虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

様変わりした算数セット……算数セットを使わない学校もあるそうです 2

2013-06-19 09:16:11 | 算数

算数セットにまつわる変化について、

もやもやとした思いをくすぶらせていた時に、

内田樹氏の 子どもたちよ、英語のまえに国語を勉強せよ

という文章を読んで、

自分が何に対して気を揉んでいたのか

腑に落ちました。

この文章、英語について書かれているものですが、学習全般につうじる

大事なことが述べられているのを感じました。

 算数セットの話題からは、少し逸れてしまうかもしれませんが……。

 

内田樹氏は、英語力が下がった理由は

「英語を学ぶと将来的に有利」などと、英語力を実利に結びつけるようになったから」とおっしゃっています。


学習の“報賞”があらかじめ開示されると、

子供たちはいかに効率よく“報賞”を手に入れるか、最小の学習時間で、最大の効果を求めるようになります。

頭のいい子ほど、「聞き流すだけで英語力が上がる」とか

「居眠りしながら英語力が身につく」といった市場にあふれている

「最小の学習努力で最大の効果」をめざしている学習法に傾倒しがちなのだとか。

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かつての「英語が好き」な子供たちは、誰に言われなくても英語の小説を読み、

英語の音楽を聴き、英語の映画を観て、厚みのある英語力を身につけた。

そのようにして得た英語力は試験の点数にそのまま反映されるわけではない。

無駄が多すぎたからである。入学試験に出るはずのない「無用の知識」を大量に含んでいたからだ。

けれども、その「試験には出ない知識」が彼らの英語力の厚みを形成していた。

あらかじめ“報賞”を開示すれば、子供たちは必ずそこに至る「最短距離」

を探すから厚みがない。

だから、「この教科を勉強すると、いいことがある」という誘導のしかたはしてならないのである。

             

           (『子どもたちよ 英語のまえに国語を勉強せよ』 内田樹  プレジデントFamily 2013年7月号)

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「無駄が多すぎる学習方法に含まれる入学試験に出るはずのない大量の無用の知識

 がかつての英語力の厚みを形成していた。」というくだりは、

自分の子たちを育てていて、強く実感しているところです。

無駄な過程を山ほど踏みながら、

わが子たちが勉強したり、アル

バイトして社会と関わったりする姿を見ていると、

確かに、成功を約束された最短距離をひた走っていくのと違って、

努力もしている、能力も十分あると思うのに、それに見合う成果になかなか結び付かないな、と

もどかしい時期だってあるのです。

でも、「厚み」とか「深み」という言葉で、

そうした無駄の多い体験を経たわが子たちと向き合うと、

知恵にしろ、精神力にしろ、物事に対する深い理解にしろ、未来を思い描く力にしろ、

わたしが20代の頃といわず、今のわたしも到底及ばないな、とも

感じています。

無駄もいっぱい含んでいるような何か自分を投じることから得るものの大きさ、豊かさのようなものを

わが子たちの成長から実感しています。

 

話がずいぶん脱線したので、算数セットの話題に戻りますね。

写真は、アスペルガー症候群の6年生の☆ちゃんの学習の様子です。

 

「1.3は0.1がいくつ分か?」という問いに、

「1.3個」という答え。

そこで、「0.1が2個だと、0.2。

0.3が3個だと0.3……0.1が10個だといくつ?」とたずねると、

「0.01」と答えました。

また、「0.1が10個だと、1よ」

と教えてから、「1.1は0.1がいくつ分?」とたずねると、

「1.1」と答えていました。

これは具体物を使って、何個なのかと数えているものと、0.1にあたるものを

目で見て確認しておかないと、こんがらがっているな、と感じたので、

キラキラした小物のひとつを0.1として

13個並べて考えてみました。

そうやって、「0.1、0.2、0.3……と置いて行けば、

それまでこんがらがっていた知識もきちんと整理できました。

「1枚8円のシールを6人に5まいずつ配ると、いくらお金がかかるのか」という

問題も、

文章を読みながら具体物をセットしていってもらうと、

「~まいずつ」という言葉の理解につまずきがあることが判明。

「5まいずつくばる」という文を読んで、

人形にそれぞれ1枚ずつ、全部で5枚のシールを配り終えて、

「できた。配れない人形もあった」と言って涼しい顔をしていたのです。

 

