絵本大好きクラブは、平日しか部屋が取れなかったため未収園児を募集しています。
もし園などやその日休みだというお子さんは参加してくださいね。
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よちよち歩きの子が、「あいっ」っと、お母さんにおもちゃを渡したかとおもうと、また取り返す、それから渡して、また取り返す……
という行動を取ることがありますよね。
こうした相手に渡して返してもらう行動は、
自由なやり取りや、開かれた会話の素だと言われています。
そうした行動は他に、入れ物にいっぱいいれて、空っぽにする動作
などにも見られます。
『ナチュラルな子ども時代』ジョン・B. トムソン, 発行:産調出版
という本によれば、
それらは、子どもの中に原型が見えるジェスチャーなのだそうです。
子どもの意識は幼いうちは自分の中心に集まっておらず、
周辺的な意識であり、
そうした行動や遊びを通して
自我と世界が別ものだということを
経験していくのです。
3、4歳の子が小さな隠れ家を作りたがるのは、自分の魂のすみかとなる
からだを作っている最中だからなのだそうです。
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パソコンが発達するにつれて、私たちの子育て観に、
子どもが大きくなって学ぶべきものを
より早い時期から『インプット』していく
というイメージが加わりました。
人の脳という機械に外部から何かをインプットして、
覚えこませていくというイメージに、
教育が重ねられるようにもなってきたのです。
でも、上の例にあるような
幼児の驚異的な内在する力は、
人が機械から推測して想像できるようなものをはるかに超えています。
幼児が水を容器で汲んでは、ザーッと自分の足にかけることを繰り返すとき、
すっかり夢中になって、くつろいでいるときがありますよね。
これこそが学んでいる状態なのだそうです。
私たちは、たびたび、
幼児の中で今後の成長の素となるもっとも重要な何かが形成される過程を
邪魔して、
大人たちの教えたい何かを押し付けようとします。
それはとても危険な行為でもあります。
こんな例えを想像してみてください。
どんなに医療が発達しても、お腹の中の胎児が成長していく過程を邪魔して、
大事な身体の形成をいいかげんにしてしまうと、
いくら後からそうした素をつくろうにも取り返しがつかないですよね。
それと同じで、心の発達や会話のやりとりに欠かせない
子どもの原型となる行動を十分させず、
何か大事そうな……ほとんどが、
幼児教育産業の宣伝用の情報でしょうが……
それに振り回されて、自然の摂理に基づいた
遊びが少なくなると、
子どもが物を学ぶために必要な基本的な素となるものを
習得しそびれてしまうかもしれません。
子どもは、大人と逆に学びます。
動いて、その動きから認知に至るのです。
ですから大人の学び方をどれほど易しくかみくだいても、
どれほど薄めてみても、
根本的に学び方がちがうので、
子どもの学ぶ力を混乱させて壊してしまうことにしかならない場合があるのです。
神奈川でトムくんと過したとき、トムくんの中に、少しずつ
会話の素となる行動、学びの原型となる行動が生まれていました。
そうしたときに、小鳥に対話を教えるように
パターンで教え込むことを繰り返すことも大事でしょうが、
それ以上にトムくんの中から生じつつある対話の素である行動に
気づき、それにきちんと応えていく必要を感じました。
0~3歳の子を育てている親御さんたちも、
トムくんと同じように、人生の中で最も大切な時期を過している幼児の
自然なあり方を、
ていねいに見守ってあげてくださいね。
web拍手を送る
もし園などやその日休みだというお子さんは参加してくださいね。
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よちよち歩きの子が、「あいっ」っと、お母さんにおもちゃを渡したかとおもうと、また取り返す、それから渡して、また取り返す……
という行動を取ることがありますよね。
こうした相手に渡して返してもらう行動は、
自由なやり取りや、開かれた会話の素だと言われています。
そうした行動は他に、入れ物にいっぱいいれて、空っぽにする動作
などにも見られます。
『ナチュラルな子ども時代』ジョン・B. トムソン, 発行:産調出版
という本によれば、
それらは、子どもの中に原型が見えるジェスチャーなのだそうです。
子どもの意識は幼いうちは自分の中心に集まっておらず、
周辺的な意識であり、
そうした行動や遊びを通して
自我と世界が別ものだということを
経験していくのです。
3、4歳の子が小さな隠れ家を作りたがるのは、自分の魂のすみかとなる
からだを作っている最中だからなのだそうです。
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パソコンが発達するにつれて、私たちの子育て観に、
子どもが大きくなって学ぶべきものを
より早い時期から『インプット』していく
というイメージが加わりました。
人の脳という機械に外部から何かをインプットして、
覚えこませていくというイメージに、
教育が重ねられるようにもなってきたのです。
でも、上の例にあるような
幼児の驚異的な内在する力は、
