雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

あさましきもの

2014-11-18 11:00:03 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第九十二段  あさましきもの

あさましきもの。
刺櫛すりてみがくほどに、ものにつきさへて折りたる心ち。
車のうち覆りたる。「さるおほのかなるものは、ところ狭くやあらむ」と思ひしに、ただ夢の心ちして、あさましうあへなし。

人のために、恥づかしう悪しきことを、つつみもなくいひゐたる。
「かならず来なむ」と思ふ人を、夜一夜起き明かし待ちて、暁がたに、いささかうち忘れて寝入りにけるに、烏の、いと近く、「かか」と鳴くに、うち見開けたれば、昼になりにける、いみじうあさまし。

見すまじき人に、ほかへ持ていく文見せたる。
無下に知らず見ぬことを、人のさし向かひて、あらがはすべくもあらずいひたる。
物うちこぼしたる心ち、いとあさまし。


あまりのことにあきれてしまうもの。
挿し櫛をすって磨くうちに、物に突き当たって折ってしまったときの気持。
牛車のひっくり返ったの。「そんなに度外れて大きな物は、どっしりとしているだろう」と思っていたのに、ただ夢のような気持ちがして、あきれはてて拍子抜けがしてしまいます。

当人にとって恥ずかしく具合の悪いことを、無遠慮に言っているの。
「必ず来てくれる」と思う男性を、一晩中起きて待ち明かして、暁の頃に、つい気がゆるんで寝入ってしまったところ、烏がすぐ近くで、「かあ」と鳴くので、目を開けてみると、お昼になってしまっているのですよ、、あきれてしまって物もいえません。

見せてはならない人に、よそに持っていく手紙を使者が見せてしまったのですよ。
全然身に覚えのないことを、膝詰めで、弁解するひまも与えずまくしたてるのには、あきれてしまいます。
何かをひっくり返してこぼしてしまったときの気持ち、もういやになってしまいます。



「あさましきもの」とは、取り返しのつかない失敗や、予想外の出来事に、あきれてしまったといった感覚です。現在の「あさましい」とは違うニュアンスです。
個人的には、「牛車のうち覆りたる」という部分が大好きです。
その光景を目の当たりにした時の少納言さまの表情を想像しますと、何だか可笑しくなってきます。
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口惜しきもの

2014-11-17 11:00:55 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第九十三段  口惜しきもの

口惜しきもの。
五節・御仏名に雪ふらで、雨のかきくらし降りたる。
節会などに、さるべき御物忌のあたりたる。
いとなみ、いつしかと待つ事の、障りあり、俄かにとまりぬる。
遊びをもし、見すべき事ありて、呼びにやりたる人の来ぬ、いと口惜し。

男も女も、法師も、宮仕へ所などより、同じやうなる人もろともに、寺へ詣で、物へもいくに、好ましうこぼれ出で、用意よく、いはばけしからず、「あまり見ぐるし」とも見つべくぞあるに、さるべき人の、馬にても車にても、ゆき合ひ見ずなりぬる、いと口惜し。
わびては、「すきずきしき下種などの、人などに語りつべからむをがな」と思ふも、いとけしからず。


残念なもの。
五節や御仏名に雪が降らないで、雨が空を暗くして降っているのは、残念です。
節会などに、しかるべき宮中の御物忌が重なること。(物忌には、各人の生年月日などに基づくものなど様々あるようです。その中で天皇に関わるものは「御物忌」と呼びました)
準備を整え、早くその日になればと待っている行事が、差支えることがあって、急に取りやめになってしまったの。
演奏の予定をし、見せたいものもあって、使いを出して招いた人が来ないのは、非常に残念なものです。

男でも女でも、法師でも、仕えている所などから、同僚と連れだって、寺へ詣で、見物にも行くのに、車から衣裳が風流にこぼれ出て、趣向を凝らして、いうならば度を越して、「見苦し過ぎる」とも見られてしまいそうなほどにしているのに、あいにく、そこそこの人が馬に乗ってでも車ででも、途中で出会うこともなく終わったのは、まったく残念です。
がっかりして情けないので、「せめて、趣味の豊かな下層の者で、人々に吹聴してくれそうな者にでも出会えればいいのに」などと思うのですから、全く正常ではないですよねぇ。



比較的理解しやすい内容だと思います。
最後の部分、人から非難されるほど派手やかに趣向を凝らして行ったのに、評判を立ててくれるような人に出会えなくてがっかりした、といった内容ですが、これも少納言さまの実体験だと思われます。
もし、そうだとすれば、少納言さまもなかなかやるもんですよ、意外に、ね。
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五月の御精進のほど・・その1

2014-11-16 11:04:12 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第九十四段  五月の御精進のほど・・その1

