
毒にも薬にもなる。

鋭い言葉を意識的に使い、人の注意を引く方法もあるが、
自分が意識していない、そして、別の意味で使っている言葉を、
読んだ方の感性で、書き手とは違った解釈をして受け止められることもある。

読んだ方が、自分の状況にあてはめて、自分のことを言われている、と感じたり、
あるいは、嫌な気持ちを呼び起こすことがあるようだ。
楽しい愉快な、幸せな気分を引き起こすならいいが、
嫌な、暗い、思い出したくない眠っている気持ちを引き起こすようなことを
自分が無意識で、タタタと軽快なスピードで打つキーボードで、しているなら、とても困ったことである。

なにかを、不特定多数の人に向けて発信する怖さのようなものを、感じずにはいられない。


いろんな人がいて、ひょんなことで交差するのが、ブログなのだ。
そうそう、気に入ったブログや、どんぴしゃりのブログには、めったに出会えない。
せっかく出会ったと思っても、ブログそのものをやめてしまわれることもある。

なので、お気に入りブログも、そして、自分のブログも、大切にしようと思った。

 

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初、指揮官・体験。疲れました。

2013-03-11 | 

自分のブログ。
ぶっちゃけ、わたしは、静かなほうが好き。居心地がいい。
人の興味を引いても、その関心内容が2チャンネル的だというのは、自分の嗜好には合わない。


さて、そんな話は卒業の感あり、・・・で、話は、変わり・・・ます。

一連の我が家のお祭り騒ぎイベント、最も大きなものは、昨日、無事、終了したが、
まだまだ、続く。

結婚し、人が生まれるということは、ありとあらゆる方面に、大変、大きな経済効果をもたらす、と、しみじみ実感した。
経済だけではなく、精神的にも、行動的にも、活力が加わる。
ヒト、モノ、カネの流れが勢いづく。
まさに、国力の元、エネルギー源である。

そして・・・雑感です。
社会の最も小さなコミュニティーである、家族。
家族の形態は、時代によって、そのカタチを変えていくが、核家族というものは、シンプルで、まさに、核。
身動きが取りやすく、どすんどすんと重い巨体に比べると、それはそれは、楽。

家族のあり方は、家制度の崩壊とともに、大きく変わった。
家の付き合いというものが、すぽっとなくなると、自分たち単体だけの付き合いになる。
イベントも、そう。
単体といっても、最低限、自分の家族以外の人たちともお付き合いはする。
贅肉が、そぎ落とされた、厳選された、お付き合いとなる。

昔からの風習や、習慣、姻戚関係、義理の付き合い・・・どこまで取り入れるか、新しい核家族の胸ひとつ。
楽、自由、開放感!!
シンプルチョイスは、グッドチョイス、さらにベストチョイスに、なればいいが。

わたしが、いままで受けてきた、親世代の生活様式や、お付き合いとは、打って変わって、最小限度のエコ付き合い。
家の大きさ、規模も、ぐーーんと小さくなり、楽なのはいいが、軽い、小さい、抜粋手抜き、
吹けば跳ぶような一代限りの儚さ、泡沫感も。
時代の流れか。
地域の違いか。

それが気になる、気がかりなら、もっと、重厚にやればいいのだろうけれど、
こんなに楽でいいのか、と、気が抜けるぐらいだが、
旧き良き文化を踏襲しきれていない、仕事をちゃんと完全にしきっていないような、
自分の代で、バトンタッチを中断してしまっているような、自分への後ろめたい反省、責任みたいなものも、感じる。

わたしは、自分流、自分カラーでモノゴトを進めたのは、この度が初めてじゃないかと思う。
いつも、上の世代からの踏襲、コマとなって動くだけだった。
やっと、中間管理職となり、部下も動いてくれ、とても助かっているが、
やはり、評価の対象は、船の船頭である自分ということになる。
下っ端で、文句を言いながら、使い走りをしているほうが、楽かも知れない。

お客様に、お出しする料理ひとつにしても、
自分で作るわけではないが、オーダーするにも、多くのモノの中から選ばなければいけない。
厳選。
ジャンル、質、量、出すタイミング、・・・
へんに、バタバタしていても、ゲストは、落ち着けないと思うし、
かといって、わたしはサービス、接待しなれていないので、おたおた。
口下手のくせに、会話もしなければいけない、なんて、思ったり。
お土産の用意も、さてさて、どんなものがいいのやら、と悩んだが・・・。

結果的には、ごくごく普通だったように思う。
「たいしたことでもないじゃない。あんなことで悩んでたの?なあんだ、大げさな」
と、鼻で笑われるかも知れない。

この年になって、わたしにしてみれば、初めての、指揮官の役割。
今までは、すべて、部下として、パシリとしてとしか動いたことがなかったのだと、思い知った。
母や、義母が、家の大きな行事の際、ゲストを迎えるときに、汗を流しながら、ピリピリしていたことが、よくよくわかった。

わたしは、今回、実家を離れての初めてのことだったが(・・・遅い・・・。なにぶん、お年寄りが元気なもので・・・)、
核家族の家の規模があまりにも小さいので、これでいいのか?と肩透かしを食らうような、
いやいや、これでいいのだ、自分は、ミニマム・エコ流で、と思ったり、
時代の流れに乗る、というか、時代の流れを自分流、我が家流にアレンジするというか、
貴重な体験となった。

義母や母、義姉、姉たち、・・・いまさらながら、尊敬する。
前例があるということは、基準となり、方針決定の舵切りの助けになる。
よき先輩である。
彼らも、前例を見て、自分の代には自分流の判断を加えて、家の行事をこなしてきたことだろう。

娘たちは、義母・母の、両方の家の流儀を見聞きし、知った上で、
そして、核家族的なわたしのエコ流儀にも、手足となり参加し、いろんなことを学ぶことだろう。
いずれ、彼ら流の方針、スタイルで、推し進めていくことだろう。

重厚からエコへ、さらに、未来派へ。
時代とともに移り変わる、家族の風景。
家族は、カタチを変え、過去・現在・未来へと引き継がれてゆく。

 

 

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