8時半、起床。昨夜から雨で、しかも寒い。この冬一番の冷え込みだろうと思う。風がないのだけが救いである。バタートーストと紅茶の朝食。フィールドノートを更新し、授業の資料を作成し、お昼ちょっと前に家を出る。
3限の授業(ライフストーリーの社会学)は今日で講義は終わり、来週は教場試験。最後の5分を使って、試験の傾向と対策について説明する。答案というものは、「私は先生が授業で話された内容をちゃんと理解していますよ」というアピールである。論文ではないのだから、オリジナルな知見を示す必要はない(示したいなら示してもいいが、論理的に示してほしい。たんに「私はこう思います」ではダメ)。答案には大別して4種類ある。ちゃんとわかって書いている答案、わかったつもりで(あるいは、わかったふりをして)書いている答案、勘違いして書いている答案、わからずに書いている答案である。ちゃんとわかって書いている答案には「A+」か「A」を付ける。「A+」と「A」の違いは、他の学生に模範解答として例示できるかどうかである。わかったつもりで(あるいは、わかったふりをして)書いている答案には「B」か「C」を付ける。「B」と「C」の違いは、わかったふりの上手下手による。勘違いして(しかし本人は勘違いに気づかずに)書いている答案には「C」か「F(不可)」を付ける。「C」と「F」の違いは、勘違いが致命的なものか否かである。わからずに書いている答案には「F」を付ける。わかっていないのだからしかたがない。ただし、わからずに書いていてもまぐれでヒットしている部分があれば「C」を付ける。武士の情けである。ちなみに昨年度の「ライフストーリーの社会学」の成績分布は、「A+」9.3%、「A」21.5%、「B」46.8%、「C」14.5%、「F」5.3%、「H(試験欠席)」2.8%であった。つまり受講生(400名)のうちちゃんとわかっているのは3割である。
授業の後、TAのI君と「メーヤウ」で昼食。二人とも同じオーダー(インド風ポークカリー、ラッシー、食後にガトーショコラと珈琲)。お勘定のとき、マダムから「今年もよろしくお願いします」と言われる。そう言われて、「秀永」「たかはし」「すず金」「ごんべえ」「五郎八」「フェニックス」「カフェゴトー」にも近々顔を出さなくてはならないなと思った。いきつけの店があるというのはこれでけっこう気を使うのだ。それから、年末に新規開店したはずの(未確認)ジャズ喫茶「ナッティ」にも一度顔を出さなくては。
帰りがけに、飯田橋ギンレイホールで犬童一心監督の『グーグーだって猫である』(主演:小泉今日子)を観る。漫画家の大島弓子の自伝的エッセーを映画化したものである。「仔猫物語」のような動物映画ではなくて洗練された(夾雑物を出来る限り除去した)ヒューマンストーリーである。私の右隣の席の若い女性は、クスクス笑ったり、うなずいたり、涙を流したり・・・非常に素直な反応を示していた。こういうのは若い女性の観客の一つのタイプで、男性にはまずいない。私は声を立てずに笑い、右の目からだけ涙がこぼれた。
はるだって猫である
3限の授業(ライフストーリーの社会学)は今日で講義は終わり、来週は教場試験。最後の5分を使って、試験の傾向と対策について説明する。答案というものは、「私は先生が授業で話された内容をちゃんと理解していますよ」というアピールである。論文ではないのだから、オリジナルな知見を示す必要はない(示したいなら示してもいいが、論理的に示してほしい。たんに「私はこう思います」ではダメ)。答案には大別して4種類ある。ちゃんとわかって書いている答案、わかったつもりで(あるいは、わかったふりをして)書いている答案、勘違いして書いている答案、わからずに書いている答案である。ちゃんとわかって書いている答案には「A+」か「A」を付ける。「A+」と「A」の違いは、他の学生に模範解答として例示できるかどうかである。わかったつもりで(あるいは、わかったふりをして)書いている答案には「B」か「C」を付ける。「B」と「C」の違いは、わかったふりの上手下手による。勘違いして(しかし本人は勘違いに気づかずに)書いている答案には「C」か「F(不可)」を付ける。「C」と「F」の違いは、勘違いが致命的なものか否かである。わからずに書いている答案には「F」を付ける。わかっていないのだからしかたがない。ただし、わからずに書いていてもまぐれでヒットしている部分があれば「C」を付ける。武士の情けである。ちなみに昨年度の「ライフストーリーの社会学」の成績分布は、「A+」9.3%、「A」21.5%、「B」46.8%、「C」14.5%、「F」5.3%、「H(試験欠席)」2.8%であった。つまり受講生(400名)のうちちゃんとわかっているのは3割である。
授業の後、TAのI君と「メーヤウ」で昼食。二人とも同じオーダー(インド風ポークカリー、ラッシー、食後にガトーショコラと珈琲)。お勘定のとき、マダムから「今年もよろしくお願いします」と言われる。そう言われて、「秀永」「たかはし」「すず金」「ごんべえ」「五郎八」「フェニックス」「カフェゴトー」にも近々顔を出さなくてはならないなと思った。いきつけの店があるというのはこれでけっこう気を使うのだ。それから、年末に新規開店したはずの(未確認)ジャズ喫茶「ナッティ」にも一度顔を出さなくては。
帰りがけに、飯田橋ギンレイホールで犬童一心監督の『グーグーだって猫である』(主演:小泉今日子)を観る。漫画家の大島弓子の自伝的エッセーを映画化したものである。「仔猫物語」のような動物映画ではなくて洗練された(夾雑物を出来る限り除去した)ヒューマンストーリーである。私の右隣の席の若い女性は、クスクス笑ったり、うなずいたり、涙を流したり・・・非常に素直な反応を示していた。こういうのは若い女性の観客の一つのタイプで、男性にはまずいない。私は声を立てずに笑い、右の目からだけ涙がこぼれた。
はるだって猫である