五月の御精進のほど、職におはしますころ、塗籠の前の二間なるところを、殊にしつらひたれば、例ざまならぬも、をかし。

朔より、雨がちに曇りすぐす。
「つれづれなるを。郭公(ホトトギス)の声、たづねにいかばや」
といふを、
「われも」
「われも」
と、出で立つ。
          (以下割愛)



五月のご精進の間、中宮様が職の御曹司においでであった頃、塗籠の前の二間を、特別に部屋飾りをしてあるので、いつもと様子が違っているのも、趣きがあります。

月初めから雨がちで曇天の日が続く。
「退屈だわねぇ。ほととぎすの声を探しに行きましょうよ」
と私が言いますと、
「私も」
「私も」
ということになり、そろって出発しました。

「賀茂の奥に、何とか崎とかいいましたね、織女星の渡るかささぎの橋ではなくて、感じの悪い名前が付いていましたよね。そのあたりで、ほととぎすが鳴くのよ」と誰かが言うと、
「それは、ひぐらしですよ」と言う人もいる。
「そこへ行きましょう」ということになり、五日の朝に、中宮職の役人に、牛車の手配を頼み、北の陣を通って、「五月雨の時は、車を入れても咎められない」ということで、職の御曹司の階際に車をつけさせて、四人くらいが、それに乗ってゆく。
残った女房はうらやましがって、
「いっそ、もう一台仕立てて、同じことだから連れて行って」などと言うと、
「駄目ですよ」と中宮様が仰せになるので、こちらは他の人の言葉は耳にもとめず、薄情なふりをしてさっさと出掛けていくと、馬場(ウマバ)というところで、人が大勢で騒いでいる。

「何をしているのか」とたずねると、
「駒射(ウマユミ)の演習があって、弓を射るのです。しばらくご見物なさって下さい」と供の者が言うので、車をとめました。
「左近の中将殿、お二人とも来ておられる」と人々が言っているが、そういう人も見えない。六位の役人などが、あちこちうろうろしているので、
「見たくもないことよ、さっさと行きなさい」と言って、どんどん走らせる道中も、賀茂祭の頃が思い出されて、懐かしい。

このように話している所は、明順の朝臣(中宮の伯父に当たる)の家だったのです。
「そこも、早速寄りましょう」と言って、車を寄せて降りました。
田舎風で、閑散としていて、馬の絵を描いてある衝立障子、網代屏風、三稜草の簾など、わざと古風な造りを模している。
建物の様子も簡素な風で、全体が渡り廊下のように奥行きがなく、貧弱ではあるが趣のある家で、なるほど、「うるさい」と思うほどに鳴き合っているほととぎすの声に、
「残念なことね。中宮様にお聞かせ出来ないし、あんなに来たがっていた人たちにも」と思う。

「場所が場所だから、こうしたことを見るのがいいよ」
ということで、稲というものを取り出して、若い下層の女たちの、小ざっぱりしたその辺の娘などを連れてきて、五、六人で稲こきをさせ、また見たこともないくるくる回る機具を、二人がかりでひかせて、歌をうたわせなどするのを、珍しくて楽しみました。そのため「ほととぎすの歌を詠もう」と思って来たことを忘れてしまっていました。
唐絵に描かれているような食卓を使って、ご馳走してくれたのですが、誰も見向きもしないので、家の主人の明順は、
「いかにも田舎風な料理です。けれども、こんな田舎へ来た都の人は、うっかりすると、主人が逃げ出しそうなほど、お代わりを催促して召し上がるものですよ。全然手つかずなんて、都の人らしくないですよ」などと言って、座を取り持って、

「この下蕨は、私が自分で摘んだものです」などというので、私が、
「だって、ねえ、女官なんかのように、食卓にずらっと並んででは、とても」と笑うと、(身分の低い女官は局住まいではなく、大部屋で食卓に並んで食事をしたらしい。局を持っている女房たちには気に入らなかったのでしょう)
「それなら、食卓から下ろして召しあがれ。いつものように、腹這いに慣れていらっしゃるあなた方ですから(身分の高い女房は、その服装からも、気楽にしている時は腹這いに近い姿勢だったらしい)」などと、あれこれ食事の世話で騒いでいるうちに、供の者が、「雨が降ってきました」と言うので、私たちは急いで車に乗ろうとしましたが、その時女房の一人が、
「ところで、肝心のほととぎすの歌は、ここで詠まなくてはね」と言うので、私は、
「それもそうだけれど、帰り道ででも詠めるわ」などと言って、皆車に乗ってしまいました。

