先日、ベビーのグループレッスンに1歳代から通ってくれている●ちゃん(3歳)のお母さんから
こんなうれしい報告をいただきました。
●ちゃんは出産予定月より数ヶ月はやく未熟児として生まれました。
そのため月齢は生まれた日から数えずに、お腹のなかにいたはずの数ヶ月分を引いて計算していくように
病院から指導されていたそうです。
未熟児で生まれた子は運動面や言葉や知能の発達がゆっくりになりがちだからということで、
定期的に検診に通い、発達の検査を受けておられます。
今回のうれしい報告というのは、
発達検査の後で、「運動面でも知的な面でも非常に発達が良好なので、
もう未熟児として生まれた分の月を引かずに、生まれた日を誕生日として
月齢を計算してください」と指導されたという話です。
数ヶ月の発達の遅れどころか、
言語面でも巧緻性の面でも、1年以上月齢が上の子の能力をしめしているので、
「未熟児で生まれて、こんなに複雑なことまでおしゃべりし、いろんなことができるなんて!」
ととても驚かれたのだとか。
わたしも、まだハイハイで動き回っていた時期から●ちゃんの成長を見守ってきましたから、
それを聞いて、とてもうれしかったです。
(↓今回のレッスンの写真を撮りそびれたので、過去の●ちゃんのベビーのレッスンの様子の写真を
載せますね。)
子どもの知能を高めたり、発達をよくするために、
あんな方法がいい、こんな方法がいい、といろんな情報が飛び交っていますよね。
でもわたしは、そうして外から情報を集めてくるよりも、
目の前の子どもの「その子らしさ」としっかり付き合うことで、
その子の持って生まれた潜在能力は最も伸びると
感じています。
遊びにしても、工作にしても、会話にしても、何かするたびに
その子らしさはさまざまな形で表現されています。
そこで、親御さんのアンテナが、
「他の子よりできるか、上手か、参加しているか、失敗しないか、ママ友との関係」といった
ことにばかり向けられていると、
その子らしい個性の輝きに気づけけませんよね。
いつの間にか、その子らしさは曇っていくのではないでしょうか。
今回の記事で紹介した●ちゃんは、
「自分でやりたい」という気持ちが強い子で、はっきりしたひとつの目標を定めて
練習して、完璧にできるようになる達成感を求めるタイプでした。
「自分でやりたい」という気持ちが強いとひとことでいっても、
子どもによって
「どんなことがしたいのか」「どんな風にしたいのか」
「何を得意としているのか」「何を訓練によって洗練させていこうとしているのか」
「どのような接し方があっているのか」
「どのような環境が適しているのか」
千差万別です。
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少し前に、発達障がいの子の記事に対して次のような質問をいただいていました。
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奈緒美先生のブログだったかどうかははっきり覚えてないのですが、
“人の気も知らず、エジソンだなんだ言うのはやめてくれ”といった
親御さんの記事を目にしたことがあるのですが(断片的でゴメンナサイ)
こういったことに関してどのようにお考えですか?
