勅命に背いた后 ・ 今昔物語 ( 3 - 25 )
今は昔、
天竺に大王がいた。五百人の后を持っていた。(五百というのは、「多くの」という表現方法で、今昔物語には、この種の表記は数多く出てくる。)
大王は宣旨を下されて、「宮廷内の后、美しい婇女(サイニョ・女官。侍女。)等は、仏道を信じてはならない。もしこの宣旨に背く者があれば、刀兵(トウヒョウ・武力。)でもって、その者を殺害すべし」と命じた。
これによって、一人として仏道に入る者が無く、その状態が長く続いていた。
そうした時、大王最愛の后は、「わたしは大王の寵愛を受け、仏法について何も知らない。今の世において、娯楽は欲しいままであるが、後世には悪道(ここでは、単に地獄といった感じか。)に堕ちて、そこから抜け出すことが出来ないだろう。流れている水は、海にそそがないものはない。生まれてきた者は、滅せない者はない。わたしは五百人の中で最も寵愛を受けている后ではあるが、死んだ時には、きっと無間地獄に堕ちるだろう。死ぬことは、速い遅いの差はあるとしても、逃れることは出来ない。そうであれば、すぐに殺されてもかまわない。どうせ、死ねば土となる身である。同じことなら、わたしは仏の御許に参って法を聞いてから死のう」と思って、密かに、一人宮殿を出て仏の御許に参った。
まず、御弟子に会って、「法をお説きください。わたしはお聞きしたい」と言った。
御弟子は、「『あなたのような王宮の人は、みな仏道に赴いてはならないとの仰せがある』と聞いています。お教えすることは出来ますが、あなたの命はどうなるでしょうか」と言った。
后は、「わたしは大王の命令に背いて、法を聞くために密かに抜け出してきました。宮廷に戻れば、すぐに殺されることは間違いありません。そうではありますが、生ある者は必ず滅し、盛んなる者は必ず衰える、と申します。国王の寵愛を受けているといえども、万年の命を保つことなど出来ません。須臾(シュユ・短い時間)の愛欲に執着して、三途に還らん事(ようやく三悪道の苦しみから抜け出して人間界に生まれながら、まだ三悪道に戻ってしまう、といったことの表現。)は虚しいことです。どうぞ、尊い法文をお教えください」と言う。
御弟子の比丘(ビク・僧)は、三帰依の法文を説き教えた。后は、「仏の教えは、もしかするとこの他にもありますか」と尋ねた。比丘は、十二因縁と四諦(シタイ)の法文を説いて聞かせた。
后は、「わたしは師(釈迦)にお会いし拝礼することが出来るのは、今だけでございます。宮廷に戻れば、すぐに殺されるでしょう。三途の苦を離れて、浄土に生まれるための因を積みます。願わくば、この善根を以って、後世においてやがては仏と成って、一切衆生を利益(リヤク・哀れみをかけて救うこと。)したい」と誓願して、比丘を礼拝して帰って行った。
王宮に着き、密かに帳をかき上げて入ったが、国王はそれを見て、弓に矢をつがえて引き絞り、自ら后を射た。その矢は、一本は虚空に昇り、一本は后の周りを三回まわって落ち、一本は国王の方に戻ってきて猛火となって炎上した。
そこで大王は、「お前は人ではないのであろう。もしかすると天神なのか、あるいは竜か、あるいは夜叉か、あるいは乾闥婆(ケンダツバ・帝釈天に仕える音楽人。なお、列記されているのは、いわゆる八部衆に属する仏法守護の異類。)か」と言った。
后は、「わたしは、天神でも竜神でもありません。また、夜叉でも乾闥婆でもありません。ただ、仏の御許に参って法を聞いてきました。その善根によって、金剛蜜迹(コンゴウミッシャク・金剛力士、仁王に同じ。金剛杵を持って仏敵を打ち砕く護法神。)がわたしを救ってくれたのでしょう」と答えた。
すると、大王は弓矢を投げ棄てて、新たに宣旨を発布した。「今よりは、宮廷内及び国内の人民は、仏法を信ずべし。もし、これに背く者は処刑する」と。
このように、
なむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