花が、みごとに咲いているのを折って、車の簾や脇などに差し、それでもまだ余るので、車の屋根や棟などに、長い枝を屋根を葺いたように挿したので、まるで「卯の花の垣根を牛にひかせているのか」といった風に見えました。
供をしている男たちも、大笑いしながら、「ここがまだだ」「ここがまだだ」と、皆で挿し合っているのです。
「誰かしかるべき人に出会いたい」と思うのですが、いっこうに会えず、身分の低い法師や、下層の者だけが、たまに出会うくらいなのが、とても残念で、御所近くまで来てしまったけれど、
「いくら何でも、このままで終わらせるような風情ではないですよ。誰かに噂を広めさせずにはおかれませんよ」と言うことで、一条殿のあたりに車を止めて、
「侍従殿はおいでになりますか。ほととぎすの声を聞いて、今帰るところでございます」と言わせに行かせた使いが帰ってきて、
「『すぐに参ります。どうかしばらくお待ちください』とおっしゃっておいでです。侍所に裸でいらっしゃいましたが、慌てて起きて、指貫をお召しでした」と言う。
          
          (以下は、その2に続く)
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五月の御精進のほど・・その2

2014-11-16 11:02:01 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          (その1からの続き

「待っている必要なんかないわ」
というわけで、車を土御門の方へ走らせると、侍従(故一条太政大臣藤原為光の六男公信、二十二歳、従五位下)はいつの間に装束を着けたのか、帯は道々に結んで、「しばらく・・・、しばらく」と言いながら追って来る。供の侍も三、四人ばかり、履物もはかないで走って来るようです。
「もっと早く走らせなさい」と、いっそう急がせて、土御門に到着したところへ、息を切らせながら追いついてきて、私たちの車の格好を見て、たいそうお笑いになる。
「生きている人間が乗っているとはねぇ、とてもそうは見えない。まあ、車から降りて見て御覧なさい」などとお笑いになるので、供をして走っていた人たちも一緒に面白がって笑う。

「歌はどうでしたか。それを伺いましょう」とおっしゃるので、
「これから、中宮様のお目にかけて、そのあとで」などと話しているうちに、雨が本降りになってしまった。
「『どうして他の御門のようではなく、土御門に限って、屋根もなく作り上げたのだろう』と、今日のような日はとても憎らしい」などと言って、侍従殿は、
「どうやって帰ろうというんだ。ここまでは、『とにかく遅れまい』と思っていたので、人目もかまわず走って来られたが、これから先は実に不様なことだ」とおっしゃるので、
「さあ、いらっしゃいませ、宮中へ」と言いますと、
「烏帽子でなんか、どうして参れましょう」
「冠を取りに、使いをおやりなさいませ」
などとやりとりしているうちに、雨もいよいよ強くなってきたので、かぶり笠もないこちらの供の男たちは、さっさと車を門内に引き入れてしまう。
侍従殿は一条の邸から大傘を持ってきているのをささせて、振り返り振り返りしながら、今度はのろのろと億劫そうで、卯の花の一枝を手に持っていらっしゃるのも、滑稽です。

そうして、中宮様のもとに参上しますと、今日の様子などをお尋ねになられる。一緒に行けずに恨んでいた人たちは、嫌味を言ったり情けながったりしながらも、藤侍従が一条の大路を走った時の話になると、皆笑い出してしまいました。
「それで、どうなったの、歌は」
とお尋ねになられるので、「こうこうでございます」と申し上げますと、
「情けないことねぇ。殿上人などが耳にしたら、どうして、しゃれた歌の一つもなくてすませるというの。そのほととぎすを聞いたという所で、さっと詠めばよかったのに。あまりに慎重になり過ぎたのは、感心できない。さあ、ここででも詠みなさい。本当にしようのないこと」
などと仰せになるものですから、「もっともだ」と思うにつけても、実につらいことですよ・・・。

歌の相談などしている時に、藤侍従が、先ほど持ち帰った卯の花の枝につけて寄こした、卯の花がさねの薄様に歌が書いてある。ただ、この歌は覚えていません。
「この歌の返事をまずしよう」ということで、硯を取りに自室に使いをやると、中宮様が、
「ともかく、これを使って早く返事をしなさい」と言って、御硯箱の蓋に紙など入れてお下しになられたので、
「宰相の君(同行した中の上臈女房)、お書き下さい」と私が言いますと、
「やはりあなたが」などと言っているうちに、空を真っ暗にして雨が降って、雷もひどく恐ろしく鳴り出したので、怖さに何も分からず、ひたすら恐ろしさにまかせて、御格子を大慌てでお下ろしして回っているうちに、歌の返事をすることも忘れてしまいました。

