お母さんと離れている時間が長い子がようやくお母さんに会える短い時間は、
お母さんの側からすると、わが子の姿を目にできる貴重な時間でもあって
その短さゆえに、子どものしっかりした姿を目にしたいという期待の濃度が高まる、といったことを書きました。
子どもが家庭で自発的に学ぶ姿を見たいし、
遊ぶにしても創造的で知的な遊びに興じる姿を見たい、と思っても、
子どもにすればそうできない事情があるのです。
というのも、ある場所で何かに熱中してエネルギッシュに振舞うには、
学びにしろ遊びにしろ、それまでその場所で、
「うまくいった」「やってみたら楽しかった」「ここでこんなことをすると、お母さんがそばにいてくれるから心地いい」
「こんなことしたら楽しかった」「上手にできてうれしい」という体験をしながら
自分の芯となるものを育んできたかどうかにかかっているのです。
子どもという存在さえいれば、勝手に創造的に遊びを発展させていくわけでもないのです。
たとえば上の写真は、教室で電車好きの子らがいきいきと遊んでいる姿ですが、
この子たちがこんな風に楽しく遊べるのには、
「教室で前に線路を使って遊んだとき、かんかんってふみきりつけたら面白かったな。
ぼくはいろいろすごいことを思いつくことができるんだ。自分で考え付いたら
楽しくなるんだ」
「お母さんはこうしてって頼んだら、きっと心よく手伝ってくれるはず」
「線路をななめにもできるし、下をくぐらすこともできるし、上におくことだってできる。
おもちゃが足りなかったら、作ればいい」
といった気持ちを、大人に手間と時間をかけてもらって
その場所で体験したことがあるからなのです。
わたしたち大人にしても
勝手の知らない他所の家に行って
テキパキ動くのは大変ですよね。
もちろん共働きの家庭の子どもにとって家庭は勝手の知らない他所の家なんかじゃありませんが、
「学び」や「遊び」の場としては、「あ~っ、前に○○したの面白かったな。またしてみようかな」と
過去の創造的な体験を思い浮かべるには、
それまでのわくわくしたり、じっくり取り組んだりした体験の量が少なすぎるということも
あるのです。
だからしょうがないんだ、というのではなく、
濃度の濃い期待を投げかけるのをやめて、
「本当に小さくてささやかなものでいいから、短くていいし、あれこれおもちゃを出さなくても
おしゃべりだけでもいいから、
子どもと心がポカポカするような時間を作っていこう!」
と心を切り替えてみると、
急速に子どもとの関係がよいものに変わっていったという話を耳にすることがあります。
働いているお母さんというのは、本当はいつも子どもと過ごしているお母さん以上に
子どもを恋しくいとおしく思っていて、
仕事をしている分、子どもに対しても根気よく子どもの立場に立って考えてあげられる力を
持っている方が多いのです。
また子どもにしても、一日中、お母さんに会うのを待ち焦がれていたのですから、
お母さんとワクワクする楽しい時間を過ごせるなら、それがたとえ短い時間でも、
ちょっとした褒め言葉や「大好きよ」という言葉でも
心に染みわたって、「いい子になろう」「がんばろう」という素直な向上心を
抱くようになりやすいのです。
1ヶ月ほど前に、
専門的なお仕事で多忙をきわめておられるお母さんと
家でダラダラテレビばかり見て、反抗的ですねた態度ばかりとっていた★くんの関係のこじれを
どうやって修復していったのか、記事にさせていただいたことがあります。
★くんの激変ぶりに、「★くんのお母さんが具体的に何を変えたのか教えてほしい」という質問がコメント欄にきて、
★くんのお母さんが直接お返事をしてくださいました。
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オレンジママさんからご質問があったので・・・
私は昨夏に、ムスコが感情タイプの子であること、自己肯定感が低くなっていることなどを教えてもらいました。
繊細なタイプのムスコは、保育園生活の中でかなりがんばっていたんだな、と分かったので、危険なことと礼儀以外は(なるべく)叱らず大目に見て、スキンシップを心がけました。
