枕草子 第七十八段 返る年の
返る年の二月廿余日、宮の、職へ出でさせたまひし御供にまゐらで、梅壺にのこり居たりし、またの日、頭中将の御消息とて、
「昨日の夜、鞍馬に詣でたりしに、今夜、方の塞がりければ、方違ヘになむいく。まだ明けざらむに、帰りぬべし。かならずいふべきことあり。いたう叩かせで、待て」
と、のたまへりしかど、
「局に、ひとりは、などてあるぞ。ここに寝よ」
と、御匣殿の召したれば、まゐりぬ。
(以下割愛)
あくる年の二月廿日過ぎに、中宮様が、職の御曹司にお出ましになられた御供についていかないで、梅壺に居残っておりましたが、その翌日、頭の中将のお手紙ということで、
「昨日の夜、鞍馬寺へ参詣しましたが、今晩、方角がふさがっていたので、方違えによそへ行きます。明朝まだ夜が明けないうちに、京に帰り着くつもりです。ぜひお話したいことがあります。あまり局の戸を叩かせないように待っていて下さい」
と、おっしゃったのですが、
「自分の局に一人ぼっちとは、どうしてそんなことをするの。こちらで寝なさい」
と、御匣(ミクシゲ・中宮定子の妹君か)殿がお召しになったので、そちらに参上してしまいました。
すっかり寝坊してしまい、起きてから自室に下がってきますと、下仕えの女が、
「昨夜、どなたかが随分戸を叩いておられました。やっとのことで起きてまいりましたら、『上の局に行かれたのか。それなら、こうこうだと申しあげてくれ』とのことでしたが、お取次をしても『よもやお起きになりますまい』と思いまして、寝てしまいました」と話す。
「気のきかないことだなあ」と思いながら聞いていますと、使いとして主殿寮の官人が来て、
「頭の殿からのお言伝でございます。『今すぐ退出するのだが、お話したいことがある』とのことです」と言うので、
「しなくてはならないことがあって、上の局にあがっています。そちらで」と言って、使いを帰しました。
自分の局では、「戸を開けて入って来られるかもしれない」と気が気でなくて面倒なものですから、梅壺の東面の半蔀を上げて、
「ここにおります」と申し上げますと、頭の中将は実にすばらしいお姿で門の方から出ていらっしゃいました。
桜の綾の直衣がたいそう華やかで、裏の艶などは、何ともいえぬほど清らかで美しいのをお召しになり、葡萄染(エビゾメ・浅い紫色)のとても濃い色の指貫には、藤の折枝が絢爛豪華に織り散らしている紋様で、下の衣の紅の色や、打ち出した光沢などが輝くばかりに見えます。
白いのや薄紫色のなどの下着が、その下にたくさん重なっています。
狭い縁に、片足は縁から下におろしたままで、上半身は少し簾のもと近くに寄って座っておられる様子は、まことに、「絵に描かれたり、物語の中でのすばらしい姿として語られているのは、まさしくこのようなお姿なのだ」と見えました。
御前の梅は、西のは白く、東のは紅梅で、少し散りかけになってはいますが、まだまだ美しく、うらうらと日差しものどやかで、人に見せたいような風情のある情景です。
御簾の内側に、私などではなく、もっと若々しい女房などで、髪が麗しく肩あたりにこぼれかかっていたりしていて、外の中将と気のきいた受け答えなどをしているのであるなら、今少し情緒があり、見所もあるのでしょうが、すっかり盛りを過ぎ、とても古くさい女が、髪なども自分のものではないのか、ところどころが縮れたりまばらになったりしていて、それに今は喪に服している時なので、目立たない薄い鈍色(ニビイロ・ねずみ色)の表着に、色合いもはっきりしない際衣(キワギヌ・不詳、季節に合わせた服の意味か)などをたくさん重ねて着てはいても、全然引き立って見えないうえに、中宮様がおいでにならないので、正装である裳もつけないで、袿姿で座っている状態ですから、せっかくの風情をぶち壊しにしていて、残念なことです。
「中宮職へ参上します。伝言はありますか。あなたは、いつ参上するのですか」などと、頭の中将はおっしゃる。
「それにしても、昨夜は明けてしまわないうちに、『いくらこんな時刻ではあっても、前もって伝えているのだから、待っているだろう』と思って、月が大変明るい頃に西の京という所から帰ってきて、すぐに局を叩いたところ、留守居の女がやっとのことで寝ぼけまなこで起きて来た様子や、その応対の無愛想なことといったら」などと話して、お笑いになる。
「何とも、がっかりしてしまったよ。どうしてあんな者を雇っているのか」とおっしゃる。
「なるほど、そうであったのか」と、可笑しかったり、お気の毒だったり。
しばらくして、頭の中将は出ていかれました。そのすばらしいお姿を、外から見ている人があれば興味をひかれて、「部屋にはどれほど美しい女性がいるのだろう」と思うことでしょう。
反対に奥の方から見られているとしたら、私の後ろ姿からは、「外にあれほどすばらしい男性がいようとは」思いもつかないことでしょう。