大変長い間雷が鳴って、少しやむ頃には日が暮れて暗くなってしまっている。
「今すぐ、何とかしてこの返歌を差し上げよう」ということで、返歌に取りかかっていますと、上臈女房や上達部などが、雷のお見舞いに中宮様の御前に参上なさったので、西の廂に出て、応対の座についてお相手を勤めているうちに、歌のことは取り紛れてしまいました。
他の女房たちもまた、
「名指しで歌を貰った人が、返歌すべきだ」ということで、手を引いていた。
「やはり、どうも歌には縁のない日なんだろう」と落胆して、
「こうなっては、めったに『ほととぎすを聞きにいった』ということさえ、あまり人に聞かせないようにしましょうよ」などと言って笑う。

「たった今でも、どうして、出掛けた人たち皆で詠めないというのか。けれど、『歌は詠むまい』と思っているのであろう」と、中宮様が御不快そうな顔つきでいらっしゃるのも、とても可笑しい。
「そうは申しましても、今となっては、時機を外して興ざめになってしまっています」と申し上げる。
「興ざめだなどと言えることですか。とんでもない」などと仰せになられましたが、それなりで終わってしまいました。

(以下はその3に続く)
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五月の御精進のほど・・その3

2014-11-16 11:00:56 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          (その2からの続き)

二日ほど経って、その日のことなどを話していると、宰相の君が、
「どうでした、『明順の朝臣自ら摘んだ』と言っていた下蕨の味は」と言われるのを中宮様がお耳になさって、
「思い出すことといったら、食べ物の話だなんて」とお笑いになられて、お手元に散らかっている紙に、
  『下蕨こそ恋しかりけれ』
とお書きになられて、
「上の句をつけなさい」と仰せになるのが、とても可笑しい。

  『郭公(ホトトギス)たづねて聞きし声よりも』
と書いて差し上げましたところ、
「随分厚かましいことね。それにしても、食い意地が張っていても、ほととぎすにこだわったのは、やはり気にかかっていたのね」とお笑いになるのも恥ずかしい思いでしたが、
「いえもう、私が『歌は詠みますまい』と思っておりますのに、晴れがましい場所などで、他の人が詠みます時にも、私に『詠め』などと仰せになりますなら、とてもいたたまれない気持ちがいたします。といいましても、まさか、歌の字数も知らないとか、春には冬の歌、秋には梅や桜の花などを詠むことはございませんが、けれども、『歌を詠む』と言われた者の子孫は、少しは人並み以上に詠めて、『あの時の歌は、この者が優れていたとか』『何といっても、誰それの子なのだから』などと言われてこそ、詠みがいのある気持ちもすることでしょう。全然、取り立てて才能があるわけでもないのに、いっぱしの歌のつもりで『私こそが元輔の子だ』と思っているかのように、得意気に真っ先に詠み上げますのは、亡き人(祖父清原深養父、父清原元輔を指す)にとっても可哀そうなことでございます」
と、真剣に申し上げましたので、お笑いになって、
「それならば、一切そなたの心にまかせよう。私からは『詠め』とは言うまい」と仰せになられるので、
「とても気分が楽になりました。もう、歌のことは気に致しません」
などということがありました頃、
「中宮様が庚申をなされる」ということで、内大臣殿は、大変心を配って御用意されていらっしゃいました。
(庚申の夜は、眠ると悪虫が体内に入って害をなすので、眠らずに夜を明かすという道教の信仰行事があった)

次第に夜が更けてきた頃、題を出して、女房にも歌をお詠ませになる。
皆緊張し、苦心して歌をひねり出すのに、私は中宮様の近く侍して、何かお話申し上げなどして、和歌とは関係のないお話ばかりしているのを、内大臣殿が御覧になって、
「どうして歌を詠まないで、むやみに離れて座っているのか。題を取れ」とおっしゃって題を下さるのを、
「そうする必要はないというお言葉を承りまして、歌は詠まないことになっておりますので、考えても居りません」と申し上げる。
「異な事だな。まさか、そのようなことはございますまい。どうして、そのようなことをお許しになられるのです。とんでもないことです。まあよい。他の時はどうでもよいが、今宵は詠め」
などとお責めになられますが、きっぱりと聞き入れもしないで御前に控えていますと、他の人たちは皆歌を作って出して、良し悪しなどを評定なさっている間に、中宮様はちょっとしたお手紙を書いて、私に投げてお寄こしになられました。見てみますと、

  「元輔が後といはるる君しもや 今宵の歌にはづれてはおる」

とあるのを見るにつけ、その可笑しさはとても辛抱できないほどです。私が、ひどく笑ってしまったものですから、
「何事だ、何事だ」と内大臣殿もお尋ねるになる。 

「『その人の後といはれぬ身なりせば 今宵の歌をまづぞよままし』
遠慮することがございませんのなら、千首の歌だって、たった今からでも、出てまいることでございましょうに」
と申し上げました。


