前回の続きです。
この日、Cちゃんは普段なら率先してやりたがる工作に
力が入っていませんでした。
クレパスを紙に塗って、水玉を移動させる遊びをしている最中も、
いつもならストローで水玉を移動させたり、水玉同士が合体したり、
風を送る道具で水玉を動かしたりする作業に夢中になるであろうCちゃんが
遠くから眺めているような心ここにあらずの参加の仕方でした。
何に誘っても気乗りしない様子で、レッスンの時間が半ばすぎた頃、
Cちゃんが、「なおみ先生!パパとママがCちゃんのお工作
ぜーんぶ、ぜんぶ捨てちゃったんだよ」と不満げに言いました。
Cちゃんのお母さんの話では、Cちゃんの創作物がたまりにたまって
部屋が散らかっていたので、「これはいくらなんでもひどいから」とCちゃんが寝ている間に
夫婦でそっと捨てておいたそうなのです。この半年ほどのCちゃんは、目につくものを手あたり次第、切ったり貼ったり
したり、絵を描きこんだりして、工作に明け暮れていました。それこそ毎日毎日、両手に抱えきれないほどの
創作物をこしらえていましたから、それを全部、捨てずにおいておくなど
考えられないことです。
捨てるのは当然、仕方のなかったことでしょう。
「Cちゃん、工作で作ったものをぜーんぶぜーんぶおいていたら、部屋の中が
それでいっぱいになって、散らかり放題になっちゃうよ。ものだらけで
遊んだり、歩いてまわったりできなくなっちゃう。
作ったものを写真に撮って、時々、さよならしようよ」と言うと、
Cちゃんがすかさず、「でもね、大きな箱に入れておけばいいの。捨てるのはだめなのよ」と
言いました。
それからも、私がCちゃんを説得しようとするたび、Cちゃんが真剣な表情で、
工作物は捨てたらだめだということと捨てなくてもいい方法があると
さまざまな言葉で訴えてきました。
「Cちゃん、今回のことでかなり傷ついているようですね。
工作物は捨てないわけにはいきませんが、捨てる時のCちゃんの心の痛みに向き合いながら
捨てる方法を探っていくのが大事でしょうね」とCちゃんのお母さんにお伝えすると、
Cちゃんのお母さんも、「こんなにCが傷ついているとは今まで気づきませんでした。
そういえば、あんなに毎日、大量に工作していた子があれ以来、1回も工作してないです。
捨てなくてはならなかったとしても、作ったCへの敬意とか、
Cのつらい気持ちへの配慮などが足りなかったと思います」と反省しておられました。
他の教室の子らも、大の工作好きの子が、
親御さんが工作物を捨てたことをきっかけに、
「どうせ、作っても捨てるし、工作したくない」と言って、
1年近くものを作ろうとしなかったこともありました。
こうした時の対応をネットで検索すると、
「写真に撮って残しておいたらいい」とさらっと書いてあるのですが、
それは、「子どもの思い出をきれいな形で残しておきたい」という大人側の満足いく
解決法で、子どもにすれば、納得できない場合も多いのです。
Cちゃんは工作自体も好きですが、作ったものについて解説するのも大好きです。
他の人から見たら丸いものをひっつけただけに見えるところも、「ここはのぞくと遠くまで見ることができるところで、
ここをこうやって広げると、玉が飛び出すの」「これはカメラで、これは字が書ける機械」いった説明がつらつら飛び出して、
Cちゃんにすると、さまざまな思いがあるようなのです。
この日、Cちゃんは、どの活動にも熱のこもらない参加の仕方だったのですが、
転機となったこんな場面がありました。
Cちゃんはドールハウスのはしごの周りに積み木で囲ってはしごを立たせようとしていました。
となりにはブロックのお家の壁を置いていました。
はしごは二階の床に引っ掛けて立たせるタイプのものですし、
はしごを囲った積み木は簡単に動くので、何度、立たせようとしてもうまくいきませんでした。
本来、こだわりが強くなくて柔軟に気持ちを切り替えるCちゃんですが、
この日は工作を捨てられたことでかたくなになっていたためか、
癇癪を起しそうになりながらはしごを立てようとしていました。
「こうやって、積み木を周りにおいたら、こういう風に立つんだよ!」と
自分の説を主張するものの、積み木が勝手に動くので腹が立ってたまらないようでした。
「Cちゃん、後ではずすことができるマスキングテープで積み木やはしごを床に貼っておいてもいいよ」
と言うと、「でもね、こうやってはしごの周りをするの!」と自分のアイデアを繰り返しました。
「それなら積み木じゃなくてブロックなら、動かないようにブロックとブロックをひっつけてことができるかもね」
と言うと納得して、長めのブロックではしごを囲いました。
すると、カチッとブロックの端と端がかみあって、はしごはきちんと立ちました。
そのとたん、Cちゃんの顔にいきいきしたいつもの元気が戻ってきました。
それから少し経ったとき、AちゃんとCちゃんが
何かを取りあってケンカし始めました。
見ると、小学生の女の子が作って贈ってくれた
「なおみせんせい、ありがとう」というメッセージカードでした。
最初に手にしたAちゃんがカードを手放そうとしなかったので、Cちゃんを呼んで、
「Cちゃん!ちょっとの間、教室のお友だちが作った本を貸してあげようか?
本屋さんになる?」とたずねると、手描きの絵と文字を目にした
Cちゃんの表情がみるみる輝きました。
「これも!これも!」と満面の笑みで、
手作り本を抱えていました。
AちゃんもCちゃんも既製品のおもちゃやテレビで宣伝しているような
できあがったものでなく
自分たちが手でこしらえたものに魅力を感じ、想像力でおぎなって
遊んだり作ったりすることを心から楽しめる子に育っているのです。
工作は作る時も作った後も、部屋が散らかる大変さと隣り合わせです。でも、
そんなことは気にならなくなるほど多くの恩恵も与えてくれると感じた出来事が
先日ありました。
幼児~小学3年生の子どもたちといっしょに『しろあと歴史館』に
行ったときのことです。
ぐるっと見て回るだけなら数分で見終わるような展示物が少ない小さな地味な施設でした。
入り口付近に大名行列の様子を再現したジオラマがあったので、
「教室の人形たちに小道具を持たせて、こんなの作りたいねぇ」と言うと、
子どもたちは目をきらきらさせて、「あれ、作れそう!」「あんなの作りたいなぁ」
「今すぐ作りたい!早く、教室で工作したい」「昔のかごが面白い」
「木も作ろうよ」「団子屋さんの屋根は何で作ればいいのかな?」と大盛り上がりでした。
派手な催しものや展示物がなくても
自分たちの想像力を使って、どんなものからも楽しさやおもしろさをいっぱい
引き出すことができるのです。
私が、こんな小冊子を400円で購入していたのをちらっと目にした男の子が、
「先生がすごく面白そうな本を買ってた!3000円もしてたけど、ほしいほしい」と
お母さんに告げに行き、みなどんな本かと大騒ぎしていました。
3000円は別の本の値段の見間違いで400円だったと知り、みんなほっとしていました。
どんな本なのか中を見たとたん、どの子もすごくほしくなったようなのです。
それで、帰りはこの本を見ながら『まちかど遺産』を探して、
全員、どんな遊技場に行くよりも楽しそうに帰宅していました。
Cちゃんの後日談。
Cちゃんはお母さんに「工作で作ったものをすてないで」という長いお手紙を
書いてきたそうです。辛い気持ちも
創造的な方法で乗り越えていくCちゃんをたのもしく思いました。