『 親不孝の報い ・ 今昔物語 ( 9 - 42 ) 』
今は昔、
震旦の随の大業の時代、河南という所に住んでいる人の妻は、その姑(シュウトメ)を世話するに当たって、その姑をひどく憎んでいた。その姑は両の目とも見えなかった。
その妻は、姑をひどく憎んでいたので、ミミズを切って羹(アツモノ・吸い物)として姑に食べさせた。姑をそれを食べると、その味を怪しんで、密かにその切り身を隠して置いて、わが子が来た時にそれを見せて、「これは、お前の妻が私に食べさせた物だよ」と言った。
子はそれを見て、「何と、みみずを羹にしたのだ」と知って、即座にその妻と別れた。
そして、その妻を実家に送ろうとしていると、未だ実家のある県に行き着く前に、突然雷が鳴った。
すると、連れていた妻は、たちまち姿が消えてしまった。。夫は、それを怪しいことだと思っていると、しばらくして、空から落ちてくる者がいた。
見れば、着ている着物は妻が着ていた着物であった。その身も、また、そのままであった。ただ、その頭は変わっていて、白い狗(イヌ)の頭になっていた。その言葉もまた、狗と変わらない。
夫はそれを見て、そのわけを訊ねると、妻は、「わたしは、姑に不孝を行い、みみずの羹を食べさせたため、たちまち天神が罰を与えられたのです」と答えた。
それを聞き終わり、妻を実家に送っていった。
実家の人は「奇怪なことだ」と思って、そのわけを聞いた。夫は、その旨を答えた。
その後は、その妻は、市に出ては人に物を乞うて、世を過ごした。そして、そのうちに所在が分からなくなった。
これを以て思うに、女は、愚痴(グチ・理非の区別のつかない愚かさ。)にしてこのような悪行を造る事がある。
現報(現世での報い)を受けることはかくの如しである。また、たとえ現罰がなかったとしても、天神皆が憎まれることを知って、悪の心を止めて善業を積むべきである、
となむ語り伝へたるとや。
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* 最後の部分などは、女性蔑視的な一文ですが、当時の仏教が持っていた一面のようです。
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いつの世も変わらずのことのようです。生まれて育てられ、恩を・・・・・どこへやら、愚痴って、おしゃべりの中から、良き発想が、今日の政治家さえも、異性に対する思いやりに欠けていると思います。法律により優位性が守られているから普段の生活で発言することの少ない状況からの良い発想が感じられないような気がします。暴力では、解決への道は険しく思われます。 K.M
おはようございます。
今昔物語の説話を紹介していく中で、現代のモラルと明らかに反する部分が出てきます。その場合、物語の筋や内容は変更できませんが、使用する言葉には少々悩みます。
でも、そうした部分を含めても、人間の本質って余り変わらないものだと思ってしまいます。
良い一日でありますように。