自覚しているいないにかかわらず
誰でも自分についての「自己イメージ」というものを持っています。
意識的に把握することが難しいほどぼんやりしているように見えても、
実際には、細部までできあがったものとして存在しているそうです。
「私はこんな人間だ」という自己認識、思い込み。
この自己イメージによって行動や感情や態度、技能といったものは支配されます。
達成できること、できないこと、難しいこと、簡単なこと、自分に対する他人の反応まで自己イメージが支配しているそうです。
たとえ歯をくいしばってがんばっても、自己イメージと違うことは
意志の力では解決しようもない……
それほど自己イメージは強烈なものです。
この自己イメージがいつできるか?
というと、幼児期です。
そのほとんどは、幼児期の自分に対する周囲の反応といった経験から無意識に形成されていくものなのです。
教室で多くの子どもと親御さんに接していると、
非常に多くの方々が、子どもを愛しているにも関わらず、
わが子の性質や能力に対して誤った解釈をしたり、
子どもが誤解するような接し方をして、
その子が自分に対してより良い自己イメージを作っていくことを妨げています。
親御さんのほとんどが、子どもにすばらしい経験をたくさんさせ、
良いものをたくさん与えて、
さまざまな事にポジティブに挑んでいって欲しいと望んでいます。
そうして、自分の外にあるものに対して、
すばらしさや、質の高さについてのチェックを怠りません。
そのどれも昔の親は、とうてい与えることができなかったものばかりです。
しかし、自分の中にあるものについては、
無意識のなすがままにして放っている方もけっこういます。
親が子どもをどのように認識しているか、どのような子と解釈しているか
は、そのまま子どもが自分の自己イメージを形成していく素材になります。
親が与えるもの以上に親のまなざしで、子どもがどのように振る舞い、何ができ、何ができないのかが決まってくるのです。
親が子どものことを「どのような子だと思っているか」は、
実際子どもがどんな子であるかという客観的な判断よりも、
親の自分自身への自己イメージが、ネガティブかポジティブかで
決まってくるように見えます。
というのも、周囲から見るとかなり困ったちゃんの子でも、
「自分自身が好きで自分に自信があるんだな~」と思えるお母さんは、
しっかりしている面や、優しさや賢さといったその方にしか気づけない面を良く見ていて、
それを言葉にされるのです。
そうして、数年もすると、その言葉どおりの「しっかりしていて優しく賢い」姿に育っていって、「えっ?あの子が……?」と驚くことがよくあるのです。
でも、「自分に自信がないのかな?」と思える方は、
私が感じるその子の良い面に対して、ため息をついたり、
皮肉っぽい言葉をかけたりして、
絶対良いところは認めたくないという印象を受けるのです。
一方で、その子が自信を失うきっかけとなるような習い事や活動をたくさん与えています。
子どもは幼児期に形成した自己イメージを下地に一生を過していきます。
ですから、
子どもの能力を高めるために、最も大切なのは、
親がまず自分に対して良いイメージを持つこと、
自分の性質や能力を気持ちよく受け入れること、
自分に対してていねいに親切に接することだと思います。
そうして、自分に対するまなざしを優しいものにすれば、
子どもへのまなざしは、おのずと最適なものになるでしょうし、
子どもは大人の態度によって揺らぐことなく
最高の自己イメージを作っていくでしょうから。
私はかなり「ずぼら」なので、子育てでも手抜きのし放題なのですが、
「わが子が自分に対してより良い自己イメージを作っていく」
ことに関しては、どんなときもその方向が逆になったり、ゆがんだりしないようにしてきました。
周囲より何ができなかろうと、子どもが先生から注意を受けようと、長い期間、停滞していようと、成績表がどうだろうと、まったく気にもとめず、
そのどの経験も「良い自己イメージ」作りに役立つようにしていました。
それは心にもないことを言って褒めまくるという意味ではありません。
子どもが出会うさまざまなことを、私がどのように受け止めるか、感じるか、といったことです。
例えば、子どもの成績が悪かったといった場合も、そうした点数にまどわされず子どもの能力を信じる親の態度が子どもに伝われば、
何も言わなくても、子どもの自己イメージは向上しますよね。
そうした負の出来事は、
成績が良いときに、喜ぶよりずっと、
親の気持ちや愛情が伝わりやすく、
「成績や周囲の評価などにまどわされない価値ある自分」というイメージを確かなものにしていくのに役立つものです。
けんかをしたときや、怠け癖にしてもそうです。甘やかすとか、見ないふりをするのでなく、きちんと受け止めて、子どもが自分に良いイメージを抱けるように助けます。
そうした子どもの負の部分が
表に出ているときこそ、親の態度ひとつで、
子どもがそうした「人が誰でも持っている弱さ」を踏み台にして、それを乗り越えて強くなる助けになります。
そうして、本人が良い自己イメージさえ作っていくなら、
どんなずぼら母が育てても、、
親が、成績を上げるために塾や予備校に行かせる必要もなければ、
子どもの人間関係で悩むこともなければ、
服装や物にお金をかけることもなく、
自分で選び、自分で進み、失敗すれば自分でより良く改善し、
自分で考え、何かするたびに自分でより正しい判断をくだすようになり、
自分で責任感や働くことへのあこがれを育み、
自分で社会奉仕への思いに目覚め、自分でさらに良い自己イメージ作りに励み続けるんだな~ということを実感しました。
娘にしても、息子にしても、何でもシャキシャキ進めるので、私にはとうていかないません。
教室の子どもたちを見ていても、子どもを信頼し、子どもが良い自己イメージを形成することを手助けしていれば、それ以外に私は、ほとんど仕事がないのです。子どもたちは、
自分でどんどん学んでいき、その子にしかない才能を開花させていきますから。
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誰でも自分についての「自己イメージ」というものを持っています。
意識的に把握することが難しいほどぼんやりしているように見えても、
実際には、細部までできあがったものとして存在しているそうです。
「私はこんな人間だ」という自己認識、思い込み。
この自己イメージによって行動や感情や態度、技能といったものは支配されます。
達成できること、できないこと、難しいこと、簡単なこと、自分に対する他人の反応まで自己イメージが支配しているそうです。
たとえ歯をくいしばってがんばっても、自己イメージと違うことは
意志の力では解決しようもない……
それほど自己イメージは強烈なものです。
この自己イメージがいつできるか?
