飛騨の不思議な国 (2) ・ 今昔物語 ( 巻26-8 )
( (1)より続く )
その後、夜に入り、年の頃二十歳ばかりの姿形の美しい女性を、きれいに着飾った姿で、家の主が連れて来て、「この娘を差し上げます。今日からは私が可愛がってきたように、可愛がってやってください。たった一人の娘なので、私の愛情のほどを察してください」と言うと、主人は出て行ったので、僧は修業のことなど忘れ去って、娘を抱き寄せた。
こうして、僧と娘は夫婦となって月日を過ごすことになったが、その楽しいことは例えようがなかった。着物は思いのままの物を着せてくれ、食べ物は望むままに食べさせてくれるので、以前とは別人かと見違えるように太ってしまった。髪も髻(モトドリ)を結えるほどに伸びたので、髪を結い上げ、烏帽子をつけた姿は、たいそう立派な男ぶりであった。
娘もこの夫をいっときたりとも離れがたく思っていた。夫も女の愛情の深さを知るにつけ愛しさが増し、夜も昼も起きても寝ても共に離れず暮しているうちに、いつか八か月ほどが過ぎた。
ところが、その頃からこの妻の顔色が変わり、たいそう物思いにふけっている様子になった。
この家の主人は、前にも増して世話をしてくれ、「男は肉付きがよく、肥えているのが良いのですよ。太りなさい」と言って、日に何度も物を食べさせたので、ますます肥えていった。それにつれて、この妻は声を忍ばせて泣くことがあった。夫はそれを不審に思い、「何を歎いているのか。どういうことなのか」と尋ねるが、妻は「ただ、何となく心細く思われるのです」と言って、それにつけてもさらに泣くので、夫はわけが分からず怪しい気がするものの、人に聞くべきことでもなく、そのまま過ごしているうちに、客がやって来て、この家の主人と会った。互いに話をしているのを、そっと立ち聞きすると、客人が「うまい具合に思いがけない人を得て、娘さんが無事でいられることになって、さぞかし嬉しいことでしょう」などと言うとこの家の主人は、「そのことですよ。あの人を手に入れることが出来なかったら、今頃はどんな気持ちでいることでしょう」と言う。
「私の方は、これまでのところ誰も手に入れていませんので、来年の今頃はどんな気持ちでいるのでしょうか」などと、客人は話しながら、そっと後退りしながら帰って行った。
家の主人は客人を送り出し戻ってくると、「何か差し上げたか。十分に食べていただけ」と言って、食べ物を持って来させた。
僧であった婿殿は、その食事を食べながらも、妻の想い歎くこともわけが分からず、客人が言っていたことも、「どういうことなのか」と怖ろしい気がしたので、妻をなだめすかして聞き出そうとしたが、妻は何か言いたげな顔付きながら、何も話さなかった。
そうこうしている間、この里の人々が何かの準備に追われている様子で、家ごとに饗応のお膳などの準備に大騒ぎしている。
妻の泣き悲しむさまも日ごとに増すので、僧であった夫は、妻に「『泣くにつけ笑うにつけ、どのようなことがあっても、私には決して隠し事などなさるまい』と思っていましたが、このような隠し事をなさるとは情けないことです」と言って、恨み言を言いながら泣いたので、妻も涙を流し、「どうして隠しだてをしようなどと思いましょうか。けれども、お顔を見、お話をすることが、もういくらも残されていないと思いますと、このように睦まじくなったことが悔やまれるのです」と言いながらも泣き続けるので、夫は「それでは、私が死ななければならないようなことがあるのですか。死は、人にとって決して逃れられないことなので、どうということではない。ただ、それ以外のことだとすれば、どういう事なのか。ぜひ話してほしい」と強く求めると、妻は泣く泣く話し始めた。
