9時、起床。カレー、トースト、牛乳の朝食。午前中は書類の作成。昼前に自宅を出る。3限の授業(ライフストーリーの社会学)は教場試験。受講生400名中378名が試験を受けに来る。出席率94.5%(!)。1時10分、試験開始。2時10分、終了。答案を回収・チェックしている間、どの問題を選択したかを質問してみたところ、A・B・Cの3題の選択率は5:3:2くらいだった。問題を作成した側の感覚としてはA<B<Cの順で難易度が上がっているので、この分布は順当なのだが、AとBが難しいのでCを選んだ学生もいるようだった。もしかしたらそれはAやBを扱った授業のときに欠席した学生ではなかろうか。Cがなぜ一番難しいかというと、相対的に独立した2回の授業の内容を自分なりに統合して回答することが求められているからだ。統合せずに、1つのことを述べ、もう1つのことを述べるというのは簡単だが、それでは問題の意図を十分に理解していないことになる。二つのことをリンクさせる力が求められているのだ。
昼食は「メルシー」のチャーシューメン。普通のラーメンには1枚しか入っていないチャーシューが4枚入っている。これは気持ちにゆとりをあたえてくれる。チャーシュー1枚のラーメンでは、どのタイミングでチャーシューを食べるかが悩ましい問題になる。チャーシューを口にする瞬間が、一杯のラーメンを食べるというプロセスのハイライトシーンともいえるものなのだ。それをどこにもってくるか。いきなり最初に食べてしまってはあとが淋しくなるし、最後の最後までとっておくというのもいじましい。やはり中間付近だろう。ただしきっちり中間地点で食べるというのも、チャーシューを意識しすぎなので、中間付近で、「あ、そうそう、チャーシューもいたんだ」みたいな風を装いつつ、さりげなく口に運ぶのでなければならない。凡人にはこれがなかなか難しいのだ。どうしても「さあ、チャーシューを食べるぞ」と鼻息が荒くなってしまう。「肉欲」を隠しきれなくなってしまう。思わず目を閉じて味わってしまったりする。そしてふと我に返って赤面することになる。恥の多い生涯を送って来ました。しかし、チャーシューが4枚も入っているとなると話は別である。ここのチャーシューは一口では食べられない。二口は絶対に必要だ。つまり4枚×2口=8口。一杯のチャーシューメンを食べるというプロセスで8回もチャーシューを口に出来るのだ。もうタイミングのことなど考える必要はない。心の赴くままに食べればよい。いつも君がそばにいてくれる。そういう安心感がある。至福のひとときといってもよい。630円の幸福。安上がりの幸福だ。食後の珈琲は「フェニックス」で。
夜、息子の成人を祝って、お好み焼きパーティー。お好み焼き(広島風)を作るのは私の仕事とわが家では昔から決まっている。そういう仕事が何かほかにあるだろうかと、いま、考えてみたが、思いつかなかった。
昼食は「メルシー」のチャーシューメン。普通のラーメンには1枚しか入っていないチャーシューが4枚入っている。これは気持ちにゆとりをあたえてくれる。チャーシュー1枚のラーメンでは、どのタイミングでチャーシューを食べるかが悩ましい問題になる。チャーシューを口にする瞬間が、一杯のラーメンを食べるというプロセスのハイライトシーンともいえるものなのだ。それをどこにもってくるか。いきなり最初に食べてしまってはあとが淋しくなるし、最後の最後までとっておくというのもいじましい。やはり中間付近だろう。ただしきっちり中間地点で食べるというのも、チャーシューを意識しすぎなので、中間付近で、「あ、そうそう、チャーシューもいたんだ」みたいな風を装いつつ、さりげなく口に運ぶのでなければならない。凡人にはこれがなかなか難しいのだ。どうしても「さあ、チャーシューを食べるぞ」と鼻息が荒くなってしまう。「肉欲」を隠しきれなくなってしまう。思わず目を閉じて味わってしまったりする。そしてふと我に返って赤面することになる。恥の多い生涯を送って来ました。しかし、チャーシューが4枚も入っているとなると話は別である。ここのチャーシューは一口では食べられない。二口は絶対に必要だ。つまり4枚×2口=8口。一杯のチャーシューメンを食べるというプロセスで8回もチャーシューを口に出来るのだ。もうタイミングのことなど考える必要はない。心の赴くままに食べればよい。いつも君がそばにいてくれる。そういう安心感がある。至福のひとときといってもよい。630円の幸福。安上がりの幸福だ。食後の珈琲は「フェニックス」で。
夜、息子の成人を祝って、お好み焼きパーティー。お好み焼き(広島風)を作るのは私の仕事とわが家では昔から決まっている。そういう仕事が何かほかにあるだろうかと、いま、考えてみたが、思いつかなかった。