虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

「語りかけ育児」の弊害 と 「語らなさすぎる育児」の弊害 3

2011-09-08 15:56:18 | 幼児教育の基本

「語りかけ」育児に弊害があるのなら、「語りかけずに黙ってればいいの?」と感じた方がいるかもしれませんね。

それはそれで多くの深刻な問題を生むように思います。

最近では、「一方的に知識をインプットするように過剰に語りかける育児」と、

「ベビーカーなどに乗せて移動しながら、子どもの表情を見たり語りかけたりしないまま何十分も過ごしているという

語らなすぎる育児」を切り替えながら、その中間がない状態で子育てをしている方が多いような気がしています。

 

それでは語らなすぎる育児の問題について書いた過去記事を紹介させていただきますね。

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「愛着」の形成がうまくいかなくなってきた現代

「公園などで見かける多くの幼児が、
『愛着』の形成がうまくいっていないように見える」

「そうした子の親の関わり方を見ていると、
外からは可愛がっているように見えるし、ごく普通の親のように見えるけれど、
子どもとの心の交流や非言語でのやりとりが
かなりずれているようだ」

数年前から、幼い子を育てている最中の知人から、繰り返しそうした指摘を受けていたため、
私もその問題には細心の注意を払ってきました。

愛着とは、特定の人に対して「この人は自分の欲求や感情や意思を理解してくれる。この人といれば安心だ」という認識をもつこと。
特定の人に対して特別な情愛を抱くことです。
生後6~8ヵ月頃に、赤ちゃんの心に大人との関わりを通して形成されます。

愛着がきちんと形成されないと、次のふたつの態度が生まれます。

世話をしようとしている人に対して、警戒的で、「素直じゃない」という態度が多くなります。
甘えたいの甘えることができなくて、優しくしてもらっているのに、怒りだしたり泣いたりします。

一方、初めて会う人にもなれなれしく近づき、ベタベタし、
社交的に見えるものの、警戒心がほとんど見られず、
相手がどんな人か頓着しません。

3歳くらいまでは、子どもってこんなものかな~と思ってきたけれど、3歳を過ぎ、成長するにつれ、気になることが増えてきたという方で、
子どもの愛着形成がきちんとできていないな~と感じるケースと
よく出会います。

「こんな風にしたらうまくいく」と一言で伝えられる内容ではないのですが、
愛着の形成に集中的にしっかり努めてみると、
母親に1,2歳児のようにベタベタ甘える時期、、
親に八つ当たりしたり、ワガママをぶつける時期を経過したあとで、
状態が飛躍的に良くなる子が多いです。

愛着の形成に問題がある子は、
発達障害を持っている子もいるし、ごく普通の子もいます。
どちらであっても、
愛着がしっかり形成されていくと
問題のある行動は減ってきます。

2歳3歳の子というのは、愛着に問題がなく、
すくすく育っていても、
何でもかんでも「自分で!」と言い張ったり、「ダメ」「イヤ」と言わないと、
何もはじまらないのが普通です。
ですから、子どもが、よく泣いたりごねたりするからといって
過度に心配する必要はありません。

しかし、今、子育て環境の変化から、
専門家の間でも、
「普通の家庭」で育てられている子ども達の間に、愛着がきちんと形成されていない子がたくさん見られるようになり、
特に、
「人見知りがなく、誰にでもすぐになれなれしく甘えていく脱抑制型の愛着障害がよく見られる」という指摘がされているのも事実です。

私自身も、記事の最初に登場した知人も、子どもの姿を観察しながら、
非常に多くの幼児がこの問題を抱えていることを感じています。
愛着の形成の問題は、安易に見過ごすわけにはいかない、
先の多くの問題(学級崩壊、不登校、反社会的行為、無気力無関心)のねっこともなるものなんだろうな……と感じています。