これまで☆ちゃんは「~まいずつ」という記述が出てくる問題は

解けてはいたのですが、

「こういう言葉がでてきたら、掛け算をする」と覚えていただけで、

意味を正しく理解してはいなかったのです。

「5個ずつ9皿に分けると、3個あまる」という問題を

具体的に皿と小物で表してみるようにうながすと、

ひとつの皿に9個、小物を乗せており、「3個あまる」という部分は、

「3掛けるの?」とたずねて、計算式で紙に書こうとしていました。

 

☆ちゃんのように言葉と実際の物の扱いが結びついていない場合にも

学校で習っている期間は、計算ドリル等で同じ問題を繰り返し練習するので、

パターンとして解けるようになっていることはよくあります。

学校の先生も、親も、そうして形だけでもできるようになって、

テストで点を稼げたら良しとする風潮が蔓延しているように思われます。

 

それは算数セットを従来のものに戻せば解決する問題でも

ないでしょう。

でも、物を扱わなくても、計算カードで暗記だけして、

数式を扱えるようになれば問題なし……という方向に行き過ぎることには

危機感を覚えます。

 

勉強は、学校で習う内容を訓練したかどうか、それができるようになっているかどうか、

にだけ力を入れていても、

それ以外の無駄とも思われるさまざまな体験を

経なくては、きちんと力がついていかないし、正しく理解できないところがあります。

ゲームをして遊んでいると、

頭の使い方をきちんと習得していないことに、

成績が伸び悩みの原因が見つかることがあります。

写真のゲームは、青、赤、緑、黄色、紫の5色と

猫、犬、馬、牛、豚の5ひきの動物について、

青い猫、赤い豚、黄色い馬、紫の牛のように4ひきの

動物それぞれに色がついているカードを見て、

そのカードにない色で、いない動物を

場のカードから探す遊びです。

 

こういうゲームをする時には、まず、色か動物のどちらかを先に絞り込んで、

色は緑がないから……猫でも豚でも馬でも牛でもない動物の犬と

合わせて、答えは緑の犬ね……と判断すると、

すぐに答えがわかるようになります。

 

そうした情報を処理が苦手だと、

色の情報を覚えておくことができなくて、動物だけで判断したり、

逆に色だけで判断したりしがちです。

 

カード遊びなんてテストではでない……と思うかもしれませんが、

そうした遊びの中で、手で物を操作しながら、

「問題文を読んで、書いてあることを記憶した状態で、

そこに描かれている図について判断する」とか、

「文中にいくつかの情報が含まれている時、ひとつひとつの情報を整理して

段階を踏んで解いていく」といった力が身に着いていきます。

 

「単元で習うことが、ちょっとでも早く労力を使わずにできるようになること」だけを

目指すことには

いくら表面的な知識は詰め込んでも、そうした頭の使い方自体は身に着きにくい

という難点があるのではないでしょうか。

 

幼児や低学年の子どもたちは、

本人たちが、学習の“報賞”や将来の実利の意味も知らないうちから、

「最小の学習努力で最大の効果」を与えようとする大人たちの

レールの上に乗せられていきがちです。

それは、子ども自身が、自分の判断で、少ない努力で多くの効果を得ようよ

模索すること以上に

学びの根っこをスカスカにしてしまうのかもしれません。

 


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
記事と直接関係はないのですが (すっとびとびすけ)
2013-06-19 22:44:10
いつもいつも、非常に参考にさせてもらっています。今回の記事と直接関係はないのですが、小学生の算数の勉強について、とてもモヤモヤ(イライラ?)していることがあるので、書かせていただきます。
三年生の娘の宿題に、お決まりの計算ドリルがあります。それはいいのですが、文章題はかならず「問題を写せ」と言われます。宿題の多い先生で、遊ぶ時間も取れないので(うちの子がのんびりしているからではありますが)「問題を写させるのは何のためか」と訊いたところ(ということは要するに、時間がかかるだけなのでやめてほしいと言いたかったわけですが)、「出てくる数字に着目して解いてほしいから」ということと、「もう一つ、見て写す力を鍛える意味もあります。一分間で30文字が目安です」というお返事でした。ノートを見ると、「これはアラビア語?」と思うような汚い字で問題が写されていて、到底算数の理解にも、国語力の養成にもなっているとは思えません。でも先生は本気で、こうすればできるようになると信じておられるみたいで、こういう感性の人が教師をするんだなあと絶望しています。絵を描いて考えて式を立てる楽しさとか、数を自由に扱う面白さとかを体験しながら算数を勉強してもらいたいなあとつくづく思います。
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