前回は、自尊感情が低い場合の尺度となる特徴を紹介しましたが、
今回は、自尊感情が高い場合どんな心の傾向や行動をするのか紹介しますね。
★自尊感情が高いと、友だちが悪いことをしているのを見ると、とめようとします。
★自尊感情が高いと、ほかの人からどんなふうにうわさされているのか気になりません。
★自尊感情が高いと、なにごとも、ほかの人にしてもらうより、自分でやりたいと思います。
★自尊感情が高いと、自分はほかの人に比べていろんな点ですぐれていると思っています。
★自尊感情が高いと、何かしようとするとき、ほかの人が反対するのではないかと心配になりません。
★自尊感情が高いと、自分はどんな不幸にあってもくじけないだろうと思っています。
★自尊感情が高いと、友だちは自分の考えをよく取り上げてくれると思っています。
★自尊感情が高いと、決められたことは、きちんとします。
★自尊感情が高いと、友だちは、自分のためになることをしてくれることが多いと思っています。
★自尊感情が高いと、自分には自慢できることがあると思っています。
他にもいくつかあったのですが、省略しますね。
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私の父も母もとても自尊感情が低い人でした。
子どものために自分を犠牲にすることは何とも思わないほど子どもへの強い愛情を持ってはいました。
ただ、自分たちの自尊感情が低いものですから、
自分の目を通して見る世界が、自分に都合がいいように歪んでいるのです。
そうした親の自尊感情の低さは子どもに伝染します。
それと良かれと思って注ぐ子どもへの愛情が、
子どもの中に芽生える自尊感情や自立心をを押さえつけたり、依存性や弱さを引き出すものとなっていても気づいていませんでした。
↓私の子どもの頃の経験を書いたエッセイです。
☆親のコンプレックスと子どもの困った行動 1
☆親のコンプレックスと子どもの困った行動 2
☆親のコンプレックスと子どもの困った行動 3
☆親のコンプレックスと子どもの困った行動 4
☆親のコンプレックスと子どもの困った行動 5
☆親のコンプレックスと子どもの困った行動 6
☆親のコンプレックスと子どもの困った行動 7
☆親のコンプレックスと子どもの困った行動 8
それで、私や妹が社会に出て行く年頃になったときには、
機能不全家族でアダルトチルドレンとして育った人の特徴をたくさん持っていて、人と共依存の関係に陥りやすく、社会に適応していくことが困難でした。
結婚して子育てをするなかで、私は自分の弱さを見つめながら、自分を成長させていくのに長い年月を要しました。
私が懸命に自分と向き合ってきたのは、
わが子たちに、人に寄りかかることなく、自分で幸せをつかみ取れる人に育ってほしい、
嘘のない目で自分を見つめることができる人に育ってほしい、
誰に反対されても何が起こっても自分の生き方に自信を持てる人になってほしいと願ったからです。
AC(アダルトチルドレン)といえば、過去記事でこんな記事を書いたことがあります。↓
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テレビで幼児教育の特集をしていると、
運動や外遊びには弊害はない。
子どもが元気いっぱいではきはきして、お友だちに思いやりをしるしていたら、
これはすばらしい幼児教育がなされているにちがいない
そうした思い込みや錯覚のもと、
ちょっと引っかかるシーンや気にかかるところがあっても、まるで何もなかったように打ち消して、「すばらしい!」と思ってしまうときがあります。
私はどんなに感動的な演出を目にしても、
<愛される存在でいるためには、他人の基準に合わせなければならない>
というメッセージが子どもに強烈に伝わるような幼児教育をしている場は
信用していません。
もちろん、幼児は他人の基準にあわせる必要がないと考えているわけではありません。
幼児の集団生活を通して、
自分のニーズを主張することと他人の要求をのむことの折り合いをつけたり、友だちと協調することを学んだりしていく必要があると思っています。
けれども、それは、
「愛される存在でいるためには、他人の基準に合わせなければならない」と思い込ませることではないし、
自分の感情やニーズを切り捨てて他の人の意向を優先すること
ではないし、
自分の感情とのつながりを切断すること
でもありません。
数年前に話題になっていたAC(アダルトチルドレン)を生み出す家庭では、
「話すな」「感じるな」「信頼するな」「質問するな」「考えるな」という暗黙のルールがまかり通っています。
幼稚園のような場でも、
何かひとつの方法を盲信して、親も子どもも、個性や感じ方の違いも疑問も口にできない状態で、園の方針を信じこんで子どもを叱咤激励したり、評価したり、無視したり、時には虐待に近いことまでしているときには、
このACの家庭と同じようなことが起こることでしょう。
本来、私たちは、意見が違って良いし、
それぞれの子はその個性に応じて尊重されて良いし、
お互いその違いから学びあいながら、創造的な解決を探っていくのが社会ですから。
他の人が「物事はこうなっているんだ」と言うと、
疑うことを放棄して、自分の感覚を信じずに言いなりになっている場では、
子どもは、子どもではなくなり、しっかりとした大人(悪ぶった大人)のように振る舞い、
次のどれかの役を引き受けます。
●リスポジブル・チャイルド(責任を追う子)ヒーロー 優等生
●アジャスター(順応者)
●プラケイター(なだめ役)世話焼き
●アクティング・アウト(問題児)スケープ・ゴート、いけにえ
生き抜くための力が、自分の成長のために使われず、
家族や集団の得になるもののために消費されます。
そうした場で育つ子どもたちは、自立しているように見え、輝いて見え、
賢く見え、優しく見えます。
それなら、それでいいのでは?とも思いますよね。
そのように子どものときから大人のように生きた子たちが
大人になると、
立派に大人として社会に適応しているように見えて、
大人になりきれていない部分をかかえているそうです。
それは「子どもっぽい」のとは、ちがいます。
人並み以上に社会的責任を背負っていたりします。
けれども、大人としてじぶんの面倒を見て、自分を幸せにすることができない
のです。
自分の感情をありのままに受け止め、自分の必要を周囲に要求する練習ができていないのです。自分の望みや気持ちをしまいこんで、苦しい生を生きるようになるのです。
子ども時代に、「子どもを生きる」こと。
それは将来の幸福の土台を作ることでもあるのです。
アリス・ミラーは、
「おまえのためだ」と言って子どもを屈服させる教育を受けた子は、大人になってからも誰かに隷属しやすく、宗教的なカルト集団、全体主義的な政党に対しても簡単に服従してしまいやすい
と、指摘しています。
「おまえのためだ」と言って子どもを屈服させる教育は、
子どもの意志を破壊し、子どもの感情や創造性、感受性、反抗心を抑えつけてしまう教育です。
ミラーによれば、そうした教育は、モラル・ハラスメントの被害者を作るそうです。
私の育った家庭も機能不全の状態でした。長い期間、親と子、家族、集団の問題を見つめて、向き合ってきて、しみじみ、これは日本人全体が抱えがちな問題なんだな~と思います。「これが、ふつう」と思えてしまうくらいに。
これから育っていく幼い子たちが、
自分らしく幸福に生きていくために、そこから目をそらしてはいけないと感じています。