それと、玄関の鍵は兄だけが持っていい(妹は持てない)とか、エレベーターのボタンは兄が押す、とか、仕事で使う封筒にシールを貼る、とか・・・ほんのささいなことですが彼だけの役目を持たせて、いてくれて助かる~!ありがとう!とやっているうちに、本当にこんがらがった糸がほぐれるように、すねた態度がなくなり素直になりました。
今、ホントにムスコがかわいいです(^^)
今回のレッスンでもう少しゆったり過ごす時間が必要というヒントをいただいたので、さっそく実践しはじめました。
保育園から帰ってくると、好きなテレビとごはんの時間が重なってしまい、ついつけたまま食べていたのですが、テレビを消しておしゃべりするようにしました。今まで聞けなかった話が飛び出てきて、面白いことを考えているんだなーと、またまた新しい発見です。
ノーと言えない流されやすいムスコに不安を感じていたところでしたが…よく考えたら、はっきりイヤと言いなさい!なんていわれても言えないですよね。
今は少し助けてあげながら、これからたくさん自信をつけて、自然に意志が表現できるようになっていけばいいかな、と思いました。
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★くんの近況とそれまでの経緯を記事にしたものを紹介しますね。
↓
半年ほど前、ユースホステルのレッスンではかなりの困ったちゃんぶりを発揮して
四六時中、お母さんを手こずらせていた★くん。
家でも外でも、どうしようもないところまで、
お母さんを怒らせてしまわずにおれないような複雑な心理状態に陥っていたのです。
それがユースホテルでのレッスン後、
お母さんが★くんへの見方や関わり方を変える努力をされたそうで、
少しすると、「見違えるようにしっかりして、保育園の先生からもよく褒められる
ようになりました」という連絡をいただいていました。
(その時の★くんのユースホステルでのレッスンの様子は↓の茶文字の記事に書いています)
そして、昨日、久しぶりに★くん親子と再開しました。
年長さんに進級し精神的にグッと成長したように見える★くん。
お母さんに対しては素直で明るい態度。
妹には優しく根気のいい態度で接するように
なっていました。
以前の★くんの姿からすると、まるで別人のようでした。
教室に着いた★くんにやってみたいおもちゃを自由に選ばせたところ、
写真のような頭脳パズル系のおもちゃばかり選んで遊んでいました。
どのおもちゃにもじっくり関われていました。
また工作では、がちゃぽんや野球ゲームなどを
積極的に作っていました。
半年前まで、
だらだら寝ころんだり、お母さんに口答えをしたりして
活動にいっさい参加しようとせず、ずいぶん幼い印象があった★くんの内面に
知的好奇心や向上心がこんなにも潜在していたなんて、
信じられないほどでした。
最レベの算数の文章題にもしっかり取り組めました。
ルールに配慮しながら、物を分ける問題です。
★くんのお母さんは、「素直で聞き分けがよくなった上、お友だちや妹を大切にするし、園での活動も
しっかりがんばっているので申し分ないのですが……」と前置きした後で、
「園で過ごす時間が長いので疲れるのでしょうが、家ではテレビばかり見ているのが
気になります。妹は家でも、切ったり貼ったり絵を描いたり……といろんなことをして過ごしているのですが、
★は何時間でもテレビを見ているんです」とおっしゃいました。
「集団生活の時間が長いから確かに疲れているんでしょうね。
★くんは教室のさまざまなおもちゃにしっかり取り組めていますから、
家でもテレビより面白いと感じるような遊び道具がいくつかあると、
テレビに固執しなくなるかもしれません。
それか見ているテレビの内容に大人も興味を持って、
遊びや物作りに活かしていくのも方法かもしれません。
テレビの男の子向けアニメが載っている雑誌ってありますよね。
ああいうのを買って遊んでみるのもいいのかも」
と言ったところ、
ちょうど行きの新幹線で戦隊物が載っている雑誌を買ったばかりという返事が返ってきました。
ごくたまにこうした雑誌を購入しているそうですが、付録などはお父さんが全て
作ってあげているそうです。
★くんは、「すごろくもついているんだよ!」と興奮した様子で雑誌をわたしの前にひろげました。
準備もルールもややこしそうなすごろくでしたが、
★くんがずいぶん乗り気だったので、