長い章段ですが、文脈としてはそれほど難しくないように思われます。
同時に、いくつかの疑問を示してくれている、ともいえます。

一つは、「どうも退屈だから、ほととぎすを聞きに行こう」と思い立ったからといって、簡単に公の牛車を使って、仲間だけで出掛けることが出来たのでしょうか。いくら中宮の口添えがあったとしてもです。
二つ目は、「明順の朝臣」や「藤侍従」との、やりとりです。
出掛けて行ったのは四人の女房と何人かの従者だと思うのですが、少納言さまたち一行が相当上位にあるように感じられます。
四人の女房のうちの一人、「宰相の君」は上臈女房で、少納言さまは中臈女房に当たると思われますが、好き勝手に振る舞っているように見えます。
中宮の権威がそれだけ絶大であったという証左かもしれません。

さらに、少納言さまが残された和歌の数が極めて少ない理由の大きな原因の一つとして、この章段の経緯が挙げられています。本当にそうなのでしょうか・・・。
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職におはしますころ

2014-11-15 11:00:42 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第九十五段  職におはしますころ

職におはしますころ、八月十余日の、月明かき夜、右近の内侍に琵琶弾かせて、端近くおはします。
これかれ、ものいひ、笑ひなどするに、廂の柱によりかかりてものもいはでさぶらへば、
「など、かう音もせぬ。ものいへ。寂々しきに」
と仰せらるれば、
「ただ、秋の月の心を見はべるなり」
と申せば、
「さもいひつべし」
と仰せらる。


職の御曹司にいらっしゃる頃、八月十日過ぎの、月の明るい夜、中宮様は右近の内侍に琵琶を弾かせて、端近な所においでになる。
女房たちは皆話をしたり、笑いなどしているのに、私は廂の間の柱に寄りかかって話もせずに伺候していたところ、
「どうして、そんなに静かにしているのか。何か話をしなさい。寂しいではないか」
と仰せられるので、
「ひたすら、秋の月の心境を眺めているのでございます」
と申し上げますと、
「まさにそういうのがぴったりね」
と仰せになられる。



八月の満月に近い頃の光景です。
右近の内侍は内裏付きの女房で、天皇のお使いとして参上して琵琶を弾いていたのでしょう。少納言さまたち中宮付きの女房も、中宮様の側近くでそれぞれに琵琶を聞き月を愛でている様子がうかがえる、ほのぼのとした章段です。
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御方々・君達・殿上人など

2014-11-14 11:00:44 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第九十六段  御方々・君達・殿上人など

御方々・君達・殿上人など、御前に人のいと多くさぶらへば、廂の柱によりかかりて、女房と物語りなどしてゐたるに、ものを投げ賜はせたる、開けて見たれば、
「思ふべしや、いなや。『人、第一ならず』は、いかに」
と、書かせたまへり。

御前にて、物語りなどするついでにも、
「すべて、人に、一に思はれずば、何にかはせむ。ただいみじう、なかなか憎まれ、悪しうせられてあらむ。二、三にては、死ぬともあらじ。一にてを、あらむ」
などいへば、
「一乗の法ななり」
など、人々も笑ふことの筋なめり。

筆・紙など賜はせたれば、
「九品蓮台のあひだには、下品といふとも」
など書きて、進らせたれば、
「無下に思ひ屈じにけり。いとわろし。いひとぢめつることは、さてこそあらめ」
とのたまわす。
「それは、人にしたがひてこそ」
と申せば、
「そが、わろきぞかし。『第一の人に、また一に思はれむ』とこそ思はめ」
と仰せらるる、いとをかし。


お身内の方々、若君たち、殿上人など、御前に人々がとても大勢伺候していましたので、私は廂の間の柱に寄りかかって、女房と話をしながら座っていますと、中宮様が何かを投げて下さったので、それを開けて見たところ、
「そなたを可愛がろうか、可愛がるまいか。『人に、第一番に愛されているのではない』というのは、どう思うか」
と、お書きになっていらっしゃる。

中宮様の御前において皆と何か話している時にも、
「ともかく、相手から、第一番に愛されないのなら、どうしようもない。いっそのこと、ひどく憎まれ、手ひどく扱われた方がましよ。二番三番などは、死んでも、いやです。第一番でどうしてもありたいわ」などと言っていましたので、
「それはどうやら、一条の法(法華経からの引用で、唯一無二といった意)、といったところね」などと女房たちも笑っていた、あの話の線からのお言葉らしい。

筆と紙などを下さいましたので、
「九品蓮台の間に入れるのなら、たとえ下品であっても十分でございます」などと書いて差し上げますと、(極楽浄土には九段階あり、その最下位でもよい、といった意味)
「ひどく卑屈になってしまったものね。大変良くないこと。きっぱり言い切ったことは、そのまま押し通すべきよ」
と仰せになる。
「それは相手によりけりでございます」と申し上げますと、
「それが悪いのです。『第一番の相手に、また第一番に愛されよう』と心掛けるものですよ」
と仰せになられるのは、いかにも中宮様らしい申され方です。



