(その1からの続き)
「待っている必要なんかないわ」
というわけで、車を土御門の方へ走らせると、侍従(故一条太政大臣藤原為光の六男公信、二十二歳、従五位下)はいつの間に装束を着けたのか、帯は道々に結んで、「しばらく・・・、しばらく」と言いながら追って来る。供の侍も三、四人ばかり、履物もはかないで走って来るようです。
「もっと早く走らせなさい」と、いっそう急がせて、土御門に到着したところへ、息を切らせながら追いついてきて、私たちの車の格好を見て、たいそうお笑いになる。
「生きている人間が乗っているとはねぇ、とてもそうは見えない。まあ、車から降りて見て御覧なさい」などとお笑いになるので、供をして走っていた人たちも一緒に面白がって笑う。
「歌はどうでしたか。それを伺いましょう」とおっしゃるので、
「これから、中宮様のお目にかけて、そのあとで」などと話しているうちに、雨が本降りになってしまった。
「『どうして他の御門のようではなく、土御門に限って、屋根もなく作り上げたのだろう』と、今日のような日はとても憎らしい」などと言って、侍従殿は、
「どうやって帰ろうというんだ。ここまでは、『とにかく遅れまい』と思っていたので、人目もかまわず走って来られたが、これから先は実に不様なことだ」とおっしゃるので、
「さあ、いらっしゃいませ、宮中へ」と言いますと、
「烏帽子でなんか、どうして参れましょう」
「冠を取りに、使いをおやりなさいませ」
などとやりとりしているうちに、雨もいよいよ強くなってきたので、かぶり笠もないこちらの供の男たちは、さっさと車を門内に引き入れてしまう。
侍従殿は一条の邸から大傘を持ってきているのをささせて、振り返り振り返りしながら、今度はのろのろと億劫そうで、卯の花の一枝を手に持っていらっしゃるのも、滑稽です。
そうして、中宮様のもとに参上しますと、今日の様子などをお尋ねになられる。一緒に行けずに恨んでいた人たちは、嫌味を言ったり情けながったりしながらも、藤侍従が一条の大路を走った時の話になると、皆笑い出してしまいました。
「それで、どうなったの、歌は」
とお尋ねになられるので、「こうこうでございます」と申し上げますと、
「情けないことねぇ。殿上人などが耳にしたら、どうして、しゃれた歌の一つもなくてすませるというの。そのほととぎすを聞いたという所で、さっと詠めばよかったのに。あまりに慎重になり過ぎたのは、感心できない。さあ、ここででも詠みなさい。本当にしようのないこと」
などと仰せになるものですから、「もっともだ」と思うにつけても、実につらいことですよ・・・。
歌の相談などしている時に、藤侍従が、先ほど持ち帰った卯の花の枝につけて寄こした、卯の花がさねの薄様に歌が書いてある。ただ、この歌は覚えていません。
「この歌の返事をまずしよう」ということで、硯を取りに自室に使いをやると、中宮様が、
「ともかく、これを使って早く返事をしなさい」と言って、御硯箱の蓋に紙など入れてお下しになられたので、
「宰相の君(同行した中の上臈女房)、お書き下さい」と私が言いますと、
「やはりあなたが」などと言っているうちに、空を真っ暗にして雨が降って、雷もひどく恐ろしく鳴り出したので、怖さに何も分からず、ひたすら恐ろしさにまかせて、御格子を大慌てでお下ろしして回っているうちに、歌の返事をすることも忘れてしまいました。
大変長い間雷が鳴って、少しやむ頃には日が暮れて暗くなってしまっている。
「今すぐ、何とかしてこの返歌を差し上げよう」ということで、返歌に取りかかっていますと、上臈女房や上達部などが、雷のお見舞いに中宮様の御前に参上なさったので、西の廂に出て、応対の座についてお相手を勤めているうちに、歌のことは取り紛れてしまいました。
他の女房たちもまた、
「名指しで歌を貰った人が、返歌すべきだ」ということで、手を引いていた。
「やはり、どうも歌には縁のない日なんだろう」と落胆して、
「こうなっては、めったに『ほととぎすを聞きにいった』ということさえ、あまり人に聞かせないようにしましょうよ」などと言って笑う。
「たった今でも、どうして、出掛けた人たち皆で詠めないというのか。けれど、『歌は詠むまい』と思っているのであろう」と、中宮様が御不快そうな顔つきでいらっしゃるのも、とても可笑しい。
「そうは申しましても、今となっては、時機を外して興ざめになってしまっています」と申し上げる。
「興ざめだなどと言えることですか。とんでもない」などと仰せになられましたが、それなりで終わってしまいました。
(以下はその3に続く)
「待っている必要なんかないわ」
