蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ようやくトンネルから出口の光

2024-06-10 | わたし
ミニ鬱、突入から3ヶ月目。
やっと動き出したかんじ。
少しずつではあるが。
一旦、自分を空っぽにしてみた。
自分はいったい何がしたいのか?
何にもしない空白の日々を過ごして自問した。

で、、、
退屈だった。
何にもしない、何もしなくてよい、何もしたくない、、、
なんであれ、何にもしないのは、身体に良くない。
健康体なので、先に身体が音をあげた。
こころのせいで、エンジンが止まり、動かなかったが、健康体はやはり動きたがる。
心身は一体だ。
自宅軟禁は疲れる。
家に篭っていないで外に出るべきだ、と、友人にアドバイスを受けた。
外が面白くなくても、失敗しても、とりあえず行動に移すべきだ、と。
自宅が例え1万坪で、やることがいっぱいあったとしても、、、それはそれで、やることがありすぎて、心身共に疲れそうだが。
(→例えが変)

というわけで、なんだかよくわからないが、わたしが能動的に動いたわけでも積極的に頑張ったわけでもないのではあるが、外因から、偶然、日常が動き始めた。
わたし以外は、周りは動いていたのだ。
梅雨のシーズンに突入し、その後は想像するだけでゲンナリする酷暑がやって来るにもかかわらず、なんとなく気持ちが上向きになった。
よかった、、、。
虚しくじっとしていたが、底まで沈んだ後はしばらくすると浮き上がるようだ。

スケジュールも無理のないバランスで活発になっている。
忙し過ぎるのも疲弊するが、逆もまた良くないことを身に染みて感じる。
人生には何度かそういうバイオリズムがあり、何か引き金があると、ミニ鬱が顔を出すようだ。
たぶん、今のミニ鬱は、老人への入り口にいるわたしが、入りたくなくて抵抗、停滞していたのだろう。
老化という捉え方なら生物として抗えないので納得できるが、老化ではない、生来の力や経験・体験を通して年齢を重ね自分が培ってきた力。
その自分の能力を知り、その限界がわかり、今後の展開を予想して、やる気をなくしたと思われる。
やり直し、再チャレンジするには、エネルギーが足りない。
だが、すっかり枯渇して2度と湧き上がらないわけではなく、時間が経てばまたチャージできる。
挫折してもまた這い上がる。
無駄な抵抗、あがき、、、ではあるが、これは、生きる原動力だと思う。

老化のせいではない、自分の能力の無さを思い知り、こころが傷んで痛んでいた。
やっとこさ、ちょっと治ったのかな、、、
と。
友人たちとの交流も復活しそう。
今後も頻繁に行動を共にはしないと思うが、それがキッカケになって、わたしの、細い管につっかえていたもの、詰まっていたものが溶けた感じで、ようやく少しずつ流れ始める。
停滞は良くない。流れないと。
無理やり詰まっているものを外科的に取ると傷が生まれるが、漢方薬のように、自然治癒力を促す、そういう方法だと思う。
自分流、行動療法。
良くなるまで、じっと待つ。
病み上がりではあるが、快適な気分だ。


思い出が、あっちに行ったりこっちに来たり

2024-06-08 | 思い出
姑(故人)と母(生存)、1歳違い。
彼女たちの青春時代は戦争一色。
姑は女学校時代、同じ近畿圏内に移動させられ、そこの軍需工場で学生勤労奉仕。
主要軍需工場のため、ピカピカ、バンバン、空から爆弾が降ってきたらしい。
大人になってからも、雷が鳴ると、子犬が震えて陰に隠れるように、姑は異様に怖がっていた。
母からは、戦時中の話を聞いたことはない。
母の兄と、母の姉の夫は、戦死。
話したくないのだろう。
あるいは、起こってしまったこと、済んだことは振り返らない楽観主義?
舅と父(ともに故人)は7歳違い。
舅からは、戦争の話は一言も聞いたことがない。
が、ご近所の皆さんからの、大きな白い布への寄せ書きや、満鉄?の軍票(当時の紙幣?)など、戦争グッズは残存している。
父は、飛ばされた戦地の縁あった人々を、戦後、何度か日本に招いていた。
わたしは家に来たマレーシアの女性と、子供の頃、お話した記憶がある。
台湾女性が日本で台湾料理店を営んでいて、そこに食べに行ったこともある。
甘酸っぱい酢豚に、入っていたパイナップルときゅうりが、わたしにはインパクトが強かった。
(当時小学生低学年?)

