フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月3日(土) 晴れ

2009-01-04 11:10:04 | Weblog
  9時、起床。年末年始の好天は今日も続いてるが、だんだん寒くなってきている。今日は一家で妻の実家(田園都市線の鷺沼)に行く。途中、多摩川、自由が丘、二子玉川と三度乗り換える。ホームに立っていると風が冷たい。
  電車の中で、筒井清忠『西條八十』(中公文庫)を読む。詩人、作詞家、フランス文学者でもあった西條八十の評伝である。

  「西條八十(やそ)は明治二五(一八九二)年一月一五日、東京牛込払方町(はらいかたまち)に生まれた。父重兵衛、母トクの二男(六人兄弟の四番目)であった。
  父重兵衛は神奈川県の庄屋の二男に生まれ、江戸に出て牛込払方(はらいかた)町の質屋「伊勢屋」の番頭となった人物である。この伊勢屋を営んでいたのが西條家であった。
  母トクはやはり神奈川県の生まれで、明治一○年一七歳の時、西條家の長子丑之助と結婚することになっていたところ丑之助が急死し、番頭の重兵衛と結婚することになったのだった。
  八十という名は、西條家の養子となった重兵衛が先代の夫人八十にちなんで付けたという。」(7頁)

  主人公の出生から書き始めるというのは評伝としてきわめてオーソドックスだが、質屋の跡継ぎの男と結婚するはずだった女が、その男が急死したため、養子になった番頭と結婚することになったというのは、結婚が個人的なものではなくイエのものであったことを簡潔に伝えるエピソードである。また、養子になった番頭が先代の夫人の名前を自分の二男に付けたというのも、いまのわれわれにはない命名感覚である。私は本書を読んで「西條八十」が本名であることを初めて知った。
  評伝は特定の個人の一生についての記述だが、背景には時代というものがある。また、主人公以外のさまざまな他者が登場してくる。個人の一生が時代とどうかかわっているか、またさまざまな他者とどうかかわっているか、そのあたりが評伝を読む楽しみであり、ついでに言えば、評伝を書こうとする者の腕の見せどころである。

         

  妻の実家には11時半ごろ着いた。すでに義姉夫婦は到着しており、TVで箱根駅伝を観戦していた。早大と東洋大がトップ争いをしているが、早大のアンカーが4年生、東洋大のアンカーが2年生と知って、これは勝負あったなと思った。アンカーに2年生を持ってくるのはそのランナーが実力があるからである。実際にはアンカーで時間は縮まったのだが、これはリードしている東洋大が安定したペースで走るようにランナーに指示を与えたためだろう。1分弱の差ではあったが、それが計算されたものである以上、完敗である。初優勝の東洋大の喜びは大変なものだろう。白山のキャンパスのもりあがりが目に見えるようである。去年、早大は往路優勝したが総合では5位であったから、往路で2位、総合でも2位の今年は実力的には上昇している。一時の、シード落ちを繰り返していた頃と比べると夢のようである。来年も楽しみだ。
  駅伝を観終わって、みんなで近所の神社にお参りに行く。義姉はいつも御神籤を引く。今年は中吉だった。義姉夫婦は再婚同士のカップルである。二人仲よく中吉の御神籤を境内の枝に結んでいた。「めでたさも中位なりおらが春」(一茶)。