中宮様との意味ありげな会話です。
「一番でなければ」というのは、どこかで聞いたような台詞ですが、少納言さまの性格がとてもよくあらわれているように思うのです。
最後の部分ですが、この「いとをかし」をどのように感じ取ったらよいのかどうしても分からず、とりあえず、このように表現しておきました。
無責任で申し訳ありません。
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中納言まゐりたまひて

2014-11-13 11:00:54 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第九十七段  中納言まゐりたまひて

中納言まゐりたまひて、御扇たてまつらせたまふに、
「隆家こそ、いみじき骨は得てはべれ。それを張らせて、進(マイ)らせむとするに、おぼろけの紙は、得張るまじければ、もとめはべるなり」
と申したまふ。
「いかやうにかある」
と、問ひきこえさせたまへば、
「すべて、いみじうはべり。『さらにまだ見ぬ。骨のさまなり』となむ、人々申す。まことに、かばかりのは見えざりつ」
と、言高くのたまへば、
「さては、扇にはあらで、海月のななり」
ときこゆれば、
「これは、隆家が言にしてむ」
とて、笑ひたまふ。

かやうの事こそは、かたはらいたき事のうちに入れつべけれど、「一つな落しそ」といへば、いかがはせむ。


中納言(中宮の弟)が参上なさって、御扇を中宮様にお差し上げになられます時に、
「この隆家は、すばらしい扇の骨を手に入れたのですよ。その骨に紙を張らせて進上させていただこうと考えているのですが、いい加減な紙などはとても張るわけにはいきませんので、探しているのです」
と申し上げられる。
「いったいどのようなものなの」
と中宮様がおたずねなさいますと、
「ともかく、すばらしいのです。『全く見たこともない骨の見事さだ』と人々が申します。本当に、これほどのものは見たことがありません」
と、声高におっしゃいますので、
「そういうことですと、扇の骨ではなくて、くらげの骨なのですね」
と私が申し上げますと、
「これは、隆家が言ったことにしてしまおう」
と言って、お笑いになる。

このようなことは、かたはらいたき事(苦々しい自慢話)の中に入れてしまうべきなのですが、「一つだって書き落とさないで欲しい」と人が言うものですから、仕方なく書き残しておきます。



隆家が、十七、八歳(数え年)の頃の逸話のようです。
中宮は二歳上で、繁栄の絶頂期にある若々しい姉と弟の和やかな場面です。
「海月の骨」とは、なかなかの名文句だと思うのですが、さすがに少納言さまも少々面映ゆいのか、最後の部分で言い訳されているあたり、それこそ「いとをかし」ですよね。
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雨のうちはへ降るころ

2014-11-12 11:00:24 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第九十八段  雨のうちはへ降るころ

雨のうちはへ降るころ、今日も降るに、御使にて、式部丞信経まゐりたり。
例のごと、褥さし出でたるを、常よりも遠く、おしやりて居たれば、
「誰が料ぞ」
といへば、笑ひて、
「かかる雨に、のぼりはべらば、足形つきて、いと不便にきたなくなりはべりなむ」
といへば、
「など、洗足料紙にこそはならめ」
といふを、
「これは、御前に、かしこう仰せらるるにあらず。信経が、足形のことを申さざらましかば、得のたまはざらまし」
と、かへすがへすいひしこそ、をかしかりしか。
          (以下割愛)


雨がとりわけひどく降るころ、今日も降るのに、天皇の御使いとして、式部の丞信経(紫式部の従兄に当たる人物で、清少納言より三歳ほど年下)が中宮様のもとに参上して来ました。
いつものように敷物を差し出しましたのを、ふだんより遠くへ押しやって座っているので、
「誰が使うものですか」
と私が言いますと、笑って、
「こんな雨の時に敷物に上がりましては、足の跡が付いて、大変不都合で汚くなってしまいます」
と言うので、
「どうしてですか。足拭き紙ぐらいにはなりましょうに」
と言うのを、(洗足と氈褥[センゾク・毛皮などの敷物]とを掛けた洒落らしい)
「この洒落は、あなたが、うまくおっしゃったのではない。信経が足の跡のことを申しませんでしたら、とてもおっしゃれなかったでしょう」
と、繰り返し繰り返し言うのが、とても可笑しかった。