戦地での記録を父がパソコン入力し、データを義姉がプリントアウトしたものがある。
我が家の2階の、ガラクタ山の中に埋もれている。
根性を出して探せば見つかるが、内容は記憶の中だけでもいいかも。
父は戦地に赴く前の写真もある。
家の前庭で両親(祖父母)と共に写っている。
(その場は、今も現存)
ひとり息子を送り出す祖父母は、どんな気持ちだっただろう。

高校の社会科の先生が、戦地から九死に一生を得て生還した話を授業中に聞いたことがある。
「戦争経験者は、目が鋭い、決して目は笑っていない」と、彼は鋭い笑わない目で語っていた。
高度成長期の生まれ育ちのわたしには、ぴんと来なかったが、どうも我々(生徒)は、弛んでいるそうだ。
檄を飛ばされていたわけか。
「あいつらの目は腐っている」と当時の特定の集団を指して糾弾していた。
今なら絶対に、NG発言だ。不適切どころではない。
すでにわたしの時代も、古き時代。

ではあるものの、わたしの学校では、廊下にバケツを持って立たされる、とか、体罰とかは、全くなかった。
ちょっと時代が5年以上ズレるのか。
というか、そんなヤンチャな子供はいなかった。
一般的な開かれた学校ではなかったので、あまり参考にはならないが。
当時生徒だったわたしが面白いと思ったのは、教師がエリート意識を持っていること。
これ、おかしい、かなりパラドックスである。
教師も人の子、生き甲斐をもって職務にあたるのは良いが、生徒にプライドを明言しなくてもよいものを。
もう老成、老熟していたと思われる(自分で言うか?)当時の生徒のわたしは、先生の意識は勝手に各人、持っていただいたらそれで結構なので(わたしには関係ない)、わたし自身の進む道さえ確保出来ればそれでよい、と思っていたフシがある。
自分が小学4年〜5年ぐらいの時にわたしは、教師を見限った。
教師なんかは生徒(わたし)を理解していない、結果だけで判断する、ということを強く思った。
教師不信というわけか。
その割には、わたしは不良にもならず、問題も起こさず、消極的ではあるものの、目立たず大人しく、過ぎて行ったものだ。
不良になるには、逆噴射エネルギーがかなり要るので、わたしは明らかにエネルギー不足だった。
嵐が吹き荒れる家庭生活に日々、疲れていたので、学校には息抜きに行っていたようなものだった。
どこにもエネルギーは存在しない。
鬱憤が溜まる余裕もなく、家庭のストレスを平和な学校で癒していた。
変な構図だ。
自分は劣等生で追い詰められる学校にストレスを感じないなんて、おかしい。
おそらく劣等生であることは、たいしたストレスではなかったのだろう。
家庭に比べると。

ちなみに。
成長過程の子供にとっては、学校と家が全て。(習い事は、学校に含まれる?
部活も学校に含まれる? どうなんだろう?)

学校でも家庭でもない第3の緩和ゾーンが必要だとされている。
緩和ゾーンは、趣味のことや、こころを解放できるところ。
習い事は微妙なポジション。
しかしながら、なんやかんやとアワアワいっている間に、すぐ卒業して、あっという間に時間は経つ。
全ては思い出となり、混ざり込んでしまう。


※写真は、昨日の枚方市山田池公園の花菖蒲園。
2年前は一面、見事だったのに、マンパワー不足のため、すっかり菖蒲の規模が縮小されていた。
こんなところにも、経済衰退をひしひし感じる。





人の話を聞かない

2024-06-06 | 老い
趣味仲間Aさん。
理解力がなさ過ぎて嫌になる。
わたしが言っていることの「意味がわからない」と言う。
他の人と全く同じ内容の、お知らせLINEを複数人に送ったところ、Aさんから意味不明だと返信された。
他の人は皆さん、意味がわかり、それぞれ反応があった。
なぜ、このAさんだけが、わからないのだろう?
個人差?
認知症の入り口?