人が機械から推測して想像できるようなものをはるかに超えています。
幼児が水を容器で汲んでは、ザーッと自分の足にかけることを繰り返すとき、
すっかり夢中になって、くつろいでいるときがありますよね。
これこそが学んでいる状態なのだそうです。
私たちは、たびたび、
幼児の中で今後の成長の素となるもっとも重要な何かが形成される過程を
邪魔して、
大人たちの教えたい何かを押し付けようとします。
それはとても危険な行為でもあります。
こんな例えを想像してみてください。
どんなに医療が発達しても、お腹の中の胎児が成長していく過程を邪魔して、
大事な身体の形成をいいかげんにしてしまうと、
いくら後からそうした素をつくろうにも取り返しがつかないですよね。
それと同じで、心の発達や会話のやりとりに欠かせない
子どもの原型となる行動を十分させず、
何か大事そうな……ほとんどが、
幼児教育産業の宣伝用の情報でしょうが……
それに振り回されて、自然の摂理に基づいた
遊びが少なくなると、
子どもが物を学ぶために必要な基本的な素となるものを
習得しそびれてしまうかもしれません。
子どもは、大人と逆に学びます。
動いて、その動きから認知に至るのです。
ですから大人の学び方をどれほど易しくかみくだいても、
どれほど薄めてみても、
根本的に学び方がちがうので、
子どもの学ぶ力を混乱させて壊してしまうことにしかならない場合があるのです。
神奈川でトムくんと過したとき、トムくんの中に、少しずつ
会話の素となる行動、学びの原型となる行動が生まれていました。
そうしたときに、小鳥に対話を教えるように
パターンで教え込むことを繰り返すことも大事でしょうが、
それ以上にトムくんの中から生じつつある対話の素である行動に
気づき、それにきちんと応えていく必要を感じました。
0~3歳の子を育てている親御さんたちも、
トムくんと同じように、人生の中で最も大切な時期を過している幼児の
自然なあり方を、
ていねいに見守ってあげてくださいね。
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虹色教室はお腹に息子がいる時にたまたま
知って、以来参考にさせて頂いています。
出会えて嬉しいサイトでした。
幼児期なんて、あっという間に過ぎてしまう
のでしょうね。
貴重な時間を共に過ごしている幸せかみしめて
います。
親が子供にしてあげられること、邪魔しては
いけないことをしっかり考えたいです。
虹色教室にいつか参加できたらなと思っています。
我が家です。
先日、「お父さんもお母さんもわくわくさんになれる!」という本を読みました。
「つくってあそぼ」の裏話が満載で楽しかったです。もちろん、わくわくさんになるための工作も載っています。
わくわくさん(久保田雅人さん)のメッセージです。 (3人のお子さんがおられます。)
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子供たちが生まれるたびに、妻と話し合ってきたことがあります。
ひとつは、どんな子供に育ってほしいか。もうひとつは、親である私たちはそのために何をしてあげられるか。
二人の意見が一致したのは、子供は親の望むようには育たないということでした。「いい大学にいって欲しい」とか「将来はこんな仕事についてほしい」とか、いくら親が期待しても、
そんなことにはおかまいなく、子供はやがて自分の足で、自分自身の道を歩み出します。私の人生を考えれば、我が子も間違いなくそうなるでしょう。
子供に過剰に期待するのはよそう。何でもいいから自分の好きなものを見つけ、それに体当たりでチャレンジしてくれればいいというのが、私たちの結論でした。
ただ、どんな生き方をするにしても、必要になるものがひとつだけあります。「本気になる」ということです。子供たちが自分で飛び込んでいくのが、どういう世界であるかわかりませんが、どこに行っても、ものごとに真剣に取り組む一生懸命さが絶対に必要になるし、それさえあれば、たいていのことはなし遂げられるのです。
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とっても心に響きました。
ブログをスタートして約5ヶ月が経ちました。
記事を拝読させていただき
そう!それを伝えたかった!!ということが先生のこの記事の中にも詰まっています。
最近ブログを始めて改めて感じていることはもっと具体的に伝えることが必要なのかな・・・ということです。
もう、そのような事は充分理解されているだろうというのはこちら側の勝手な思い過ごしになっていることがありそうです・・・。
今回のあそもくらぶの“モシャシャあそび”意味のない意味のある遊びは、まさに先生のこの記事のような内容を親子で体感していただけるとプログラムしたものです。
これからもどうぞよろしくお願いします♪
言語の前の準備というか、非言語の大切さを実感します。
10ヶ月頃から始まる物を介した「どうぞ」のやりとり遊びは、会話につながる大切な遊びだということ。
また、指さしが相手に何か(自分が見つけた素敵なもの)を伝えたいという共感したい気持ち。
この二つが特にことばの前のことばとして、重要なことだと捉えています。
そして、色んな物に隠れたり、入ったりしながら、自分の体を認識していき、自分と他者の違いに気付いていくんでしょうね。
幼児期の発達ってすごいなぁ~と感じさせられます。