虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

これからの小中学校がどうであってほしいか  息子とおしゃべり

2018-05-05 17:56:48 | 日々思うこと 雑感

 

適度な「しばり」が生む学ぶ意欲と喜び と 数学について  息子とおしゃべり

教育と自由  息子とおしゃべり 続き

の会話の続きです。

 

息子 「学校が無作為に40人前後の人集めて、人と関わる力を育てようという

設定自体が、あまりに雑な対応で、無理があるよな。もし、

人に自分の思っていることを伝えたり、

他人と協調して何か成し遂げていく力を育てるなら、同じ趣味を持ってる者同士とか、

好きなものややってみたいことが重なる者同士とか、議論や会話や思いがそこそこ

成り立つ前提と人数で、もう少していねいにそういった力を育てようとするべきでさ。

小学校の頃は、せめて、3年生までと4年生以降で、

クラスの組み方を変えてほしいと思っていたな。

 授業中は教科書を先に進んでもだめだし、わからないからと戻っても

だめって決まりが絶対だから、

結局、クラスで最も理解が遅れている子のペースに合わせることになる。

そうしたことを6年間続けていて、学力にしても人間関係能力にしても、それだけの犠牲を払うほど

何か得られるのかっていうと、疑問だな」

 

わたし 「確かに、海外在住の方が日本の学校を見学してまわった後で、

今の小学校のあり方は、だれにとっても幸せではない、子どもにとっても先生にとっても。

だれにとっても、実りの少ないものになっているって感想を言ってたわ。

でも、改善するのは難しいわよね。A(息子)は、どんな方法を取ればいいと思うの?」

 

息子 「子どもの個性を大事にする教育と銘打って、どんなに公教育を改善しても、

4,50人の生徒を

無作為にひとところに押し込めて、急激に成長する時期にいつまでも同じ

スタイルで教育しようとしている

限り、難しいよ。そんな風に足し算しようと無茶するんじゃなくて、

引き算の発想で、同学年の子全員に必要だと思う教育部分を減らして、

午前中に基本の授業を終えたら、

午後は、公民館、図書館、小さな学び舎などさまざまな学習の場を国が支援して、

子どもの好みや学びの段階や学び方に合った教育をするとか、

そうした選択をする人も認めるとか、

週の半分くらいは自由選択の部分を作るとか。

子どもってだけでひとくくりにして、能力のちがいや好みのちがいや

身体的なものや思考のちがいまで、

ざっくりと大雑把にしか子どもの教育をとらえていないんなら、

1から10まで自前でコントロールしようとするのを

やめた方がいいんじゃないかな?」

 

わたし「お母さんもそう思うわ。それに、教室に来る親御さんたちも、

学校に対して、そうした考え方をする人が多くなったのを感じる。

というのも、勉強は2学年ほど先までできるし、友達も多い、

社会性も育っている、でも

学校が苦痛で、学校に通えない、というこれまでと異なる

不登校の子を教室でも何人か見るようになった。

不登校まで至らなくても、予備軍と言えるような同じ訴えをする子らが増えている。

支援級があるからかもしれないけど、勉強がわからないから学校に行きたくないという子は

聞かなくなったけど、勉強が簡単すぎて、授業が苦痛でたまらないから

学校に行きたくない、という話はよく聞くようになったわ。

学校がなくなればいいとまで思わないけど、共通に学ぶのが半日なら喜んで学校に

通えるような子を不登校に追い込んでまで、今のあり方にしがみつく必要はないと思うわ」

 

息子 「学校はどうあるべきか、どんなに話しあったって、それはある子たちに

とっていいあり方で、別のある子たちにとっては最悪のあり方かもしれないじゃん」

 

わたし 「そうよね」

 

息子 「周りが就活をするようになって、会社側は、何をやりたいのかという目的意識を

しっかり持っているかどうかを求めてくるのを感じてさ。

学校で詰め込むような知識にしても、まず、先にその目的意識ありきで、

そのために必要な知識を持っているかという順で見られるよ。

それで、ふと、小学校の読書感想文のコンクールなんかで、そこでなぜ賞を与えるのか

ってことについて考えたよ」

 

わたし 「どうしてだと思うの?」

 