丁寧な説明を重ねているが、返信はない。
結構、ストレスだ。
翌日、Aさんから「日常的に接していないと(前にわたしが言っていたことは)忘れました」と追加LINEがあった。
それに対して、ムカついたわたし。
「例え日常的に顔を合わせる人にでも、(自分の私的なことを何度も何度も自慢げに声を大にして)言いません。
滅多にほとんど日頃会わない人で、前にたった一回だけ言ったことでも忘れない人もいますよ」と、わたしはカンジワルイ反撃LINEを送った。

顔を合わせて挨拶するだけの人や、時折、お茶を飲むだけなら良い。
が、Aさんとはそれまでの経緯がある。
その人の意向や意見に従い、物事を進めて行く関係にある場合(時としてパワハラにもつながる)、自分が関心がないことはすぐ忘れ、自分がこだわることは間違っていても押し通すような人に、協力する気はどんどんなくなるし、納得できない、従えない。
第一に自分の非を絶対に認めない人は、わたしは距離を置く。
誰だって、長所や短所、得意や不得意がある。
そして例えトータルしてマイナスがプラスを上回っても、一点豪華主義で聳え立つ美点(良いところ)があれば、それは強みだ。
マイナス点も目をつぶることになる。
が、逆もあり、どんなにトータル高得点でも、どうしても受け入れられない点があれば、アウト。


Aさんは、少し変わっている。
今回のことだけでなく、他のことも、わたしの言うことを全く意に介さないどころか、聞く耳を持たない。
自分が言いたいこと、欲求、要望だけを伝えて来る。押し付ける。
話し合いなど、まるで出来ない。
コミュニケーションの取り方がわたしと合わない。
調整だの、すり合わせだのが、出来ない。
だから、わたしは提案を承諾しない。却下。

もし、本当に認知症の入り口だったとしても、なんの不思議もない。
「認知症を特別扱いするな、普通だ」と、TV等の医療情報が流れている。
目の当たりに身近な人たちの推移を直に見ていると、わたしもそう思う。
ある日突然ではなく、徐々に。
そして、ある時期を境にスピードが早まる。


しかしなあ、、、
あれだけわたしが言っていたことをすっかり忘れているなんて、、、
控えめに言ったので、仕方ないといえば仕方ないけれど、わたしのことを軽んじている、どうでもいいと捉えているとしか思えない。
全然、聞いていない、頭に残っていないのだから。
頭が悪いせいなら、仕方ないのか?
ではあるが、、、
そういうことが積み重なって、うんざりしている。
距離を置きたくなる。
人が段々離れていくのは、こういう経緯からではないだろうか。

歳を重ねると、自己中心になりがちだ。
人間関係もそうやって、断捨離したり、されたりするのだろう。
だが、自分が、面倒臭いから、嫌だから、人付き合いをしなくなる自分側理由ならまだしも、人から呆れられて切られることもあるだろう。

孤高の孤独が、自分では自分の嗜好でそうしていると自負していても、たんに人に嫌われて距離を置かれたせいなら、能動的選択ではない。
お付き合いしないのは自分サイドの嗜好、思考だけではなく、相手から疎まれている側面を気づかない自業自得なら、わたしの目指す理想ではない。
人の振り見て我が振り直せ。
気をつけなければ。
気がついたその日、その瞬間から、新しい自分。
ずいぶん、遅いけど。

必要がないからと引きこもらず、外に出る。
人と接する、交流する。
そう心がける。
これは日々勉強になる。
そう遠くない将来に訪れる、本格的老いに備えて、自分を見直し、新しく自分の土台を補強する。
本格的に老いた時は、自然な流れに添う。
今はまだ、気づき、発見、補強時期。