というと、幼児期です。
そのほとんどは、幼児期の自分に対する周囲の反応といった経験から無意識に形成されていくものなのです。
教室で多くの子どもと親御さんに接していると、
非常に多くの方々が、子どもを愛しているにも関わらず、
わが子の性質や能力に対して誤った解釈をしたり、
子どもが誤解するような接し方をして、
その子が自分に対してより良い自己イメージを作っていくことを妨げています。
親御さんのほとんどが、子どもにすばらしい経験をたくさんさせ、
良いものをたくさん与えて、
さまざまな事にポジティブに挑んでいって欲しいと望んでいます。
そうして、自分の外にあるものに対して、
すばらしさや、質の高さについてのチェックを怠りません。
そのどれも昔の親は、とうてい与えることができなかったものばかりです。
しかし、自分の中にあるものについては、
無意識のなすがままにして放っている方もけっこういます。
親が子どもをどのように認識しているか、どのような子と解釈しているか
は、そのまま子どもが自分の自己イメージを形成していく素材になります。
親が与えるもの以上に親のまなざしで、子どもがどのように振る舞い、何ができ、何ができないのかが決まってくるのです。
親が子どものことを「どのような子だと思っているか」は、
実際子どもがどんな子であるかという客観的な判断よりも、
親の自分自身への自己イメージが、ネガティブかポジティブかで
決まってくるように見えます。
というのも、周囲から見るとかなり困ったちゃんの子でも、
「自分自身が好きで自分に自信があるんだな~」と思えるお母さんは、
しっかりしている面や、優しさや賢さといったその方にしか気づけない面を良く見ていて、
それを言葉にされるのです。
そうして、数年もすると、その言葉どおりの「しっかりしていて優しく賢い」姿に育っていって、「えっ?あの子が……?」と驚くことがよくあるのです。
でも、「自分に自信がないのかな?」と思える方は、
私が感じるその子の良い面に対して、ため息をついたり、
皮肉っぽい言葉をかけたりして、
絶対良いところは認めたくないという印象を受けるのです。
一方で、その子が自信を失うきっかけとなるような習い事や活動をたくさん与えています。
子どもは幼児期に形成した自己イメージを下地に一生を過していきます。
ですから、
子どもの能力を高めるために、最も大切なのは、
親がまず自分に対して良いイメージを持つこと、
自分の性質や能力を気持ちよく受け入れること、
自分に対してていねいに親切に接することだと思います。
そうして、自分に対するまなざしを優しいものにすれば、
子どもへのまなざしは、おのずと最適なものになるでしょうし、
子どもは大人の態度によって揺らぐことなく
最高の自己イメージを作っていくでしょうから。
私はかなり「ずぼら」なので、子育てでも手抜きのし放題なのですが、
「わが子が自分に対してより良い自己イメージを作っていく」
ことに関しては、どんなときもその方向が逆になったり、ゆがんだりしないようにしてきました。
周囲より何ができなかろうと、子どもが先生から注意を受けようと、長い期間、停滞していようと、成績表がどうだろうと、まったく気にもとめず、
そのどの経験も「良い自己イメージ」作りに役立つようにしていました。
それは心にもないことを言って褒めまくるという意味ではありません。
子どもが出会うさまざまなことを、私がどのように受け止めるか、感じるか、といったことです。
例えば、子どもの成績が悪かったといった場合も、そうした点数にまどわされず子どもの能力を信じる親の態度が子どもに伝われば、
何も言わなくても、子どもの自己イメージは向上しますよね。
そうした負の出来事は、
成績が良いときに、喜ぶよりずっと、
親の気持ちや愛情が伝わりやすく、
「成績や周囲の評価などにまどわされない価値ある自分」というイメージを確かなものにしていくのに役立つものです。
けんかをしたときや、怠け癖にしてもそうです。甘やかすとか、見ないふりをするのでなく、きちんと受け止めて、子どもが自分に良いイメージを抱けるように助けます。
そうした子どもの負の部分が
表に出ているときこそ、親の態度ひとつで、
子どもがそうした「人が誰でも持っている弱さ」を踏み台にして、それを乗り越えて強くなる助けになります。
そうして、本人が良い自己イメージさえ作っていくなら、
どんなずぼら母が育てても、、