日が暮れてから、中宮職に参上しました。
中宮様の御前に女房たちが多勢集まり、殿上人らも伺候していて、物語の良し悪し、気に入らない所などを品定めしたり批判したりしていました。
『うつぼ物語』の主人公である涼や仲忠などについては、中宮様までが短所や長所など、お考えを述べられていました。
「さあ、これはどういうことか、早く弁護をして下さいよ。中宮様は、仲忠の幼い頃の生い立ちの賤しさを、しきりに仰せになるのですよ」
などと女房の一人が言うので、
「どうしてどうして、琴なども天人が天くだるほどに弾きましたし、仲忠はそんな下品な人ではないですよ。涼は仲忠のように帝の御娘を手に入れましたか」と言うと、仲忠びいきの人たちは勢いを得て、
「そら,御覧なさい」などと言っていると、中宮様が、
「そのような話よりも、昼に斉信(頭の中将)が参上した時の様子をそなたが見ていたら、『どれほど夢中になって褒めることだろう』と思いましたよ」と仰せになると、女房たちは、
「そうですよ。本当に、いつもよりもずっとすばらしかったのですよ」などと言う。私は、
「『何より先に、斉信様のことを申し上げよう』と思って参上いたしましたのに、物語のことに紛れまして」と、梅壺の東面でのことを申し上げると、
「私たち皆が見ましたが、あなたのように縫ってある糸や針目までも見通すほどは詳しくはみていませんわ」と言って笑う。
「頭の中将が『西の京という所の風情溢れることといったら。一緒に眺める女性があればなお風情が増したことだろう、と思いましたよ。垣などもみな古びて、苔が生えていましてねぇ』などと話されると、宰相の君が『瓦に松はありましたか』と応じたのを、頭の中将が大変感心され、『西の方、都門を去れること、いくばくの地ぞ』と口ずさんだのですよ」
などと、女房たちがうるさいほどに私に話してくれる様子などは、実に楽しいことでした。
この章段も、頭の中将との話です。
今回は、上流貴族である中将のすばらしい衣装が紹介されています。
少納言さまの家系は、一般庶民からいえば雲の上のような存在ですが、宮中にあっては中流の家系に過ぎません。「兄」と呼ばれていた夫も、六位、五位といった身分ですから、上流貴族からは程遠い身分といえます。
少納言さまは、絢爛豪華な生活を送る上流貴族たちと、どのような気持ちで接し、それを観察していたのでしょうか。
返る年の二月廿余日、宮の、職へ出でさせたまひし御供にまゐらで、梅壺にのこり居たりし、またの日、頭中将の御消息とて、
「昨日の夜、鞍馬に詣でたりしに、今夜、方の塞がりければ、方違ヘになむいく。まだ明けざらむに、帰りぬべし。かならずいふべきことあり。いたう叩かせで、待て」
と、のたまへりしかど、
「局に、ひとりは、などてあるぞ。ここに寝よ」
と、御匣殿の召したれば、まゐりぬ。
(以下割愛)
あくる年の二月廿日過ぎに、中宮様が、職の御曹司にお出ましになられた御供についていかないで、梅壺に居残っておりましたが、その翌日、頭の中将のお手紙ということで、
「昨日の夜、鞍馬寺へ参詣しましたが、今晩、方角がふさがっていたので、方違えによそへ行きます。明朝まだ夜が明けないうちに、京に帰り着くつもりです。ぜひお話したいことがあります。あまり局の戸を叩かせないように待っていて下さい」
と、おっしゃったのですが、
「自分の局に一人ぼっちとは、どうしてそんなことをするの。こちらで寝なさい」
と、御匣(ミクシゲ・中宮定子の妹君か)殿がお召しになったので、そちらに参上してしまいました。
すっかり寝坊してしまい、起きてから自室に下がってきますと、下仕えの女が、
「昨夜、どなたかが随分戸を叩いておられました。やっとのことで起きてまいりましたら、『上の局に行かれたのか。それなら、こうこうだと申しあげてくれ』とのことでしたが、お取次をしても『よもやお起きになりますまい』と思いまして、寝てしまいました」と話す。
「気のきかないことだなあ」と思いながら聞いていますと、使いとして主殿寮の官人が来て、
「頭の殿からのお言伝でございます。『今すぐ退出するのだが、お話したいことがある』とのことです」と言うので、
「しなくてはならないことがあって、上の局にあがっています。そちらで」と言って、使いを帰しました。
自分の局では、「戸を開けて入って来られるかもしれない」と気が気でなくて面倒なものですから、梅壺の東面の半蔀を上げて、
「ここにおります」と申し上げますと、頭の中将は実にすばらしいお姿で門の方から出ていらっしゃいました。
桜の綾の直衣がたいそう華やかで、裏の艶などは、何ともいえぬほど清らかで美しいのをお召しになり、葡萄染(エビゾメ・浅い紫色)のとても濃い色の指貫には、藤の折枝が絢爛豪華に織り散らしている紋様で、下の衣の紅の色や、打ち出した光沢などが輝くばかりに見えます。