ブログが好きなんです

2024-06-05 | ブログ
ブログは面白い。
書きたい欲求が、ムクムク。
たいして書きたくなくても、毎日更新したほうがいいかも?と、誰も望んでもいないのに、自分だけの気持ちから頑張る。
趣味とは、そんなもの。
気持ちの張りを作る。
これが仕事だとそうは行かない。
義務感、悲壮感が漂う。
だが、達成感、充実感はすごい。

わたしは仕事はもうしない。
卒業した。
というか、結婚するまでの期間は実家で過ごした。実家暮らし。
稼業手伝いで、一生分の仕事は為した気分。

一人住まいの経験なし。
わたしのほうが夫より長生きすれば、憧れの一人住まいが出来る。
でも、独居老人枠。
同じ独身でも人生のスタート時と終了時ではえらく違う。
まあ、生まれる時も死ぬ時も一人であるが。
孤独死や、入院中でも家族と同居していても、死ぬ瞬間には誰も周りにいないことはある。
とは言え、生まれる時は介添人がいる。
トイレなどで人知れず一人で産む女性もなかにはいるけれど、レアケース。
あ、一人っきりではない、、、産まれる時は赤ん坊は、必ず母親がいる。母から産まれてくるから。
母も一人で産んでも、産んだ子供が最低一人(多胎児なら複数)必ずいるのだから、介添人がいなくても、当事者と子供、合計すると母と子、一人ではない。複数人。
(とは言え、時間差はあるものの、多胎児の場合、体外に出てくるのは同時に何人もではなく、一回につき一人づつ???)→シツコイ


わたしは、蝶ブログに関しては、ごくごく限られた人以外には、なんの関わりもない。
書きっぱなし。
長年、このスタンス。
無名の、何の特徴もない一般人の個人ブログに、よくぞお越しいただきました。
と言っても、少し読むとすぐ飽きられる。
これは事実である。
無常。無情ではない。
その中でも繋がり続けている人がいるのは奇跡だ。
適当に読み飛ばすか、ワンクリックして開くだけにしておくのも、アリ。
肉親、血縁者を含め、世界中のナニビトたるも全員が自分と全く同じ考え、感じ方、意見で、全てを受け入れ賛同、なんてあり得ない。
全てを重ね合わせるのは無理。不可能。
が、無関心が一番キツイ。
攻撃されるよりマシか。
各人、棲み分けが行われ、自分のテリトリー内で機嫌良く暮らせたらよい。
つまみ食いして、シェアできる部分だけを楽しむ。

あ、それと。
毎日、訪れたいブログの必須条件は、、、短文であること。
長文は、アウト。
これを十分承知の上で、自分の気分にまかせて長文を綴る愚蝶ブログは、一般的にはウケない。
自分の救済に徹底しているが、救済の中には、読んでくれる人がいるという実感も含まれる。
一役買っていただき、ありがとうございます。

カッコイイ彼

2024-06-04 | 思い出
わたしが初めて(学校以外で)お付き合いした男性K。
わたしと同じ歳、同学年。
中学から、それぞれの地域の公立高校や、地域は関係ない私立高校に進学するが、K市のH高校に進学した元クラスメイトから、H高校のKの名前を後で聞いたことがある。
出会ったのは、高校を卒業したばかりの年の3月。
アルバイト先で、お客さんとして、いつもKは友達と2人で来ていた。
どうやったら、わたしと近づけるのか、2人で話し合っていたようだ。
その時の背がひょろ高いKの友人の顔を今でもはっきり覚えている。

