ブログで自己肯定感の話を書くと、
「(自己肯定感を上げるには)もっと褒めるといいんでしょうか?」
という質問をいただくことが多々あります。
そのたびに、「褒める」というのとはちょっとちがうなぁ……と思いつつも
ひとことで、「これこれこういうことしたら上がるものですよ」と
アドバイスできるものでもなく、もやもやした思いをくすぶらせることがあります。
そこで、わたしが考える「自己肯定感」が上がると思われる接し方と、
「自己肯定感」が下がると思われる接し方について、
言葉にして整理しておきたくなりました。
特に、子どもの自己肯定感を上げようと思って褒めているのに、
「褒める」行為自体が、
子どもの自己肯定感を下げているように見えるケースについて
言語化できるといいな、と思っています。
3歳になりたての子らというのは、
「こういうことがしたいんだ。自分でやってやるんだ!」と
自分の動きを自分でコントロールしたい気持ちが持続しはじめるものの、
「何をどんな風にしたいのか」ということは後回しというか、
本人にするとどうでもいいことだったりします。
周囲にすると、一生懸命しているところ、口出しするのも何だけど、
「ちょっと紙の使い方もったいないんじゃない?」
「新聞紙使って工作してごらん」なんてあれこれ口出ししたくなる時です。
大人からちょっとあれこれ言われても、
それまで自分や自分のすることに自信が育ってきている子は、
大人のアドバイスもそこそこ聞きいれつつ、
「大丈夫だよ。もうこれで、こうちゃく出来上がりだよ。」と
自分のしてきたことを否定しないでいいような切り返しで決着するものです。
お姉ちゃんから手厳しい追及を受けてもへっちゃらで、
ぼくが作っていたのは「○○!」と、おそらく、できあがってものを見て
後付けでひらめいた名前を自信満々に言います。
子どもの自己肯定感というのは、自分で自由にできる余白というか、
実際に動く場面でも、想像の世界においても、自分で動いて失敗してもOKという
可動領域がしっかり確保されているかどうかに、
大きく関わっているように思うのです。
大人が子どもの領域へしょっちゅう侵入していたり、
逆に「子ども」という存在を特別視したりお客様扱いしたりして祭り上げて、
子どもの周りに地に足をつけている大人が存在しなくなったりすることも、
子どもが確かな自分を感じられなくなる、
つまり自分に自信を持てなくなる原因のひとつとなるのではないでしょうか。
大人のアドバイスに過剰反応し過ぎて激しいかんしゃくに発展してしまう子も、
即座に大人の指示に従って、「自分のそれまでしていたこともこれからしようと
していたこと」も帳消しにしてしまう子も、
「ママして~」とすること自体放棄してしまう子も、
ちょっとしたことをきっかけに自信や自分への信頼感が
揺らぎやすい子なのかもしれません。
子どもはそうした揺らぎのなかで成長していきますから、
こういう反応をするから、自己肯定感が低いとか高いとか、
気にかける必要はないのでしょう。
でも、
大人の関わり方の加減次第で、日常の行為のひとつひとつが、
子どもを勇気づけ、自己肯定感を高めていくきっかけになることも
事実だと思っています。
それは子どものすることなすことを「褒める」というのとは、異なります。
幼い子たちのすることは、たいていでたらめでめちゃくちゃですから、
大人が「褒めなきゃ、褒めなきゃ」と思っていると、
心にないような嘘をつくことになるか、子どもが一番自信満々でやった部分は無視して、
大人が言葉でコントロールしてそれなりの形にした部分だけ、
「すごい、すごい」と褒めることになりかねません。
つまり、「自己肯定感を上げるために褒めなきゃ、褒めなきゃ」と思って
褒めているうちに、褒め言葉が、大人の期待通りに子どもを動かすための
見えないニンジンになってしまうことが非常に多いのです。
「子どもの自己肯定感を高めるため」という名目で、
子どもに何かできるようにさせようとあせっている時、
実は、周囲の人の評価を大人である自分が欲していて、
「もっと褒めてもらいたい」「もっと認めてもらいたい」という飢餓感が
その動機に取って変わらないか、自分の心を見はっておくことが大切です。