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ちまたで「エジソンやアインシュタインが発達障がいだったのでは?」という話題が
よく取り上げられるため、
それに関して過敏に反応する方もいらっしゃるのだと思います。
発達障がいの子はどの子もエジソンのような天才的な能力を発揮する
ことができるとまで言ったら、極端で問題のある意見ですよね。
でも発達障がいのある子の「こだわり」や「過集中」といった特性が、
最もよい形で使われたなら、
それはその子の潜在能力を大きく開花させることにつながると
思っています。
わたしは発達障がいのある子ほど
「その子らしさ」に気づいて、それを支えることで伸びていく子らはいない
と感じています。
それは発達障がいのある子たちの身近にいる方の多くが
実感しておられることだとも思います。
エジソンやアインシュタインのようになれる子がいると言えばオーバーでも、
「エジソンやアインシュタイン並みに
寝ても冷めても○○のことばかり……それにどれだけ情熱と時間を
注げるかという点では世間で言う天才に引けを取らない……
という発達に凸凹のある子らは
一般的なバランスの取れた発達をしている子の
何十倍にものぼるのではないでしょうか。
バランスが悪い、凸凹がある、とは
裏を返せば、そういうことでもあるからです。
それが天才を生み出す確率にどう影響するかまでは
わかりません。
でも、そうした発達に凸凹のある子の凸部分やこだわることや、過度に集中することに
スポットライトを当てて、
「その子らしさ」を大事にしながら成長を見守ることで、
その子の成長する力は加速すると感じています。
「その子らしさ」や成長の可能性の芽は、
子どもの好きなことや喜ぶことで見つかるのはもちろん、
親御さんの目からすると心配しか感じ取れないようなシーンでも
たくさん見つかります。
たとえば、2、3歳の自閉っ子がお友達から
何かを奪い取りにいくことを繰り返すとします。
そんなシーンも、
客観的にふたつの視点から眺めれば、
子どもの成長のための鍵を見つけることができるかもしれないのです。
ふたつの視点というのは、
ひとつは、見たままに、
「他の子から物を奪い取る」という行為を止めに行って
「お友達のものを取っちゃダメ」と教えたり、相手の子を気づかったりすること
で、
たいていの方がそうした対応に追われて疲れ果ててしまっている
ことでしょう。
もうひとつの視点は、しつけはしつけとして対処しつつも、
奪い取りに行こうとする行為も、「その子らしさ」として
コミュニケーションを避けがちな自閉っ子にしては
成長のきっかけになるかもしれない、と捉えるのです。
「この子は何に惹きつけられて。繰り返し取りに行こうとしているんだろう?」
「物を取るという行為とはいえ、お友達に接近することは嫌でない様子。
もめない形で遊びを成り立たせる工夫はできないか?」
「この子がしつこくこだわる物の色は?素材は?
触った感触は?音は?動きは?お友達のどのような持ち方に
欲しい気持ちが刺激されているの?」
「この子の物を取りに行こうとするエネルギーをもっと肯定的な活動に
変化させられないかな?」
「物を奪おうとする時に、大人が相手をして、じらしたり、
アイコンタクトを取ったり、やり取り遊びのきっかけを作れないかな?」
そうした問いを自分にかけながら
子どもの姿を眺めて、いろいろと子どもへの働きかけを
ためしてみるとよいのではないでしょうか。
「その子らしさ」がなかなか見つからないようなタイプの子も
少し視点を変えて子どもの活動を眺めることで
新たな発見があるものですよ。
最初の質問からちょっと話が逸れてしまいましたね。
「人の気も知らず」というのは、親御さんの言葉なのか、
発達障がいの当事者の方の言葉なのかはわかりませんが、
おそらく辛い現実にたくさん遭遇されたのだと思います。
でも、凸凹のある人が生き辛く能力を発揮することができないのは、
ハンディーのせいだけでなく、
凸凹を許さない周囲の不寛容にも原因があるはずです。
シアトルに来て、こちらで暮らしている方に聞いたところ、
アメリカではADHD等の発達障がいを持った方が社長になっている率が
とても高いのだそうです。
アメリカでは人の能力に凸凹があることを
そのままでよしとして認めているお国柄があって
そうしたことが可能になっているという話でした。
アメリカにはアメリカの問題点もあるのでしょうが、
「人間、少しくらい凸凹があったっていいんじゃないか?」という
おおらかな考え方が、ハンディーがあってもがんばって努力していく力のもと
にもなるのではないか、と感じました。
いつも楽しく参考にさせていただいています。
以前、ラジオで、自閉症の方たちの「規則性に対してのこだわりが強い」という強みを生かして、コンピューターのプログラミングの設計ミスをみつける会社で、何人もの方を雇用している、という話を耳にしました。
(かなり前の話なので、細かいところは違うかもしれません。)
今は様々な情報が手に入るようになって、自分が全体の中のどの立ち位置にいるのかも気づけるようになった分、多くの人が、中央に寄るように、平均に近づくように、と考えるようになってきている気がします。
そんな中で、個性の強い方たちにとっては生きるのに苦労する時代なのかな、とも思います。
先生の一人一人の個性に寄り添う姿勢がとても優しく、私自身も自分の子どもたちのありのままの姿を穏やかに見つめられるようになり、そこからプラスの方向に向かえるようになりました。
社会全体が、前述した会社や虹色教室のような視点を持てたらいいですね♪