Kは、大学入学に際しては浪人したが、1年後には第一志望ではない大学に入った。
学部的には偏差値は高いが、Kは志望大学には、こだわりがあった。
身長180センチで、すごくスタイリッシュでオシャレな男子だった。
いかにもKOBEっ子というかんじ。
Kからもらった錨デザインのシルバー・ブレスレットをまだ持っている。(捨てる機会がなかった)
今、思えば、お付き合いが続かなかったのは、わたしのせいもあるようだ。
当時は、自分の発言、主義主張はどういう意味合いを持つのか、全然意識がなかった。
単純に思ったままを口にしていた。
若き日は、無知な日々。

まあそれはそれ、として。
Kと結婚しなくて良かったと思う。
あんな、カッコイイ、ハイスペック男では、絶対に上手くいかないのは、見え見え。
わたしたちは、まだ10代で青かったから泥沼にはハマらなかったが、それで良かった。
沼にも行きつかず、せいぜいハイキング止まり。
無意識なりにわたしは自分の人生を自分で作って、実践していたようだ。
親の影響が大きかった。
自分が幸せになるのはどんな男性かを本能的に嗅ぎ分けていたと思う。
垢抜けないダサい人が合っているみたい。

過去を振り返ると、わたしに好意を寄せてくれるのは、ダサい人ばかり。
なんで?
カッコイイ人は見事に素通りした。
ダサくて性悪の悪人なら話にならないが、ダサくて「真面目」がセットになっている。
意地悪だとか、小狡いだとか、悪知恵を働かせるとか、そういう手は使わない。
小悪党でも大悪党でもない。善人。
信頼できる。
ただし、ダサいのだけが、いただけないが。
(自分ではダサくないと思っているようだが)
まあよい。
知らないことは、幸せなこともある。
ダサさは、生まれつきなので、努力してもどうしようもない。
センスの問題だから。
たとえ、美容整形手術をしても、センスまで変えられない。
カッコ良さ分野のセンスが悪くても別に何の問題もない。(逆に、見かけ倒しはイタイ)
たんにモテないだけだから。
モテないのは、安心出来る。
が、モテない男性がプロ女性に走るケースもある。
だんだん垢抜けてくるかというと、そんなことはなく、やはりダサいまま。
別にかまわない。
センスは磨かれる場合もあるが、磨かれないこともある。 
だが、センスへの欲求は捨てない。
(本人は、いつまで経ってもセンスないが)


話を元に戻す。
Kと結婚していたら、離婚していたかも知れない。
お付き合いも入り口で止まり、結婚もしてない、、、のに、取らぬ狸の皮算用とは、このことだけど。

わたしが知る男性たちは、自分は相手より上に立ちたい、優越感をベースにしていると感じることが多い。プライドが高い。
その代わり、こちらは、相手のダサさに目をつぶる。
こちらもプライドが高い。
なので分野が違うプラマイゼロ、取引は成り立つ。
理性と感性のやり取りかも。

素朴で純粋な人もいるが、わたしが素朴で純粋ではないため、接点がない。
が、今はわたしは高齢者になって、こだわるものがなくなったので、接する人への基準や価値観は、ころっと変わった。

ハイスペックはもう必要ない。
若いカッコいいルックスは高齢者にはあり得ない。
なので、2大要素が脱落した後に残るものは、、、お人柄。
外側をはずした、素の本人。
そもそも、若い時から、「人柄」が最重要なのに、そう感じていなかったわたしは、目が見えていなかった。
この歳になって、やっと見えて来た。
かなり遅いが、感動することが増えて、今は、お得なオマケ付き人生だ。



自業自得の毎日

2024-06-03 | 趣味
1週間のうち、4日も割いていた、ある趣味活動を休止してから2ヶ月が過ぎる。
続けることも出来たのだが、わたしの一方的意思で、やめた。
やめた後もずっと、復帰してちょうだい、とオファーを受け続ける。

自分からやめたのに、メリハリのない毎週毎週、のんべんだらりと何もすることがなくて、すっかり退屈している。
しかし、元のように戻ったら、せっかく意を決して、やめた意味がない。
のではあるが、、、、退屈。
でも、戻りたくない。