いっしょに作ることにしました。
★くんが最後までねばり強く材料を組み立てていたのと、複雑なルールをしっかり理解していて
ゲームしている姿を見て、
★くんのお母さんは、「こんなに自分でできるんだね。知らなかったわ。こんなことができるなんて、
本当にびっくりしたわ。今度からいっしょに作って、いっしょにいっぱい遊ぼうね」と
何度も繰り返していました。
★くんのテレビの視聴時間が楽しい創造的な遊び時間に代わっていくといいですね。
↓記事の後ろの方に以前★くんと過ごした時の出来事について
書いています。
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先日、小学5年生の●ちゃんの国語の入試問題の採点をしていたときの話です。
『セロ弾きのゴーシュ』からの出題で、ゴーシュの性格は設問で「繊細」と表現されていたのですが、
「繊細な性格」とは「気が優しい」こととイコールで結ばれると思っていた●ちゃんは
間違えてしまいました。
そこで、「家族や友だちのような身近な人のなかに、繊細な人っているかな?」と問いかけて、
「繊細な性質」というのは、「感受性が強くて、他の人なら気にならないような小さな刺激にも過敏に反応したり、
感情が細やかでいろいろなことによく気づいたりする性質のことよ。
そういえば、◎くんとか、神経が細かくて繊細かもね。」と説明すると、
「あーうちの弟の◎くん、それそれそれ!!だって、そんなん気にしてどうするの?ってことで、
急に、ぐずぐずいややーとか言いだしたり、優しいんだけど、気にしすぎ?ってところが
いろいろあるのよねー」と●ちゃんが興奮して応えました。
●ちゃんと、ゴーシュの性格やら、繊細な人の特徴やらでの話で盛り上がった後、
赤木かんこの『日本語ということば』という著書の中で、
第47回全国小・中学校作文コンクールの優秀賞受賞作品で
小学校2年生の女の子、中村咲紀ちゃんの
の感想文を目にしました。
読み進むうちに、いろんな思いが込み上げてきて涙がこぼれてしまいました。
咲紀さんは、ゴーシュについて次のように分析しています。
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「ひとりぼっちでだれにもあまえることができないゴーシュは、おこられるといつもそうやって、
くやしい気もちも、かなしい気もちも、いやだと思う気もちも、みんながまんしたのです。
ゴーシュは、ぼろぼろないたあと、気をとりなおして、
じぶん一人だけでれんしゅうをはじめます。でも、わたしは、
ゴーシュのがまんが、一生けんめいれんしゅうする気もちにつながるとは思いません。
だれも気がついていないけれど、ゴーシュの心の中には、
へんなものがたくさんつまっています。へんなものというのは、
その人によってちがうけど、じこまん足だったり、つよがりだったり、
がまんのしすぎだったり、色んなものがあります。そういうへんなものが心の中に入っていると、
本当のじぶんがちゃあんと見えません。ゴーシュは一生けんめいれんしゅうしているつもりだけれど
本当のじぶんがちゃあんと見えていないので、本当のれんしゅうができていないのです。
本当のじぶんをちゃあんと見ないでどんなにがんばっても、まちがったがんばりかたしかできません。
それは、本当のがんばりにつながりません。」
( 略)
ゴーシュはあとになって、この時のことを「おれはおこったんじゃなかったんだ」
と言っています。わたしもそうだと思います。
ゴーシュは、本当は、本当のじぶんをしっていたんじゃないかと思います。
でも、本当のじぶんはとてもひどいので、見ないようにしていたんだと思います。
それなのに、かっこうにだめなじぶんを見せられて、そのだめなじぶんにカッとなって、
そのむしゃくしゃをかっこうにぶつけてしまったんだと思います。
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この感想文を書いている咲紀さんは、妹が生まれたときに、素直に甘えられなかった経験があるそうです。
お母さんがだっこしてあげようといっても断って、
「まきがおかあさんにだっこしてほしいと思った時、いつでもだっこしてもらえるように、