「ずっと昔のことですが、中后の宮(村上天皇の中宮、藤原安子)に、ゑぬたきといって名高い下仕えの者がおりました。
美濃守在任中に亡くなった藤原時柄が蔵人であった時に、この下仕えたちがいる所に立ち寄って、『これがあの名高いゑぬたきか。どうして、そんなに「高く」は見えないのだ』と言ったのに対する、ゑぬたきの返事に、『それは時柄(その時次第)で、低く見えるのでしょう』と言ったというのは、『わざわざ競争相手を選び出しても、こんな呼吸の合った相手はめったになかろう』と、上達部・殿上人まで、洒落たものだとして評判なさったそうです。
それもそうでしょうね。今日までこう言い伝えられているのですから」
と式部の丞にお話しました。

すると式部の丞は、
「それもまた、時柄が、言わせたとみていいでしょう。何だって、まずは出題次第でしてね、詩も歌もうまく出来るものです」と言うので、
「なるほど、そういうこともあるのでしょうね。それでは、私が題を出しましょう。歌をお詠み下さい」と言いました。
「それは大変結構なことですね」と言うので、
「一つではつまらないので、同じするのなら、たくさん題を差し上げましょう」
などと言っているうちに、中宮様からの天皇への御返事が出来てきましたので、それをしおとばかりに、
「ああ恐ろしや。逃げて帰ります」
と言って、出て行ってしまったのを、
「とても、漢字も仮名も下手なのを、人が笑い物にするので、避けているのですよ」と、女房たちが言うのも可笑しい。

式部の丞が作物所の別当をしていたころ、誰の所に送った手紙であろうか、何かの絵図面を届けるというので、
「こんなふうに作って差し上げよ」
と書いてある漢字の書風や字体が、世にもまれなほどに下手くそなのを見つけて、
「この指図通りにお作りしたら、さぞかし異様な物が出来上がることでしょう」と書き添えて、殿上の間に届けたので、人々がそれを手にして、ひどく笑ったらしいので、式部の丞は大変立腹して、私のことを憎んだことでしょう。


この時代、洒落や機転などの優劣がかなり重視されていたようです。
そのあたりの才能は少納言さまの最も得意とするところだったことでしょう。

本段でからかわれている式部の丞は、少納言さまの三歳ほど年下で、日頃から気安い付き合いがあったからこそ、このようなやり取りが出来たのだと思うのですが、悪筆の私としましては式部の丞に同情してしまいます。
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淑景舎、春宮にまゐりたまふ・・その1

2014-11-11 08:01:14 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第九十九段  淑景舎、春宮にまゐりたまふ・・その1

淑景舎、春宮にまゐりたまふほどのことなど、いかが、めでたからぬことなし。
正月十日にまゐりたまひて、御文などは繁う通へど、まだ御対面はなきを、二月十余日、宮の御方にわたりたまふべき御消息あれば、常よりも、御しつらひ、心ことにみがきつくろひ、女房など、みな用意したり。

夜半ばかりにわたらせたまひしかば、いくばくもあらで、明けぬ。
登花殿の、東の廂の二間に、御しつらひはしたり。宵にわたらせたまひて、またの日はおはしますべければ、女房は、御膳宿に向かひたる渡殿に、さぶらふべし。
殿・上、暁に、一つ御車にてまゐりたまひにけり。
         (以下割愛)


淑景舎(シゲイサ・道隆二女、中宮の妹、この時十五歳位)の君が東宮の妃としてお輿入れなされる時のことなどは、何から何まで、それはそれはすばらしいものでしたわ。
正月十日にお輿入れなされたあと、中宮様とお手紙などは頻繁にやりとりなさっていますが、まだご対面はありませんでしたが、二月十日過ぎの日に、中宮様の御方にお越しになる予定とのご連絡がありましたので、いつもよりもお部屋の準備を特別入念に磨きをかけて整え、女房なども、皆とても緊張しておりました。

夜中の頃にお越しになられたので、それから間もなくして、夜が明けました。
登花殿の東の廂の二間に、お迎えの支度はしてあります。前日の夜お越しになって、翌日は御滞在の予定だというので、淑景舎付きの女房は、御膳宿(オモノヤドリ・配膳室)と向かい合った渡殿に控えることになっています。
関白殿と奥方は、明け方に一つの御車で参内なさいました。

翌朝、とても早くに御格子をすべてお上げして、中宮様は、お部屋の南に、四尺の屏風を、西から東に御敷物を敷いて、北を正面に向けて立てて、そこに御畳や、御敷物ぐらいを置いて、御火鉢を差し上げてあるところにいらっしゃいます。
御屏風の南や、御帳台の前に、女房が大勢伺候しています。

まだこちらで、中宮様の御髪などのお手入れをして差し上げている時、
「淑景舎はお見かけしたことはあるか」とお尋ねになられるので、
「まだでございます。御車寄せの日に、ただ後ろ姿ぐらいを、ちらっと」と申し上げますと、
「そこの、柱と屏風とのそばに寄って、私のうしろから、こっそり見なさい。とても愛らしい方よ」と仰せになられるので、うれしくなるし、拝見したさが募って、「早く、おいでになれば」と思う。