前回の記事に次のようなコメントをいただきました。
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ものすごく今気になっていたことです。
昨日、子育て支援センターに行ったら、
娘と同じ1歳半ぐらいの子を持つ4人の子と母親が来ました。でも、母親達は端でおしゃべりに夢中。
子どもを全くみてないのですが、
子どもも全く母親を必要としてなくて、
それぞれひとりで大人しく遊んでいるんです。それぞれの性格もあるし~とは、思っていてましたが、あまりにもかまうことがなく、かまったと思ったら、遊んでるおもちゃを停止させてカメラ撮影に必死。一人は6ヵ月ぐらいの二人目の赤ちゃんもいてましたが、母親から離れたベビーベッドに置かれ、2時間の間にいちど授乳をしただけで、ずっと置いておかれたままでした。視界にも入っていない感じでした。
1歳半ぐらいのこどもたちは、初めて会う私にも全く警戒なく、ボールで遊ぼうと誘ってきたり、べったり付いてくる感じ。人懐っこい感じはするけど、なんかとても違和感を感じました。

ママ達のおしゃべりも大事だけど、きっと家でもこんな感じなのかな~って思うと明らかにコミュニケーションが少なすぎるな~と思いました。
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コメントをいただいたような親子の光景は、
今、児童館でも、公園でも、ショッピングセンターの遊びの広場でも
保育所や幼稚園の園庭でも子育て支援の場でも当たり前に見られる姿です。

以前、児童館の館長さんに頼まれて
未就園児の多人数の子育てサークルの遊び方の指導をしたことがあります。

それぞれのお母さんが大人同士のおしゃべりに夢中で、
1時間半ほどのサークルの間、子どもは眼中にもない様子でした。
積極的な子たちは走り回って、他の子のおもちゃを奪い取ったり、
赤ちゃんをつきとばしたり、ただ走り回ったりしていて、
おとなしい子は、騒がしい空間で、何をするでもなく座ったまま宙を見つめるか、お母さんたちがしゃべる様子をぼんやり見つめていました。

私が、ぬいぐるみの犬にシャワーをかけてお風呂に入れる真似を始めると、
子どもたちはいきいきとした表情を浮かべて、
犬を風呂に入れたり、拭いてやったりして遊びだしました。
また、文字積み木で図書館やレンタルビデオ屋さんをはじめると、
喜んで借りにきては、
ビデオを見る真似をしたり、
本を選ぶ振りをしたりして楽しそうに遊びだしました。

すると、その様子を見た親たちが、
しぶい顔をして、子どもをにらみつけたり、
暗い表情で、子どもを呼んで、「あの子と遊んじゃだめって言ったでしょ」と耳打ちするのです。
親同士、仲が良いとか悪いとかがあるようなんですね。
仲の悪い親の子どもとは遊ばないようにしつけているようなのです。
それと、
子どもが楽しそうに遊ぶのなんて、まったく無意味で、
先生として参加してくれるのなら、
音楽とか英語とか教えてくれたらよいのに……と思っているのが伝わってくるのです。

案の定、集団でする体操の時間や鈴やタンバリンを鳴らす音楽の時間になると、
お母さんたちの視線はわが子に釘付けになって、
あんなに無関心だったことが嘘のように、今度は一挙一動のミスも、他の子より遅れている部分も見過ごせないわ~という
雰囲気になっていました。
携帯で写真撮る方も多かったです。

気になったのは、多くの子が、
お母さんとまなざしで会話する姿が見られず、
親を振り返りもせずに、
まるで動物のようにうろつくときと、
親の視線が自分の注がれる場面では、
他の子と比較しているのを察知して
顔をこわばらせたり、目をパチパチさせたり、親の目を恐怖に見開いた目で見つめ続けたり、
それかまなざしは感じているはずなのに全く無関心な様子でお遊戯中もイスにのぼったりする姿があったことです。

こうした親子の姿は、あまりめずらしいものではありません。
いろんな子育て支援の場に参加しましたが、どこに出かけても、
「子どもを他の子と比べる場面以外では全く無関心、子どもは視界の外」
という親の姿は、
多数派でしたから。

おそらく今の日本の子育ての定番の形なのかな?

とも感じています。

子どもの側もそれに適応していて、
親に無関心か、自分の要求をかなえる道具として認識しているように見えます。
ですから、子育て支援の場で30組以上の親子が集まると、
殺伐とした空気が流れているんですよ。


今、虹色教室で子どもや親に集まってもらう場合、
親も子もとても良い形で関わることができています。
このブログを読んでくださっている方は、子育てのスタイルでは
少数派なのかもしれませんね。
事前に、子どもへの接し方や子育てで何が大切なのかといったことを共有しておくことの
必要性を感じています。

愛着障害というのは、
多くの子どもたちを少数の職員で世話しなくてはならない
児童福祉施設などでよく見られた問題です。
それがごく普通の家庭でもよく起こるようになってきたというのは
なぜなのでしょう?

