話がずいぶん脱線していたのですが、
2歳9ヶ月~3歳1ヶ月までの★くん、☆ちゃん、●くん、○ちゃんの
レッスンの様子の続きです。
●くんが最近のマイブームを再現したり、
線路の切り替えスイッチに感激したのをきっかけに、
ブロックで作った「2方向にビー玉が分かれて転がっていく」仕組みで遊んでいる間に、
他の子たちは同じ場を共有しながらも、別のものに興味を持って、
別の遊び方をしていました。
★くんは、↓の写真の中央のプラスチックのビー玉スロープが気になるようで、
それを手に持ったまま、積み木で道路を作っていました。
わたしが近づくと、オレンジ色の迷路のようなスロープを指でなぞりながら、
「これ何?これ何?」とたずねます。
わたしは「それは、ビー玉を転がして遊ぶものよ。★くん。ビー玉、転がしてみる?」
とたずねてから、★くんのすぐ近くにいる赤ちゃんの妹ちゃんに目を移して、
「でも、妹ちゃんが口に入れたら危ないかもね……」と言い足しました。
横合いから★くんのお母さんが、「家でも★がビー玉で遊びたがるんですけど、
下の子が口にしたらいけないんで触らせていないんですよ」とおっしゃいました。
そこで、
「★くん、向こうでピタゴラスイッチみたいにビー玉がころころ転がっていくの
作って遊ぼうか?」と誘って、お母さんと妹ちゃんから離れた場所にビー玉通路や
穴がある積み木を出してあげました。
★くんは知力がしっかりした語彙の豊富な子です。
内向的な性質で、他の子が興味を持っているものにすぐに関心を示すタイプではなく
自分の心が動いたひとつの事柄を深く探求したいタイプの子です。
自由に遊びを広げていくよりも、
自分の中に生じた目的に向かって、ちょっとしつこいかな、というほど
試行錯誤を繰り返すような遊びをします。
大人が遊びの手本を見せてあげる際に、
子どものそうした個性的な性質を把握していると、こちらの提案するものが、
子どもの中で眠っていた潜在的な力が表現されるようになっていったり、
自分のやり方にこだわりがちな子が他の人の提案を受け入れたり、
お互いに気持ちを共有しあってする遊びを楽しめるようになってきます。
●くんが喜んでいた
「もうちょっとでうまくいきそうだけど、知恵を絞らないと
なかなか上手くいかない課題」です。
●くんが最初に興味を抱いたオレンジ色のスロープを中心に、
少しだけ他のおもちゃも取り入れています。
子どもによったら、気持ちが移りやすく、
次から次へと新しいものに目がいく子もいるし、
ひとつのことに興味を持ちだすと、なかなか次に移れない子もいます。
●くんは気持ちを切り替えるのが苦手という短所と同時に
それと表裏一体でもある「ひとつの物事への探究心を持続し続けること」が
得意という長所があります。
また、遊び方の幅が少し狭いという短所と同時にそれと表裏一体でもある
「目的や課題をはっきりさせて、何かをやりとげるまで努力し、
推測したり、理由を考えたりすること」を好むという長所も持っています。
●くんは、ビー玉通路のある積み木をオレンジのスロープの中央部分に
設置するのですが、
ビー玉を転がすたびに、通路の落ちずに、片方の端から転がり出てしまうことが
不思議でならないようでした。
大人にすると、スロープの下部の穴からビー玉が落ちるのですから、
その下に通路を置くのがあたり前のように感じられるでしょうか、
2歳後半の子にすると、
まるでビー玉が意志を持って、脱走していくかのように見えもするのです。
でも、何度も何度も、繰り返しビー玉を転がしてみることで、
物の性質に対する理解が高まり、どうやったら問題を解決できるのか
自分で気づきます。
●くんは、この遊びに長い時間関わって、上手くいった時は、
全身で喜びを表していました。
こうしたビー玉スロープのおもちゃで遊ぶにしても、
積み木やブロックで遊ぶにしても、
大人が子どもに新しい遊びを提案したり、新しい形で頭を使う活動に誘ったりする時は、
その子の性質や長所と短所を感受しながら、
子どもの自発的で能動的な態度を引き出すように接するのが大事だと感じています。
もしそうしたことが難しいなら、
働きかける前に、見守ったり、待ったり、子どもの声によく耳を傾けるように
気をつけるだけでいいのかもしれません。
それには、子どもと過ごす場や時間がひとつの価値観で固定された
柔軟性のないものにならないよう、
気をつける必要があるのかもしれしれません。
教室をしていると、
毎日のように「価値観を固定しない」大切さを実感する瞬間があります。
絵を描いたり物を作ったりする活動ひとつとっても、
絵具や素材と無心に触れ合うことを好む子もいれば、
排水管のように、その子が気になってしょうがないものを
作ることで、その仕組みを理解して満足する子もいるし、
絵本を作って、自分の中から生まれてくる物語を表現したい子もいれば、
図鑑を作って、自分の知識を披露したい子もいれば、
科学的な物の性質に興味を抱いて物を作りたい子もいます。
大きくダイナミックに製作するのが好きな子、
緻密にていねいに製作するのが好きな子、
大雑把に作るけれど仕掛けに凝る子、
自然の素材が好きな子、電子工作をしたがる子、
子どもの個性は千差万別です。
たくさんの子を相手にしている場では、そうしたひとりひとりの個性に
対応するのは限界があるはずです。
でも、子どもと接する大人が
ひとつの決まった価値観でだけ子どもを眺めるのをやめると、
全く同じ活動をしていても、それぞれの子がその活動を通して、
自分が何にわくわくするのか、もっともっとやってみたいこと、知りたいことは何なのか、