「この国には、大変恐ろしいことがあるのです。この国に霊験を示される神様がいらっしゃいますが、その神様は、人を生贄として食べるのです。あなたが此処においでになられた時、『私の家に来てほしい』と皆が口々に訴えたのは、この生贄に当てようと思ったからなのです。毎年一人ずつ、順に生贄を出すのですが、その生贄を手に入れることが出来ない時には、愛しいわが子でもその生贄に出すのです。『あなたがおいでにならなかったら、この私が生贄となって神様に食べられた』と思いますと、むしろ私が替わって生贄になろうと思うのです」と言ってさらに泣く。
夫は、「そんなことをどうして歎くのです。大したことではありません。それで、生贄は、人が料理して神に供えるのですか」と尋ねると、妻は、「そうではありません。『生贄を裸にして、まな板の上にきちんと寝かせて、玉垣の中に担ぎこんで、人がみんな去ってしまうと、神様が料理して食べてしまう』と聞いております。痩せ衰えた生贄を出しますと、神様が荒れて、作物は不作になり、人も病み、里も穏やかにならないので、このように、何度も食事を食べさせて、食い太らせようとするのです」と話した。
夫は、この数か月の間大切にされた理由がすっかり分かり、「それで、この生贄を喰らう神は、どういう姿をしているのですか」と聞くと、妻は「『猿の姿をしておられる』と聞いております」と答えた。
夫は妻に、「私によく鍛えられた刀を捜して持ってきてくれないか」と頼むと、妻は「簡単なことです」と言って、刀を一振り持ってきて夫に渡した。夫はその刀を受け取ると、何度も繰り返して研いで、隠し持っていた。
夫は、これまで以上に気力が満ち溢れ、食事もさらによく食べて太ったので、家の主人は喜び、それを伝え聞いた者も、「この里に取って良いことだ」と言って喜んだ。
こうして、生贄を供える七日前から、この家に注連縄を張った。生贄となる僧であった男にも精進潔斎させた。他の家々にも注連縄を張って皆慎み合った。
僧を夫とした妻は、「あと何日か」と残された日を数えてはひどく泣くのを、夫は妻を慰めながら平然としているので、妻は少し心が安らいでいた。
( 以下、(3)に続く )
☆ ☆ ☆
( (1)より続く )
その後、夜に入り、年の頃二十歳ばかりの姿形の美しい女性を、きれいに着飾った姿で、家の主が連れて来て、「この娘を差し上げます。今日からは私が可愛がってきたように、可愛がってやってください。たった一人の娘なので、私の愛情のほどを察してください」と言うと、主人は出て行ったので、僧は修業のことなど忘れ去って、娘を抱き寄せた。
こうして、僧と娘は夫婦となって月日を過ごすことになったが、その楽しいことは例えようがなかった。着物は思いのままの物を着せてくれ、食べ物は望むままに食べさせてくれるので、以前とは別人かと見違えるように太ってしまった。髪も髻(モトドリ)を結えるほどに伸びたので、髪を結い上げ、烏帽子をつけた姿は、たいそう立派な男ぶりであった。
娘もこの夫をいっときたりとも離れがたく思っていた。夫も女の愛情の深さを知るにつけ愛しさが増し、夜も昼も起きても寝ても共に離れず暮しているうちに、いつか八か月ほどが過ぎた。
ところが、その頃からこの妻の顔色が変わり、たいそう物思いにふけっている様子になった。
この家の主人は、前にも増して世話をしてくれ、「男は肉付きがよく、肥えているのが良いのですよ。太りなさい」と言って、日に何度も物を食べさせたので、ますます肥えていった。それにつれて、この妻は声を忍ばせて泣くことがあった。夫はそれを不審に思い、「何を歎いているのか。どういうことなのか」と尋ねるが、妻は「ただ、何となく心細く思われるのです」と言って、それにつけてもさらに泣くので、夫はわけが分からず怪しい気がするものの、人に聞くべきことでもなく、そのまま過ごしているうちに、客がやって来て、この家の主人と会った。互いに話をしているのを、そっと立ち聞きすると、客人が「うまい具合に思いがけない人を得て、娘さんが無事でいられることになって、さぞかし嬉しいことでしょう」などと言うとこの家の主人は、「そのことですよ。あの人を手に入れることが出来なかったら、今頃はどんな気持ちでいることでしょう」と言う。