今は昔、
天竺に大王がいた。五百人の后を持っていた。(五百というのは、「多くの」という表現方法で、今昔物語には、この種の表記は数多く出てくる。)
大王は宣旨を下されて、「宮廷内の后、美しい婇女(サイニョ・女官。侍女。)等は、仏道を信じてはならない。もしこの宣旨に背く者があれば、刀兵(トウヒョウ・武力。)でもって、その者を殺害すべし」と命じた。
これによって、一人として仏道に入る者が無く、その状態が長く続いていた。
そうした時、大王最愛の后は、「わたしは大王の寵愛を受け、仏法について何も知らない。今の世において、娯楽は欲しいままであるが、後世には悪道(ここでは、単に地獄といった感じか。)に堕ちて、そこから抜け出すことが出来ないだろう。流れている水は、海にそそがないものはない。生まれてきた者は、滅せない者はない。わたしは五百人の中で最も寵愛を受けている后ではあるが、死んだ時には、きっと無間地獄に堕ちるだろう。死ぬことは、速い遅いの差はあるとしても、逃れることは出来ない。そうであれば、すぐに殺されてもかまわない。どうせ、死ねば土となる身である。同じことなら、わたしは仏の御許に参って法を聞いてから死のう」と思って、密かに、一人宮殿を出て仏の御許に参った。
まず、御弟子に会って、「法をお説きください。わたしはお聞きしたい」と言った。
御弟子は、「『あなたのような王宮の人は、みな仏道に赴いてはならないとの仰せがある』と聞いています。お教えすることは出来ますが、あなたの命はどうなるでしょうか」と言った。
后は、「わたしは大王の命令に背いて、法を聞くために密かに抜け出してきました。宮廷に戻れば、すぐに殺されることは間違いありません。そうではありますが、生ある者は必ず滅し、盛んなる者は必ず衰える、と申します。国王の寵愛を受けているといえども、万年の命を保つことなど出来ません。須臾(シュユ・短い時間)の愛欲に執着して、三途に還らん事(ようやく三悪道の苦しみから抜け出して人間界に生まれながら、まだ三悪道に戻ってしまう、といったことの表現。)は虚しいことです。どうぞ、尊い法文をお教えください」と言う。
御弟子の比丘(ビク・僧)は、三帰依の法文を説き教えた。后は、「仏の教えは、もしかするとこの他にもありますか」と尋ねた。比丘は、十二因縁と四諦(シタイ)の法文を説いて聞かせた。
后は、「わたしは師(釈迦)にお会いし拝礼することが出来るのは、今だけでございます。宮廷に戻れば、すぐに殺されるでしょう。三途の苦を離れて、浄土に生まれるための因を積みます。願わくば、この善根を以って、後世においてやがては仏と成って、一切衆生を利益(リヤク・哀れみをかけて救うこと。)したい」と誓願して、比丘を礼拝して帰って行った。
王宮に着き、密かに帳をかき上げて入ったが、国王はそれを見て、弓に矢をつがえて引き絞り、自ら后を射た。その矢は、一本は虚空に昇り、一本は后の周りを三回まわって落ち、一本は国王の方に戻ってきて猛火となって炎上した。
そこで大王は、「お前は人ではないのであろう。もしかすると天神なのか、あるいは竜か、あるいは夜叉か、あるいは乾闥婆(ケンダツバ・帝釈天に仕える音楽人。なお、列記されているのは、いわゆる八部衆に属する仏法守護の異類。)か」と言った。
后は、「わたしは、天神でも竜神でもありません。また、夜叉でも乾闥婆でもありません。ただ、仏の御許に参って法を聞いてきました。その善根によって、金剛蜜迹(コンゴウミッシャク・金剛力士、仁王に同じ。金剛杵を持って仏敵を打ち砕く護法神。)がわたしを救ってくれたのでしょう」と答えた。
すると、大王は弓矢を投げ棄てて、新たに宣旨を発布した。「今よりは、宮廷内及び国内の人民は、仏法を信ずべし。もし、これに背く者は処刑する」と。
このように、
なむ語り伝へたるとや。
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