私が幼い子を育てている親御さんたちと接していて感じるのは、
言葉を使わない子どもが発するサインに気づけない方が、
非常に多いということです。

前回の記事に次のようなコメントをいただきました。
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コメントを取り上げていただいてありがとうございます。
やはり、どこにでも見られる光景なのですね。
先週も外食先で驚く光景がありました。
となりに自分と同じぐらいの夫婦と10ヵ月ぐらいの子供がいてたのですが、約30分の食事中、ベビーカーにずっと座ってひとり遊びしているのですが、親とのコミュニケーションが全くないんです。
気になってついつい観察してしまったのですが、夫婦は楽しそうに会話しながら食事をしていて、子どもが時々父親の服をひっぱったりしても気付かない様子。
約30分ぐらいの間に、父親が子どもの方を見たのはたった3回で(私が見ていたかぎりなんですが)1回は写真を撮り、2回目はバーと一度笑顔をみせたもののすぐ会話に戻り、3回目は『いこか』でした。母親は私たちに背を向けていたので、表情はわかりませんが、子どもが全く母親を見てなかったので母親もみてなかったんだと思います。
母親は二人目を妊娠されているようでした。
日本の子育てこれでいいのかな~と不安になりました。
ゆっくり外食ができてうらやましいかぎりではありますが。
うちでは、ほぼ交代で娘を見ながらの早食いが多いので、めったに外食はできなくなりました。それが普通だと思っていたので、目が釘つけになってしまいました。
子どもの発信をしっかり大人が受けてあげないと、子どもは発信をやめてします。言語以前の心のキャッチボールが全くできていないんだなぁ~と感じました。そしてそんな親ほど、うちの子は手がかからなくていい子と子育てに不安を感じていない方が多いように感じます。

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こうした光景もまたけっしてめずらしいものではありません。
ベビーカーを押しながら移動するママ友たち、
ショッピングセンターで見かける親子、外食の場で出会う親子も、
「お世話時間以外は、自分の視界からも心からも遠く離れた場所に放置していてもかまわない電子ペット」のように
子どもを捉えているようにも見えます。
電子ペットですから
自分がアクションをかけて打ち込んだ情報には
きちんとした反応が欲しいのです。

でも、そうした大人側からの求め以外で、子どもを見ることすら忘れているような現代の子育ての状態があって、
かつては施設で育った子や虐待を受けた子にしかなかった愛着の障害が、
ごく普通の子ども好きの親のもとでも
起こるようになってきたのでしょうか?


赤ちゃんは、3ヵ月頃までにアイコンタクトが成立します。
欲求があると泣いて知らせ、
あやされると手足をバタバタさせたり、
笑い声をあげたりして、身体中で喜びを表現します。

大人が近づくと、目を見つめながら微笑みかけてきます。
「遊んで!」のサインです。
 大人は、その愛らしいサインについ抱きあげては、あやして遊ぶようになります。
すると赤ちゃんは、また全身で喜びを表現します。
赤ちゃんが喜ぶから、大人もついついもっとあやします。

するとさらに赤ちゃんがはしゃぎます。やめると、もっと遊んでとばかりに、
「あーあー!ブチュブチュ(あぶくを出すなど)」して注意をひき、
うまくいかないと、泣いてさらに注意を引きつけようとします。
そのように赤ちゃんの出すサインに大人が応える形で、愛着は形成されていきます。
 そして生後6~8ヵ月頃には、身近な特定の人(だいたいお母さん)を愛着の対象者として選び、その後、人見知りをはじめます。
見慣れない人に抱かれると泣き、お母さんが抱くと泣きやみます。
お母さんと遊んでいるとき、他の人が接近してくると、目をそらしたり、母親にしがみついて警戒したりします。
そんなときしっかり抱きしめてもらうことで、
赤ちゃんはお母さんのいつも自分を守ってくれるという思いを抱き、
「安心感のよりどころ」とするようになります。

そうして特定の人(主にお母さん)と信頼関係が結ばれると、不安を抱かず他の人を受け入れることができるようになるのです。


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