これは著しく贅沢、ワガママである。
10000人中10000人に、善く思われないだろう。
不快感を抱かれるだろう。
まさに、タネを自分で作り、苦痛を感じているならいざ知らず、退屈でしかたない、なんて。
だがしかし、せっかく頑張って決意して憂鬱を回避したのに、元の木阿弥にはなりたくないし。
憂鬱は一時的に解消でき、その代わりに退屈がやってきた。
真ん中は、ないのか?
ちょうど良いさじ加減は、ないのか?
ゼロか1か、のコンピュータのようだ。
0.5は、ないのか?
まったくもう、、、世界は自分を中心には回らない、、、の典型。

2ヶ月もぼーっと何もしなかったら、身体も頭もこころも、緩みまくる。
まるで入院生活か、収監か、自宅軟禁。
しかも、自分から能動的に決めて動いて、わざわざ動かないことを選択してこうなった。
新しい動きをしなければ、家のなかでナメクジが溶けるかのようになってしまう。

前々から嫌だな、やめたいな、と思っていた別の案件も、時を同じくしてやめた。
なので、一気に、冷蔵庫の中が空っぽになるかのように、ずっと入れていた消費されない厄介なお荷物が一新された。
のは良いが、代わりのものを入れないと、空っぽのまま。
わたしは、いったい、何がしたい?

あれも嫌、これも嫌、と、取り除いて行ったら、なんにも残らなくなった。
あらま、わたし、何もない。
断捨離の先に何も残らない。
(不要品のモノは家に山と積まれているが)
自分から自発的に自主的に能動的に、したいことはないのか?
いつも、したくないことを渋々付き合っていただけなのか?
邪魔な障害物を除くと、何もないなんて、、、。
ある意味、びっくり。

心身ともに健康で、足腰も動くので、そろそろこの自主的自宅軟禁は耐えられなくなってきている。
出口が詰まっているのに後ろからどんどん押されて、ぎゅーっとなり悲鳴をあげる、、、の、まさに逆。
後ろから全く何も押してこない、後ろには何もない、自発的にやりたいことが、これほど無いなんて、驚きだ。
ある程度の期間が過ぎれば、自然発生的に何か芽生える、発生するだろうと甘く考えていたが、何にも発生しない。
あるのは、心身の健康と身の自由と時間だけ。
なまじっか、やろうと思えば出来る、選択肢の山が、幸福感を下げている。
ボランティア活動でもすればよいのだろうけれど、、、奉仕の精神が基本的に育っていない。
この時間を活用して、終活すれば良いのだが、断捨離、終活系の小説を読み漁り、精神的に士気を高め、外堀を埋めようとしている、、、が、小説を楽しむだけの、わたし。
好きな作家(垣谷美雨)が1人増えたのは、プラスの副産物だが。

今月中ばぐらいには、何かわからないが、動きがあるような気がする。
あくまでも楽観的憶測であるが。

やること候補は、あれこれ調べて練り上げリストアップして、明日にでも動けるのに、当日になると足が重く、お尻が重い。
足が地中に埋まっているかのごとく。
しかたなく、無理やり読書したりして時間を潰している。
なんなんだ?わたし?
自分から発する欲求というものが無いのだと、つくづく思う。
かと言って、人の圧力に屈したり、流されるのは嫌。
自分が無いくせに、人からの押し付けや、強制は嫌。
自分にあきれる、自分。


しかしここで、ふと思う。
仕事をリタイアした人が、リタイア直後に陥る状況と似ているのでは?
一生懸命熱心に取り組み継続していたことが、まったく無くなり、ある日、リセット。
あれと同じか。
リセットならまだしも、デフォルトか。

