思春期、またプレ思春期という時期の子に、周囲が、「こうしてあげよう」「ああしてあげよう」とその子に心を砕いても、身構えて殻を固くするだけだったり、心そこにあらずでそれどころじゃなかったりしますよね。
投げた善意のボールが、思わぬ激しい拒絶として打ち返されるのは、めずしくありません。
私は、そんなうまくかみ合わずに終わった関わりを心の中に置いて、遠ざかったり、近づいたり、さまざまな方向から眺めてみたりする癖があります。
わたしの好きな言葉に「たった一つのシーンに実は多くのものが眠っている」というものがあります。映画やアニメにもなった『守り人』シリーズで有名な児童文学者の上橋菜穂子さんの言葉です。
それは、心理学者の河合隼雄先生の「人間の体験は面白い。体験を語ろうと思ったら、ほんちょっとの短い体験でも、ものすごく長くかかる」という言葉とともに、いつも心の片隅にあります。
どんなにつまらない、無駄だったという時間でも、実際にはたくさんのことを含んでいるものですから。
子どもの混乱や葛藤に、こちらまで引きずり込まれて、計画していた予定も、望んでいた成果も底から引っくり返って、何が何やらわからない無力な状態でそこに一緒にいただけだった、なんて時に限って、振り返るうちに、興味深いことや、未来につながっていきそうなことがたくさん眠っていたと気づき、確かに人間の体験は面白い、と実感しもするのです。
先日も親しい知人のお家にうかがった際にこんなことがありました。
そのお家には、スポーツと読書と工作が好きな小学校高学年のAくんという男の子がいます。Aくんの算数のつまずきを何とかすることと、Aくんの工作にゆったりと付き合うのが、今回の訪問の目的でした。
Aくんには発達の凹凸のあり、学校の先生とのぶつかりあいをきっかけに一年ほど不登校となっていました。が、最近、理解のある先生にあたって、学校に通う日も増えてきました。
とはいえ、授業中に好きな本を読んでいたり、掃除に参加しなかったりと、気ままに振る舞っているようでした。知人は、学校に通うようになったとはいえ、こんなに自分のしたいようにさせるばかりでいいのだろうかと気を揉んでいました。
とりあえず、学校での問題は先生にお任せし、授業に遅れないように家を出す(切り替えが悪いので、これだけでひと騒動です)、悪い言葉を使わないように家族のルールを徹底するなど、親としてできることを積み重ねておられました。
この日、知人が私を駅まで迎えにきている間に、思わぬことが起きました。
知人宅に着くと、Aくんがふらっと遊びに出たまま、いなくなっていたのです。
知人と私が、驚いたり、腹を立てたり、心配したり、どう対処すべきか悩んだりしていると、何時間もしてからAくんが戻ってきました。
勉強さえすればいいんだろう、という態度でした。
勉強中、さらなる問題が起きました。
Aくんはこのところ夢中になっている続きものの本があって、図書館の予約を入れるよう知人に頼んでいたのですが、わたしがその本を話題にして、「自分の頼み事はお母さんに強要するのに、自分はお母さんとの約束を簡単に破るのはダメだよ」と注意したのをきっかけに、勉強を放り出して、外へ飛び出して行ったのです。
図書カードも持っていないのに、予約した本を取り寄せることになっている数キロ先の図書館まで行っていたようです。Aくんいわく、「出て行ったのは、奈緒美先生が本の話をしたからで、悪いのは先生」とのことでした。
Aくんが二度にわたって出て行ってしまったり、自分のしたことで叱られそうになると周囲を攻撃し、望みを叶えさせるためには、強要したり脅したりしていたのは、悩ましい限りでした。
たいした役には立たなかったものの、知人の顔を見れてよかったと帰宅しました。
それから何日も、私はAくんとの間で起こったこと、知人から聞いたこと、Aくんとした工作などを思い返していました。
これまでAくんは、年に一、二度、工作と算数遊びのワークショップに参加してくれていました。その都度、自動販売機や、とても長いビー玉コースターなど、工夫を重ねて、動きのあるダイナミックな作品を夢中になって作る姿がありました。
それが、今回の訪問中にAくんが作っていたのは、段ボールを剣の形に切って重ねてビニールテープで巻いて作った剣で、拍子抜けするほどシンプルな作品でした。
Aくんに作りかけの剣を借りたわたしは、剣道でもするように何度か振り下ろしてみました。ビュンッと爽快な手応えがありました。段ボールでできているとは思えないほどでした。そういえば「最強の剣を作っている」と言っていたのを思い出しました。
「これ振ると本物の手応えがあるね。これは何度も作り直して、改良しないと作れないね。本物の武具みたい!」そう言ってから、
「これで剣道の練習とかしたら面白いんじゃないかな? 剣道習わなくても、楽しく振って型が身につくんならいいんじゃない?」とたずねました。
前々から、いつも練習しているサッカー以外に、このスポーツも面白いな、やってみたいな、というものあればいい、と感じていたから出た一言でした。
運動神経のいいAくんには、「サッカー選手になりたい」という夢があり、毎日、たくさんの練習を自分に課しています。ただ、強豪チームに入り、勝つための訓練が本格的なものになるにつれ、より高い協調性を求められるようになり、思い通りにいかないことも増えてきました。
これから先、がんばったから必ず、選手になれるわけではないし、凹凸を持つAくんには、団体競技の中で協力しあって戦うあり方に、越えられない壁を感じる日が来るかもしれません。
もし挫折することがあっても、自分は体を動かすのが好きだよな、他にもやってみたいスポーツがあったよな、そんな気持ちを抱けるといい。勝ち負けなんて気にせず自分の得意な面を鍛えて、ワクワクする気持ちを味わってほしい。そう思っていたのです。
「まあ、いいね。」とAくんもまんざらでもない様子でした。Aくんがなぎなたの舞いを見たという話から、「フェンシングとか弓道みたいに、スポーツとして正しい型を身につけて練習するなら、危険な武器に見えるものも自分を鍛える道具になるよね」といった話をしました。
Aくんとスマホで剣道の打ち込み稽古の動画をチェックし、竹刀を打ち込む台を作ることにしました。段ボールを切って椅子にヒモで固定させてから、Aくんは未完成だった剣にビニールテープを巻く作業に戻り、わたしは打ち込み台にビニールテープを巻く作業を手伝うことになりました。
実際にビニールテープを巻いてみると、テープがゆるまないよう注意しながら、まっすぐ貼り付けて行くのは、考えていたよりずっと難しいことでした。何でもやってみないとわからないものです。
そこで改めてAくんが剣にビニールを巻いていく作業に注目しました。白いビニールテープを強くひいて、最大限に引っ張ったところで、その張りを保ちながら手慣れた様子で巻いていきました。本物の武具の取手部分に巻かれた紐のように一寸の隙もなく、思わずため息が出るほどきれいでした。
真っ白い剣で、Aくんは剣道の一人稽古を真似たり、日本刀やなぎなたを扱うように斜めに振りかぶったりしていました。
結局、完成した打ち込み台は、音が響きすぎるので室内で使うのはあきらめることとなり、剣道やなぎなたの型を練習するというアイデアは、Aくんの興味からこぼれ落ちていきました。
でも、「スポーツの世界での成功は、脇目も振らずに一つのスポーツで鍛錬し続ける先にある」といった考えとは異なる価値観に触れて何かしてみるのも、自分らしい考えを作っていく過程で大事なんじゃないかな、と感じました。
次回に続きます。