中宮様は紅梅の固紋、浮紋のお召物を、紅の御打衣三枚の上にじかに重ねてお召しになっていらっしゃるのを、
「紅梅の表着には濃い紫の打衣がいいのだけれど、それを着られないのが残念ね。今はもう、紅梅の衣などは着ない方がいい季節なのだわね。けれども、萌黄などは好きではないのでねぇ・・・。やはり紅の打衣には合わないかしら」
などと仰せになられますが、ただただ、とてもすばらしくお見えになる。
お召しになる御衣装の何色にでも、そのままぴったりとお顔がよくおうつりになりますものですから、
「やはり、もうお一人のすばらしいお方も、このような風でいらっしゃるのかしら」と、お目にかかりたい気持ちが増します。

中宮様は、それからお席へと膝行してお入りになったので、私は、すぐさま御屏風にぴったりと寄り添って覗くのを、
「失礼ではないの」
「はらはらするやり方だわ」
などと話しあっている、女房たちの声が聞こえるのも可笑しい。
お部屋が随分広く開いているので、とてもよく見えます。
奥方は、白いお召物を何枚かに、紅で糊のきいた打衣を二枚だけお召しで、女房としての裳なのでしょうか、腰につけて(中宮の母であるが、臣下としての服装をしている)、母屋の方によって、東向きに座っておいでなので、ほんの少しお召物などだけが見えます。
淑景舎の君は、北に少し寄って、南向きにおいでになる。紅梅の袿をたくさん、濃淡さまざまに重ねて、その上に濃紫の綾のお召物、少し赤味がかった小袿は蘇芳色の織物で、萌黄色の若々しい固紋の表着をお召しになって、扇でぴったりとお顔を隠していらっしゃるのが、何とも、実にすばらしく、愛らしい様子をしていらっしゃいます。

関白殿は、薄い紫色の御直衣、萌黄色の織物の指貫、下に紅の御袿を何枚か召され、直衣の御紐をきちんと締めて、廂の間の柱に背を当てて、こちら向きに座っていらっしゃいます。姫さまたちのすばらしいご様子を前に、にこにこしながら、いつものように冗談をおっしゃっていらっしゃいます。
淑景舎の君が、とても愛らしげに絵に描いてあるようにきちんとお座りになられているのに対して、中宮様はごくゆったりとしていて、もう少し大人びておいでになられるご表情が、紅のお召物に美しく照り映えていらっしゃるところは、「さすがに、匹敵する方は絶対にない」と思われるほどにお見受けいたします。

朝の御手水を差し上げる。
あちらの淑景舎の御方のは、宣耀殿、貞観殿を通って、童二人、下仕え四人で、お持ちするようです。
片廂のこちらの廊には、女房が六人ばかり伺候しています。「廊が狭い」ということで、半数は前夜淑景舎の君をお送りしてきたあと、皆帰ってしまったのです。
童女が桜重ねの汗衫、下仕えが萌黄色、紅梅色などの着物が色とりどりで、髪を長く引いて、御手水を次々手渡しでお運びするのが、とても優美で奥ゆかしい。

あちらの女房たちの織物の唐衣がいくつか、御簾からこぼれ出ていて、相尹の馬の頭の娘である少将、北野宰相の娘である宰相の君などが廊近くに座っている。
「すばらしい」と見ているうちに、こちらの中宮様の御手水は、当番の采女が、青裾濃の裳、唐衣、裙帯(クタイ)、領布(ヒレ)などを着けて、顔を白粉で真っ白に化粧して、下仕えなどが取り次いで差し上げる時の様子は、これもまた、格式ばった唐風で、結構なものです。

朝のお食事の時になって、御髪あげの女官が参上して中宮様の御髪をあげ、女蔵人たちが髪を結いあげた姿で、中宮様にお食事を差し上げる時は、今まで隔ててあった御屏風も押しあけてしまったので、覗き見していた私は、隠れ蓑を取られたような気がして、もっと見ていたいのに残念なので、御簾と几帳との間で、柱の外から見させていただく。
私の着物の裾や裳などは御簾の外にすっかりはみ出しているので、関白殿が端の方からお見つけになって、
「あれは、誰だろう。あの御簾の間から見えるのは」と、お咎めになられますと、
「少納言が、珍しいもの見たさで、あそこに控えているのでしょう」
と、中宮様が関白殿に申し上げられますと、
「ああ、恥ずかしいことよ。あの人とは古いなじみだよ。きっと、『随分不細工な娘たちを持っている』とでも、見ておるに違いない」
などとおっしゃるご様子は、いかにも得意そうです。

                                (以下その2に続く)
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