リタイアした知人を見渡すと、2人以外は、再就職(アルバイト)をしている。
他にすることがなくて退屈だから、仕事に復帰した人が多い。
仕事が好きなのか、仕事以外には何もないのか。
仕事をしていない、2人の人は、趣味三昧。
釣り、語学、歴史、創作、旅行、音楽、趣味交流、、、。
最初はあれもこれもだったが、行動の特徴がだんだん絞られてくる。
音楽系の人、歴史系の人、、、ただ、2人とも、身体を動かすことからはどんどん遠ざかっているようだ。
趣味を絞り込むのは良いが、やはり運動は必須だと感じる。
そうすると、また仕事に復帰した人たちは、趣味の時間は減っても(元々、強い趣味がない)仕事で身体を動かすので、バランスはとれる。
必要に駆られ、お金のためだけに仕事をしている人もいるが、時間的にバランス良く仕事を組み入れている人もいる。
バランス型が良さげ。

わたしは、ひとり行動がメインなので、何かしら自分でプランを立てないと、何もしないで退屈な時間を過ごすことになる。
趣味と運動を取り入れた活動が理想。
だとすると、今、休止している趣味こそが、理想的な活動だと言える。
再開するにも、新装開店グランドオープンではなく、リニューアルという熱量、テイストになる。


男社会を考える

2024-06-02 | 時事&世の中
「男社会を考える」。
京都の中高一貫私立男子校での授業がNHK TV 「関西熱視線」で紹介されていた。
女性教師による丁寧な授業である。
気づきや疑問はないか、と受講した生徒にアンケートを行ったところ、、、

◯女子が非力なのに、なぜ平等なのか?
◯専業主婦は家事が仕事なのに、なぜ他業種職業人の夫と家事を分担するのか?

中高生の疑問は純粋だ。
この学校は、男女共学ではなく中高一貫男子校であるところが、ミソ。

ちなみに、わたしの子供は全員、中高一貫私立校。
長女=女子高、長男=男子校、次女=共学。
同じ条件のため、見事に比較しやすい。
結論から言えば、時代は変わる、その移行期だったので、取り敢えず、古い今までの価値観を踏襲して、わたしは教育方針を決めた。
新しく訪れる未来を正確に予測できるとは限らなかったので、その時に最善だと思う道を選んだ。
それは、良かったのか、悪かったのか、判断出来ないが、教育選択について、今は大人になった子供達に恨まれることはなかった。
そして、孫たちはまた違う時代に沿った教育方針になっている。

3人共に自立してくれて、親の役目は終えたと思っている。
男子校に行っていた息子なら、上記の男子中高生と同じような疑問を抱いただろうか。

実は息子は社会人になってからは家に寄り付かなくなった。
学生の頃はよく帰省していたのだが。
理由はわかる。
夫が、帰って来て跡を継いで欲しいと直接、言うからだ。
わたしも、結婚しないの?と、聞いたり、両親共に、ウザかったのだろう。
何度かはっきり断られて夫は後継も諦めたようだし、わたしは結婚も諦めた。
そのあたりからか、息子は母の日にプレゼントをくれるようになった。
やはり、人生の選択を押し付けられるのは嫌なのだろう。
そんなこんなで、息子とはまともに話したことが、しばらくなかったので、「男社会」をどんな風に考えているのかわからない。

それよりも、息子が中高生の頃は、わたしは自分育て(仕事)が忙しく、子供にかまっている余裕がなかった。
中高一貫校に入れてしまえば、あとはエスカレーター式に次に進むだろうから、教育の手綱を離した。
学校でそういう授業があったとしても、親子や家庭で話し合うゆとりはなかった。
なので、どんな風な考えを持っていたのか想像もつなかい。
だが、社会経験を積むに従って、息子たちも考えも変わるかも知れない。

長女と次女は自宅から通学していたので、ある程度は様子がわかった。
二人共、絵に描いたように真面目な生活。
いったい誰に似たのだろう?
そのせいもあって、無事、自立してくれた。
男社会のど真ん中に就職し、まだ男女による仕事内容の区別は依然とあり、今のように育児も家事分担も夫が協力してくれない妻にとって、総合職は辛く、家庭に戻ってしまう親を持つ世代。
まだそういう流れが残っている中、お茶汲み女子、寿退職を選んだほうが、ずっと楽だったのに、、、しかしそれでは今の時代には合わないようだ。
わたしの目から見ると苦しい道を歩むことになったが、それは今では普通らしい。
当時、わたしは子供たちの将来に選択肢があるほうが、無いより良いと考えたのだが、かえってハードルを高くした。

