フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月1日(木) 晴れ

2009-01-02 12:16:22 | Weblog
  8時半、起床。晴天である。一階の掘り炬燵のある和室で全員揃っての朝食。今年もよろしくお願いしますの挨拶。
  午前中はフィールドノートの更新。午後は年賀状の返信書き(30枚ほど)。届いた年賀状の中に一枚、差出人の住所も名前も書いていない(書き忘れだろう)ものがあった。文字は活字で、文章は紋切り型で、添え書きもないから、差出人を推測する手がかりは図柄だけ。それと、「大久保孝治先生」とあるから、卒業生か在学生の可能性は高いが、必ずしもそうとは限らないのが「先生」という職業の特徴で、同僚の先生の誰かかもしれないし、大学の外での活動の関係者かもしれない。私からも年賀状を出している人であればよいが、そうでないと、「あいつ、年賀状を出したのに返信も寄越さない」と不評を買うことになる。もしかしてフィールドノートを見ているかもしれないので、アップしておくことにしよう。

         

  もっとも私も人のことを言えた立場ではなく、住所変更の通知をいただいていたはずなのに住所録を更新していなかったために、古い住所に出してしまって、戻ってきた年賀状が二枚ある。M君、O君、ごめんなさい。今日、いただいた年賀状の住所に改めて出しましたが、届くのは数日後です。
  返信を書いた年賀状の大部分は卒業生からのものである。女性は結婚すると苗字が変わることがほとんどなので、差出人の名前を見て、「誰だっけ?」と戸惑うことがある。とくに「鈴木」とか「佐藤」とかのありふれた苗字の男性と結婚した女性の場合がそうだ。私は夫婦別姓論者というわけではないが、こういうことがあると、夫婦別姓支持に傾くのである。
  早稲田大学で教え始めて15年目。卒業生の年齢分布は20代前半から30代半ばである。この時期の代表的なライフイベントは結婚と子どもの誕生で、事実、予定も含めて、そうした報告が数件あった。転職や転居の報告もあった。確率としては離婚の経験があってもおかしくないはずだが、まだそうした報告を年賀状に書いてきた人はいない。負のライフイベントという認識があるためだろう。しかし、私の研究(ライフイベントの心理的浮沈効果)によれば、離婚の浮沈効果には男女差があり、男性は負の値が大きいのに比して、女性はそれほどでもない。おそらく離婚=辛い状況からの脱出(再出発)という意味付与のためである。「離婚しました」とカラリと年賀状に書けるのはきっと女性の方が先だろう。
  本人自身に格別のライフイベントがない場合は、家族のライフイベント(たとえば「子どもが小学校に入学しました」)や、卒業からの経過年数(たとえば「卒業後10年目です」)や、象徴的年齢への接近ないし通過(たとえば「20代最後の年です」「30歳になりました」)への言及がみられる。ライフコースをのっぺりとしたものではく、何らかの節目のあるものとして認識しようとするのは、現代人に固有のものでない(たとえば厄年の観念)。現代人に特徴的なのは、「いかに生きるか」という問いをどの年齢にあっても不断に問われ続けることである。ライフイベントや年齢への言及は、発達課題(ライフコースの段階と対応した取り組むべき課題)の認識と結びついているのだ。
  年賀状の返信を投函しがてら散歩に出る。蒲田駅ビルや東急プラザは元旦はお休みなので、駅周辺もたいした人出はない。電車に乗って隣の川崎にでも行けば大変な人出なのだろうが(ラゾーナ川崎は元日から営業している)、私は元日のひっそりした街の方を好む。少し風があるが、いい天気だ。

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         
                         わが町