「私の方は、これまでのところ誰も手に入れていませんので、来年の今頃はどんな気持ちでいるのでしょうか」などと、客人は話しながら、そっと後退りしながら帰って行った。
家の主人は客人を送り出し戻ってくると、「何か差し上げたか。十分に食べていただけ」と言って、食べ物を持って来させた。
僧であった婿殿は、その食事を食べながらも、妻の想い歎くこともわけが分からず、客人が言っていたことも、「どういうことなのか」と怖ろしい気がしたので、妻をなだめすかして聞き出そうとしたが、妻は何か言いたげな顔付きながら、何も話さなかった。
そうこうしている間、この里の人々が何かの準備に追われている様子で、家ごとに饗応のお膳などの準備に大騒ぎしている。
妻の泣き悲しむさまも日ごとに増すので、僧であった夫は、妻に「『泣くにつけ笑うにつけ、どのようなことがあっても、私には決して隠し事などなさるまい』と思っていましたが、このような隠し事をなさるとは情けないことです」と言って、恨み言を言いながら泣いたので、妻も涙を流し、「どうして隠しだてをしようなどと思いましょうか。けれども、お顔を見、お話をすることが、もういくらも残されていないと思いますと、このように睦まじくなったことが悔やまれるのです」と言いながらも泣き続けるので、夫は「それでは、私が死ななければならないようなことがあるのですか。死は、人にとって決して逃れられないことなので、どうということではない。ただ、それ以外のことだとすれば、どういう事なのか。ぜひ話してほしい」と強く求めると、妻は泣く泣く話し始めた。
「この国には、大変恐ろしいことがあるのです。この国に霊験を示される神様がいらっしゃいますが、その神様は、人を生贄として食べるのです。あなたが此処においでになられた時、『私の家に来てほしい』と皆が口々に訴えたのは、この生贄に当てようと思ったからなのです。毎年一人ずつ、順に生贄を出すのですが、その生贄を手に入れることが出来ない時には、愛しいわが子でもその生贄に出すのです。『あなたがおいでにならなかったら、この私が生贄となって神様に食べられた』と思いますと、むしろ私が替わって生贄になろうと思うのです」と言ってさらに泣く。
夫は、「そんなことをどうして歎くのです。大したことではありません。それで、生贄は、人が料理して神に供えるのですか」と尋ねると、妻は、「そうではありません。『生贄を裸にして、まな板の上にきちんと寝かせて、玉垣の中に担ぎこんで、人がみんな去ってしまうと、神様が料理して食べてしまう』と聞いております。痩せ衰えた生贄を出しますと、神様が荒れて、作物は不作になり、人も病み、里も穏やかにならないので、このように、何度も食事を食べさせて、食い太らせようとするのです」と話した。
夫は、この数か月の間大切にされた理由がすっかり分かり、「それで、この生贄を喰らう神は、どういう姿をしているのですか」と聞くと、妻は「『猿の姿をしておられる』と聞いております」と答えた。
夫は妻に、「私によく鍛えられた刀を捜して持ってきてくれないか」と頼むと、妻は「簡単なことです」と言って、刀を一振り持ってきて夫に渡した。夫はその刀を受け取ると、何度も繰り返して研いで、隠し持っていた。
夫は、これまで以上に気力が満ち溢れ、食事もさらによく食べて太ったので、家の主人は喜び、それを伝え聞いた者も、「この里に取って良いことだ」と言って喜んだ。
こうして、生贄を供える七日前から、この家に注連縄を張った。生贄となる僧であった男にも精進潔斎させた。他の家々にも注連縄を張って皆慎み合った。
僧を夫とした妻は、「あと何日か」と残された日を数えてはひどく泣くのを、夫は妻を慰めながら平然としているので、妻は少し心が安らいでいた。
( 以下、(3)に続く )
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