今は、障害のある子も普通学級で一緒に学ぶし、運動会にも参加者する。
能力の優劣に対する価値観は、昔とは少し違うと感じる。
多様化社会。
障害そのものの実体は同じだが、意識が変化した。

ちなみに、男子中高校生の、「劣った女子を平等に扱うのは疑問だ」と感じた点。
「女子は劣っている」という前提からの発想だ。
では、劣っている男子はどう扱われる?
女子より優れていることが男子の絶対条件だとすると、男女共学の生徒ならまた違う感想を持つだろう。
(次女が通った男女共学の中高一貫校では、女子のほうが威勢が良かった)

男子中高校生の純粋な疑問、「専業主婦は家事が仕事説」、イタイところを突かれた。
どう納得させればよい?
専業主婦(主夫)も時代と共に位置が変わってきている。
税制にも変化がある。

国民は経済的にも平等であるべきだという社会主義と、貧富の差を認める自由競争の資本主義があるように、平等の考え方は色々。
男子中高校生にどうやって教えたら良いのだろう。

女子は小学校までしか教育を受けられない国も、現実として現在ある。
宗教が絡むと、他宗教からは何も言えなくなる。
が、宗教2世の悲劇もある。
自由を得るのは難しい。

さらに、
男性から性の対象としての捉え方には、女性からの非難の声が上がっている。
昔の常識は今の非常識。
ドラマ「不適切にもほどがある!」が話題を呼んだが、目の付けどころがキャッチーだ。



時代遅れ過ぎて、結婚できない

2024-06-01 | 日々のこと
役所広司、すごくね?
さすがです。

わかる人にしかわからない合言葉はさておき。
あ、岡部たかし(NH TV 朝の連ドラ「虎に翼」のお父さん役)も下積みが長くて、アルバイトで生活していたとか。
最近やっと、職業=俳優と言えるようになった、と昨日、TV生放送で言っていた。
自分の存在を無にする、消すことが出来る、存在感が全くない稀有な役者さんだそうだ。


で。昨日。
退屈な1日を過ごしていたわたしだが。
雨が降っているので、外に出たいのだが、出たくない。
図書館に行きたいのだが、濡れるのは嫌だから行きたくない。
、、、と、無駄な文字を連ねている。
(今日は、頑張るぞ〜)

さて。
暇にまかせて、ネットをうろうろ。
今時の婚活では専業主婦希望の女性は見向きもされないそうだ。
男性は、自分と同じぐらいの年収の女性を望むらしい。
年収の低い男性は、年収の低い女性を。
相手に高収入を望むなら自分も高収入でなければならない。
結婚後もバリバリ共稼ぎで働いて欲しいらしい。
養ってもらおうという願望がある女性は、相手にしてもらえないという。

今、わたしが仮に婚活をするとしたら、、、
(独身という設定で)
年金生活になるので、相手も年金生活者が適しているのだろう。
間違っても養ってもらえそうもない。
というか、婚活、しない。
もし独身だったとしても、結婚相手など探さない。
今のわたしの状況では、新しく結婚(再婚)はなんのメリットもない。
(離別も死別もしてないから、再婚しようがないが)

もし、若く独身で、未婚なら。
絶対、婚活で落ちこぼれるから、やはり、結婚しようと頑張らないだろう。
非婚になると思うが、子供が欲しいと望むかも知れない。
時代が変わり過ぎて、想像が及ばない。
ただでさえ、同世代の中でも時代遅れ、最後尾のわたしなので。
江戸時代劇が大好きな、さらにもっと時代遅れの夫。
が、1周か2周、あるいは3、4周遅れのトップになるかも?
遅れ過ぎて、コールドゲーム?
たんなる妄想。

朝ドラ「虎に翼」のヒロインのセリフにシビレるのは、自分が出来なかったことだから。
今でも、ひっくり返っても出来ない。