親が、成績を上げるために塾や予備校に行かせる必要もなければ、
子どもの人間関係で悩むこともなければ、
服装や物にお金をかけることもなく、
自分で選び、自分で進み、失敗すれば自分でより良く改善し、
自分で考え、何かするたびに自分でより正しい判断をくだすようになり、
自分で責任感や働くことへのあこがれを育み、
自分で社会奉仕への思いに目覚め、自分でさらに良い自己イメージ作りに励み続けるんだな~ということを実感しました。
娘にしても、息子にしても、何でもシャキシャキ進めるので、私にはとうていかないません。
教室の子どもたちを見ていても、子どもを信頼し、子どもが良い自己イメージを形成することを手助けしていれば、それ以外に私は、ほとんど仕事がないのです。子どもたちは、
自分でどんどん学んでいき、その子にしかない才能を開花させていきますから。
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そう環境を整えてみよう、と決意できる記事です。
とても有難く、読み返しました。
子供へのイメージは、むやみにほめることではない、
肯定するイメージというのは、いつもできるとは思えないのですが、親として努力すべきですね。
頑張りたいです
子供の発する波を感じ、乗って心地よい子育てをするはずか、
いつの間にか「こっちに流れて! 今度はこっち! いや止まって!」 と波をコントロールできると過信してか、教育という名のもとに
流れをせき止めてしまう自分がいます。
周りの早期幼児教育等に流されず、子供を自然に感じたい。感じてやりたいと
改めて思わされました
>子どもの能力を高めるために、最も大切なのは、親がまず自分に対して良いイメージを持つこと、自分の性質や能力を気持ちよく受け入れること、自分に対してていねいに親切に接すること
今の私にはとてもすっと入っていく内容でした。
ネガティブ思考に陥りがちな母ですが、今からでも自己イメージを変えていけるよう努めたいです。
よその親子を見ていて、「もったいないな~」と思うことはあるのに。わが子と自分のことは見えないでいました。
ありがとうございました。
ですが今日の記事は改めて、奈緒美先生の虹色教室通信に出会えて良かった!と思わずにはいられません…ピッタリの言葉が見つかりませんが、子育てする私を支えてくれる大きく太い大黒柱となる考えにふれたと感じています。
これから先も、子育てで悩むことはあるだろうけど、虹色教室のおかげでぶれない柱が自分の中で少しずつ出来上がってきているかもしれない…そういう実感があります。
感謝の気持ちでいっぱいです☆
自分の弱い気持ちに負けないように頑張ります。入学してからさらに体調が悪くなり、親の選択が正しかったのか、毎回心がかき乱されるので、八つ当たりもあります。
私は人は誰しも運命は選べない。その運命という流れの中で精いっぱい泳いでいくしかないと思ってますが、とくに子育てに関しては、いけないとわかっていても、意味がないとわかっていても、その流れの行きつく先を知りたくて、ぼくてんを出来るだけ傷つけないで泳がせられたらと強く思ってやみません。毎日ひどくぼくてんを傷つけているくせに、矛盾してますよね。ぶれまくりの弱い私の心に喝を与えてくれるありがたいブログ、いつもありがとうございます。
いつも天然な自分の母に呆れることも多いですが、私の母が私や妹に与えてくれた一番大きなものがまさに「自己肯定感」です。ほんとに何の根拠もないんですが・・・
それなのにそれなのに・・・
私はなんと娘にダメだしの多いことか。
友達より出来ないことが多くて外で傷ついて帰ってくる娘。娘を大事に思うあまり、いろいろ気になることが多すぎて、結果として追い討ちをかけるような言葉がけをしてしまい、反省する毎日です。
今日の記事をわすれないように、子どもたちに向き合っていきたいです。
今回の記事に書かれていること、私やってしまっているなーと反省する点が多々ありました。
子どもの長所をみつけて伸ばしてやりたい。色々なことの中から一つでも得意をみつけてほしい…。その思いの根本にある、この先どんな時もいつでも自分を信じる気持ちで満たされていてほしいという願いは明確なのですが、どうも私の目は子どもの「長所」より「短所」に注目しやすく曇りがちなようで、親の欲目の裏返しのような気もします。
自己イメージが与える影響の大きさ、子どもの自己イメージを高めるのは親の眼差し次第だと肝にめいじます。