白いのや薄紫色のなどの下着が、その下にたくさん重なっています。
狭い縁に、片足は縁から下におろしたままで、上半身は少し簾のもと近くに寄って座っておられる様子は、まことに、「絵に描かれたり、物語の中でのすばらしい姿として語られているのは、まさしくこのようなお姿なのだ」と見えました。
御前の梅は、西のは白く、東のは紅梅で、少し散りかけになってはいますが、まだまだ美しく、うらうらと日差しものどやかで、人に見せたいような風情のある情景です。
御簾の内側に、私などではなく、もっと若々しい女房などで、髪が麗しく肩あたりにこぼれかかっていたりしていて、外の中将と気のきいた受け答えなどをしているのであるなら、今少し情緒があり、見所もあるのでしょうが、すっかり盛りを過ぎ、とても古くさい女が、髪なども自分のものではないのか、ところどころが縮れたりまばらになったりしていて、それに今は喪に服している時なので、目立たない薄い鈍色(ニビイロ・ねずみ色)の表着に、色合いもはっきりしない際衣(キワギヌ・不詳、季節に合わせた服の意味か)などをたくさん重ねて着てはいても、全然引き立って見えないうえに、中宮様がおいでにならないので、正装である裳もつけないで、袿姿で座っている状態ですから、せっかくの風情をぶち壊しにしていて、残念なことです。
「中宮職へ参上します。伝言はありますか。あなたは、いつ参上するのですか」などと、頭の中将はおっしゃる。
「それにしても、昨夜は明けてしまわないうちに、『いくらこんな時刻ではあっても、前もって伝えているのだから、待っているだろう』と思って、月が大変明るい頃に西の京という所から帰ってきて、すぐに局を叩いたところ、留守居の女がやっとのことで寝ぼけまなこで起きて来た様子や、その応対の無愛想なことといったら」などと話して、お笑いになる。
「何とも、がっかりしてしまったよ。どうしてあんな者を雇っているのか」とおっしゃる。
「なるほど、そうであったのか」と、可笑しかったり、お気の毒だったり。
しばらくして、頭の中将は出ていかれました。そのすばらしいお姿を、外から見ている人があれば興味をひかれて、「部屋にはどれほど美しい女性がいるのだろう」と思うことでしょう。
反対に奥の方から見られているとしたら、私の後ろ姿からは、「外にあれほどすばらしい男性がいようとは」思いもつかないことでしょう。
日が暮れてから、中宮職に参上しました。
中宮様の御前に女房たちが多勢集まり、殿上人らも伺候していて、物語の良し悪し、気に入らない所などを品定めしたり批判したりしていました。
『うつぼ物語』の主人公である涼や仲忠などについては、中宮様までが短所や長所など、お考えを述べられていました。
「さあ、これはどういうことか、早く弁護をして下さいよ。中宮様は、仲忠の幼い頃の生い立ちの賤しさを、しきりに仰せになるのですよ」
などと女房の一人が言うので、
「どうしてどうして、琴なども天人が天くだるほどに弾きましたし、仲忠はそんな下品な人ではないですよ。涼は仲忠のように帝の御娘を手に入れましたか」と言うと、仲忠びいきの人たちは勢いを得て、
「そら,御覧なさい」などと言っていると、中宮様が、
「そのような話よりも、昼に斉信(頭の中将)が参上した時の様子をそなたが見ていたら、『どれほど夢中になって褒めることだろう』と思いましたよ」と仰せになると、女房たちは、
「そうですよ。本当に、いつもよりもずっとすばらしかったのですよ」などと言う。私は、
「『何より先に、斉信様のことを申し上げよう』と思って参上いたしましたのに、物語のことに紛れまして」と、梅壺の東面でのことを申し上げると、
「私たち皆が見ましたが、あなたのように縫ってある糸や針目までも見通すほどは詳しくはみていませんわ」と言って笑う。
「頭の中将が『西の京という所の風情溢れることといったら。一緒に眺める女性があればなお風情が増したことだろう、と思いましたよ。垣などもみな古びて、苔が生えていましてねぇ』などと話されると、宰相の君が『瓦に松はありましたか』と応じたのを、頭の中将が大変感心され、『西の方、都門を去れること、いくばくの地ぞ』と口ずさんだのですよ」
などと、女房たちがうるさいほどに私に話してくれる様子などは、実に楽しいことでした。
この章段も、頭の中将との話です。
今回は、上流貴族である中将のすばらしい衣装が紹介されています。
少納言さまの家系は、一般庶民からいえば雲の上のような存在ですが、宮中にあっては中流の家系に過ぎません。「兄」と呼ばれていた夫も、六位、五位といった身分ですから、上流貴族からは程遠い身分といえます。
少納言さまは、絢爛豪華な生活を送る上流貴族たちと、どのような気持ちで接し、それを観察していたのでしょうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます