臨終に音楽を聞く ・ 今昔物語 ( 15 - 3 )
今は昔、
東大寺に戒壇の和上(カイダンノワジョウ・戒を授ける和上(和尚に同じ)。東大寺では別当に次ぐ要職。)である明祐(ミョウユウ・878-961)という人がいた。
この人は一生の間、持斉(ジサイ・食事に関する戒律を保つこと。)を続け、戒律を守って破ることがなかった。毎夜仏堂に籠って、自分の僧房で寝ることがなかった。されば、寺の僧たちはみな彼を尊び敬うこと限りなかった。
さて、天徳五年(961)という年の二月の頃、明祐和上は一両日ほど少しばかり体調を崩し、飲食がいつものようにできなかった。周囲の者が食事を勧めても、「持斉の時間はすでに過ぎた。それに、我が命の終わる時も近い。どうしてここで戒律を破ることができようか。この二月は、寺で恒例の仏事がある。我は『その仏事を最後まで勤め上げよう』と思い、何とか生きながらえてきているのだ」と言う。弟子たちはそれを聞いて、尊いことだと思っていたが、その月の十七日の夕べ、弟子たちが阿弥陀経を誦して回向し終わると、師は弟子たちに言った。
「お前たちは前のように阿弥陀経を誦していなさい。我には只今、音楽が聞こえている」と。
弟子たちは、「今は、音楽など全くしておりません。いったい何を仰せなのでしょうか」と尋ねると、師は「我は正気を失っているのではない。確かに音楽が聞こえている」と言う。
弟子たちは師の言葉を不思議に思っていたが、明くる日、明祐和上は心を乱すことなく念仏を唱えながら息絶えた。
臨終に臨んで音楽を聞くからには、極楽に往生したことは疑いがない、と言って人々は尊んだ、
となむ語り伝へたるとや。
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