アイデアを出したり考えたりする面白さ、がんばってやり遂げた時の達成感、
自分ってどんな子なのか、自分はどんな風にすばらしいのか、ということに
気づくことができるのです。
物作りの例で言うと、
上手にできたかどうか、作品として質が高いかどうか、といった
価値観だけで見るのではなく、
「友だちと協力できているな」とか「触感を楽しんでいて、
創作するうちにリラックスできるようだな」とか、
「独創的なアイデアを思いつく子だな」とか
「予測するのがうまい」「工夫するのが上手」「几帳面」「色への感性が優れている」
「科学的な探究心が強い」「ストーリーを考えるのが上手」といった
子どもの数だけある価値観で眺めるだけで、
子どもは自分でそうした自分の美点を膨らませていく力を持ち始めると思います。
2歳9ヶ月~3歳1ヶ月までの★くん、☆ちゃん、●くん、○ちゃんのレッスンで、
積み木遊びをしていた時、こんなことがありました。
○ちゃんのお母さんが、めん棒で粉物を伸ばす動作をして、
○ちゃんとままごとをしていました。
他の子らにも、「お料理しよう。何を作りたい?」とたずねると、
「お魚」「おもち」と返ってきました。
ガスレンジの魚焼き機にお魚を入れて、焼く真似をしたり、
もちをつく真似をした後で、線路の上に積み木を並べて、
もちをひっくり返して焼いて「あちちあちち」と言いながら食べました。
こんな時、本当に熱くてたまらないように
振りをするのがとっても上手な子っているのです。
また、遊びに必要なものをブロック等で作るのが上手な子もいます。
上手くいかない時に、自分で工夫して直そうとする子もいます。
別の食材の名前を思いついて、遊び出す子もいます。
そんな風にそれぞれの子が自分の「強み」を発揮していきいきと遊びを発展させて
いくには、その場と時間を、決まった価値観が支配していないことがとても大事なのです。
アメリカの発達研究の成果をまとめた子どもの「遊び」は魔法の授業』という
著書の中にこんな一文があります。
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幼児の数学的思考の発達を専門に研究している
アリゾナ大学のロナルド・ジャレル教授は、
遊びが数学的概念を理解する上でなぜ重要なのかを明確に教えてくれる。
遊びは子どもの数学的思考の発達に不可欠である。
他の形態の知識と違い、数学的知識は物と物の関係を扱うものなので、
大人の説明を聞くことで学ぶことはできない。
遊びに関する実証的研究は、遊びと数学的な理解力と数学的な能力の向上との間に、
強いつながりがあることを示している。
遊びがなければ、子どもの数学的な推理力はまったくといっていいほど
発達しないだろう。
これはフラッシュカードやコンピューターゲームを使って得られる類の
知識なのだろうか?
いや、そうではない。子どもたちが物を使って遊ぶときにやっている、
探究する、操作する、分類する、分割する、組み立て直すといった日々の真剣な経験が
必要なのだ。
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数学的思考が必要なのは、算数とか数学という教科に限られたものではないですよね。
理科はもちろん、全ての学習に論理的に考えていく力は必要だと思います。
そうした学びの基盤となる「探究する、操作する、分類する、分割する、
組み立て直すといった日々の真剣な経験」は、
子どもの遊びの世界から失われつつあるように感じています。
子どもが五感と身体と自分の頭を使って、世界に能動的に働きかける機会は、
どんどん少なくなっていますから。
その一方で、情報だけで凝り固まった価値観が教育の名のもとに、
幼稚園でも学校でも習い事の場でも家庭でも
幅を利かせているのではないでしょうか。
大人にとって魅力的に感じる価値観ほど、成果や効果が期待できることほど、
相対的に、大人たちから、子どもの内面から遊びへの要求が生まれてくるのを待つ
余裕を奪ってしまうのかもしれません。
どんなにすばらしい教育システムも、それのせいで、
子どもの発達過程に組み込まれた身の回りの世界を論理的に解釈していくための
プログラムがきちんと作動しなったら、元も子もないですよね。
e-子育て・comのスタッフブログ~子育て、教育のヒントお届け~ という
ブログをしておられる羊先生が、遊びが失われていく子どもたち
という記事で、このブログの過去記事を取り上げてくださいました。
今回の記事では、価値観を固定するとかしないとか、
ちょっとわかりづらい書き方になってしまったのですが、
羊先生の
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「種まき期間」なしに、いきなり正式レッスンの入り口に立たされてしまい、
楽しんでやれない子ども。
遊びとして楽しむ期間がないので、面白いと感じられず、
うまくなりたいという意欲がわかないのが、問題なのですね。
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という言葉だと、子どもには「価値観が固定されていない時期」が
なぜ大切なのか納得しやすいかもしれません。
また本格的にひとつの価値観や枠組みの中に自分を投入してがんばる時期が来ても、
それぞれの子が自分としっかりつながって成長していけるように
「価値観が固定されていない余白部分」や「方向すら定まっていない未知のプロセス」や
「意欲や願望や夢が育まれるような遊びの部分」が必要なのではないでしょうか。