息子 「小学生なのに、文才があるとか、こんなことができてすごいって

ことじゃないなって。それだけが目的の審査員はダメだと思う。

なぜ、それがすごいのかといえば、小学生の時点で何かしらに興味を持って、それが

パクリでもいいから、

自分なりの解決策を探ってみる、という一連の流れを学ばされるための

賞じゃないかと考えてさ。

小手先のテクニックを教えて、賞を取りまくっても、

あんまり意味がないよね。

やっているうちに、自分の中にやりたいことが明確化されていくことが

大事でさ。」

 

わたし 「わかる、わかる。お母さんも、教室の活動の中で、

一番大事にしている点だから。お母さんがこういう風に子どもに能力をつけさせよう、

作り上げよう、何かを目指させよう、とするんじゃなくて、いっしょに、

手や頭を使って、いろんなことをやってみるうちに、心の底から自分がやりたいと

思うものは何かが見えてくるし、それに一歩近づけるのよ」

 

息子 「そうだよね。お母さんの教室は、自分の興味から、

自分のこれからの方向性をつかんで

いけるようにって工夫してるしね。そういうの、どの子にとっても大切だと思うよ」

 

 懐かしい記事が出てきたので貼っておきます。

番外 息子の話

 

 

(規則性について考え中 ↑ )

 


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2 コメント

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小中学校をどうすごすか (TREE)
2018-05-11 14:22:22
息子さんの「引き算の発想」、大賛成です。まさに、我が家のホットトピックで、思わずコメントさせていただきます。

息子があまりにも無意味な時間を学校で過ごしているのが見て取れるし、(授業参観で見ても、先生の話はほとんど聞いておらず、とにかく上の空。連絡帳すら書いてこないから、毎日の持ち物も宿題もあやふや)、学校から帰ったらやりたいことがあまりにも山積みで、生活が困難なレベルです。

まともに暮らすには「早く寝る、宿題やる」というのが必要なので、読みたがる本や工作グッズを取り上げたり、目の付かないところに隠したり・・・と。本意ではないです。「寝食忘れる」ので、思い出させることに躍起になっていますが、本当は、没頭させてあげたいです。でも、とにかく時間がない!小学校、長すぎます。

奈緒美先生の息子さんの言うように、午前授業、午後自由、だとどんなに良いかと思います!!

今、戦国武将と忍者と日本史に夢中なのですが、昨晩も歴史人物図鑑を見ながら、なにやらノートに熱心に、歴代の天皇の名前をびっしり書き込んでいました。これだって、こういう時間こそ、この子にとっての「学び」なんだと思いますが。そう思いながら、いつも途中で中断させてしまって、とことん追究させてあげられないのが辛いです。

夫は、学校をどんどん休んで好きなことしようと本気で息子に持ちかけて何度も説得していましたが、息子は、持ち前のポジティブさ・鈍感さ(ADHDの長所かと思いますが)で、どんなに学校がつまらなくても、友達に徹底的に仲間外れにされても、「皆勤賞とりたい」といそいそと登校していきます。「学校つまんない、嫌い」とは言うんですけどね。

それでも先日、ついに夫が学校を休ませて、息子を海に連れて行きました。(息子にとって自然から学ぶことは大きい!ということで)翌日、息子が、クラスの前でスピーチする時間で、そのことを大々的に発表し、「ええーー!!ズル休み!!」とクラス騒然、大ブーイング、というオチつきでした(苦笑)かわいそうでしたが。

自然は待ってくれない(クワガタが羽化するのは夏休み前)、ということで、これからも学校休んで虫採りに行く、と言っていて、担任の先生に正直に話して、了承を得て行く予定です。

ちょこっと休んでも焼け石に水かもしれませんが、それでも少しでも好きなことをできる時間を増やしてあげた方が良いと思うし、ゆるやかなのびのびした私学を探そうかと思ったり。模索中です。
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Unknown (たけこ)
2018-05-21 22:31:48
小学校教員で育児休業中です。本当の学びは子どもの興味関心が基本的にあって、、、、からのだと思います。
そんな自由な学習ができたらどんなにいいか。ぜひ、そんな声が広がってくれればと思います。
実際は、文部科学省からの指導要領(絶対教えないといけない項目)の内容をこなすのにキツキツな現場です。教科書を全部こなすのに、時間数が足りなくて四苦八苦しているのです。年々その内容は増える一方。

学校教育を受けさせる義務はありますが、学校に行くか行かないかは自由です。
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