フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月8日(木) 晴れ

2009-01-09 09:54:12 | Weblog
  9時、起床。豚肉と玉葱のスープ、トーストの朝食。大学院の演習で今日は私も報告をしようかと(予定していたわけではないが、ふと、思いついて)、「清水幾太郎と有本芳水」という報告のレジュメ(A4二枚)を作る。なぜ、自伝の中で清水が小学生時代のエピソードとして芳水の詩を取り上げたのかを、清水の個人的・家族的要因と当時の社会状況の二面から説明したもの。正午に家を出る。
  3限はその大学院の演習。今日は大正8年の文学的状況を概観する回だったが、欠席者が2人(半数)いたので、私の報告中心で行った。やっぱり、レジュメを準備しておいてよかった。報告の後の質疑応答は、小学生時代の清水が「自分だけの世界」を形成する上で芳水の詩(広くいえば文学作品)が大いに機能したわけだが、現代の子どもたちの場合、その機能を担っているのは何かという問いを中心になされた。
  演習は定刻通り終わり、長田先生の研究室にちょっと顔を出して(たまたま坂田先生もいらした)しばらく雑談した後、「メルシー」で遅い昼食(炒飯)をとり、研究室に戻って夕方まで明日の授業の下準備。夕方から会合が一件あって、帰宅したのは7時半。今日はめずらしく親子4人が夕食(鶏鍋)の食卓を囲む。最近の一番多いパターンは、夫婦二人の夕食。そこに大学2年生の息子が加わるパターンが二番目で、そこから私が抜けて(夜間の会議などがあるとき)妻と息子二人のパターンが三番目。妻一人だけというパターンもたまにある。そういうわけだから、一家4人が顔をそろえた夕食は、なんとなく同窓会的というか、「やあ、ひさしぶり」的雰囲気がある。私→娘→妻の順で近況報告的エピソード(最近あった出来事)が語られ、それぞれに面白く、TV番組「すべらない話」的ノリが生じて、必然的に最後は息子の番という展開になったが、話術という点に関しては彼は一番未熟であり(なにしろ私は教師だし、妻も工芸教室の先生だし、娘は「女優」なのだ)、予期していなかった展開に瞬時に対応することができない。娘が「受けなくてもいいから。普通の話でいいから」とアドバイスするが、それがかえって(というか娘はそれを意図しているわけだが)息子にはプレッシャーとなる。「う~む」「え~と」と呻吟することしばし。「話下手なアヒルの子」か、おまえは。でもね、私も学生時代は、寡黙な青年だったのだよ。いまもその名残はあって、一人のときは、たまに独り言をいう以外は、無口なのである。
  深夜、明日の授業の下準備をすませた後、録画しておいた山田太一脚本の『ありふれた奇跡』の初回を観る。ああ、この台詞のやりとり、山田太一ワールドである。かりに脚本家が誰かを知らずに観たとしても、山田太一(あるいは山田太一に影響された若い脚本家)とすぐにわかる、そういう台詞のやりとりである。それは日常的な会話にみえて(たとえば夕食の団欒の会話)、実は非日常的で、誰もそんな風には話さない、でも、(たまには)そんな風に話してみたいな、と思わせる魅力にあふれている。