わたしはもうだっこしてもらわなくていいの、まきがだっこしてほしいと思った時、
わたしがだっこしていたら、まきがだっこしてもらえないでしょう」
と言うのです。
咲紀ちゃんはこんな回想もしています。
わたしは、もう一ついえなかったことがあります。わたしは、
マクドナルドのハンバーガーが食べたかったのです。
ようちえんで、みんなが、「マクドナルドで何食べたあ」なんてはなしているのをきいたり、
となりのいえのマーくんが、マクドナルドのおまけのおもちゃを、たくさんもっているのを見たのです。
わたしは、年中のころから、ずっとマクドナルドが食べたかったけど、
おねだりできませんでした。マクドナルドはたかいだろうと思いました。
おとうさんは、マクドナルドは食べない人だろうと思いました。
小学生になった咲紀ちゃんは、ようちえん時代の自分を次のように振り返ります。
今考えると、わたしの「がんばるぞ」は、本当の「がんばるぞ」ではなかったと思います。
「つらいのがんばってがまんするぞ」の「がんばるぞ」だったのです。
わたしは、へんなものがいっぱいで、じぶんじしんもまわりの人も、
何もかもちゃあんと見ることができなかったと思います。わたしは、
だれにもあまえないで、心をきつくしてぼろぼろないていただけだったのかもしれません。
だから、いくらがんばっても、つらいことばかりだったのだと思います。
私のがんばりは、がまんするだけで、本当のがんばりにつながらなかったのです。
わたしはゴーシュだったと思います。
咲紀ちゃんは思いきって、おとうさんに言いました。「マクドナルドのハンバーガーが食べたいのでかってください」とたずねます。
すると「いいよ」とあっさりした返事がかえってきたそうです。
わたしはびっくりしました。そんなにかんたんに「いいよ」なんて言われると、わたしはびっくりするタイプです。
と咲紀ちゃんは綴っています。
咲紀ちゃんは次のようにも書いています。
「おかあさんはね、さきがいつあまえてきてもいいように、
いつでもさきがあまえてくるところをあけてまっているの。見えなかった?」と、おかあさんは聞きました。
わたしは見えなかったのです。でも、今は見えます。
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咲紀ちゃんの洞察力と分析力には驚きが隠せないのですが、
私が一番心を揺るがされたのは、
咲紀ちゃんほどの表現力も文章力もないかもしれないけれど、
感受性という面で、同じくらい敏感に感じ、考え、体験を心に浸透させていく
感情が優れている子たちのことが思い浮かんだからです。
そういえば、うちの娘も幼稚園の頃から、あれこれと鋭い人間関係や人の心や感情に関わる指摘をする子でした。
私が自分の子育ての誤りに気付いて、方向転換することを決意したのも、
娘の敏感さと全てを悟っているかのような人間関係や感情の世界への洞察力に触れて、
子どもだからといって自分の意のままになる相手ではないことや、
人の個性のすばらしさは、既存のテストの点だけでは測れないことに気づいたからでもあります。
9月のユースホステルのレッスンに、お母さんと気持ちが噛み合わなくて、
しじゅうぶつかってばかりいる感情が優れている5歳の男の子、★くんが参加していました。
すねて床にひっくり返っている時に、私がそっと頭を撫でに行くと、
その表情に何とも言えないくらい優しい愛らしい満面の笑みが広がって、
素直に誘いかけに応じる様子が目に焼き付いて消えませんでした。
★くんのお母さんは温和でがまん強い方で、決して無茶な叱り方をするタイプではありません。
★くん自身が、甘えたくて仕方がなくて、お母さんが大好きなのに、
どうしようもないところまで、お母さんを怒らせてしまわずにおれないような複雑な心理状態に陥っていたのです。
でも、本当はそうした態度の背後に、透き通るような純粋なかわいらしい性質が隠れていて、
荒れに荒れている最中にも、
静かに、「いっしょに~へ行こうか?」と呼びかけると、嬉々として飛び起きて、
自分からこちらの手を握り締めて
照れながら、そっと甘えてくる姿があったのです。
成長してから、素直になれなかった自分を振り返る
感受性豊かな咲紀ちゃんの文章を読むうちに、
その姿がいつのまにか★くんの笑顔の記憶と重なっていました。