というわけで、車を土御門の方へ走らせると、侍従(故一条太政大臣藤原為光の六男公信、二十二歳、従五位下)はいつの間に装束を着けたのか、帯は道々に結んで、「しばらく・・・、しばらく」と言いながら追って来る。供の侍も三、四人ばかり、履物もはかないで走って来るようです。
「もっと早く走らせなさい」と、いっそう急がせて、土御門に到着したところへ、息を切らせながら追いついてきて、私たちの車の格好を見て、たいそうお笑いになる。
「生きている人間が乗っているとはねぇ、とてもそうは見えない。まあ、車から降りて見て御覧なさい」などとお笑いになるので、供をして走っていた人たちも一緒に面白がって笑う。
「歌はどうでしたか。それを伺いましょう」とおっしゃるので、
「これから、中宮様のお目にかけて、そのあとで」などと話しているうちに、雨が本降りになってしまった。
「『どうして他の御門のようではなく、土御門に限って、屋根もなく作り上げたのだろう』と、今日のような日はとても憎らしい」などと言って、侍従殿は、
「どうやって帰ろうというんだ。ここまでは、『とにかく遅れまい』と思っていたので、人目もかまわず走って来られたが、これから先は実に不様なことだ」とおっしゃるので、
「さあ、いらっしゃいませ、宮中へ」と言いますと、
「烏帽子でなんか、どうして参れましょう」
「冠を取りに、使いをおやりなさいませ」
などとやりとりしているうちに、雨もいよいよ強くなってきたので、かぶり笠もないこちらの供の男たちは、さっさと車を門内に引き入れてしまう。
侍従殿は一条の邸から大傘を持ってきているのをささせて、振り返り振り返りしながら、今度はのろのろと億劫そうで、卯の花の一枝を手に持っていらっしゃるのも、滑稽です。
そうして、中宮様のもとに参上しますと、今日の様子などをお尋ねになられる。一緒に行けずに恨んでいた人たちは、嫌味を言ったり情けながったりしながらも、藤侍従が一条の大路を走った時の話になると、皆笑い出してしまいました。
「それで、どうなったの、歌は」
とお尋ねになられるので、「こうこうでございます」と申し上げますと、
「情けないことねぇ。殿上人などが耳にしたら、どうして、しゃれた歌の一つもなくてすませるというの。そのほととぎすを聞いたという所で、さっと詠めばよかったのに。あまりに慎重になり過ぎたのは、感心できない。さあ、ここででも詠みなさい。本当にしようのないこと」
などと仰せになるものですから、「もっともだ」と思うにつけても、実につらいことですよ・・・。
歌の相談などしている時に、藤侍従が、先ほど持ち帰った卯の花の枝につけて寄こした、卯の花がさねの薄様に歌が書いてある。ただ、この歌は覚えていません。
「この歌の返事をまずしよう」ということで、硯を取りに自室に使いをやると、中宮様が、
「ともかく、これを使って早く返事をしなさい」と言って、御硯箱の蓋に紙など入れてお下しになられたので、
「宰相の君(同行した中の上臈女房)、お書き下さい」と私が言いますと、
「やはりあなたが」などと言っているうちに、空を真っ暗にして雨が降って、雷もひどく恐ろしく鳴り出したので、怖さに何も分からず、ひたすら恐ろしさにまかせて、御格子を大慌てでお下ろしして回っているうちに、歌の返事をすることも忘れてしまいました。
大変長い間雷が鳴って、少しやむ頃には日が暮れて暗くなってしまっている。
「今すぐ、何とかしてこの返歌を差し上げよう」ということで、返歌に取りかかっていますと、上臈女房や上達部などが、雷のお見舞いに中宮様の御前に参上なさったので、西の廂に出て、応対の座についてお相手を勤めているうちに、歌のことは取り紛れてしまいました。
他の女房たちもまた、
「名指しで歌を貰った人が、返歌すべきだ」ということで、手を引いていた。
「やはり、どうも歌には縁のない日なんだろう」と落胆して、
「こうなっては、めったに『ほととぎすを聞きにいった』ということさえ、あまり人に聞かせないようにしましょうよ」などと言って笑う。
「たった今でも、どうして、出掛けた人たち皆で詠めないというのか。けれど、『歌は詠むまい』と思っているのであろう」と、中宮様が御不快そうな顔つきでいらっしゃるのも、とても可笑しい。
「そうは申しましても、今となっては、時機を外して興ざめになってしまっています」と申し上げる。
「興ざめだなどと言えることですか。とんでもない」などと仰せになられましたが、それなりで終わってしまいました。
(以下はその3に続く)
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