快晴の一日。午後、川端龍子記念館へ行く。一度行ってみたいと思っていたのだが、蒲田と大森の中間、中央4丁目という場所にあって、自宅から歩いていくには遠く、電車やバスを乗り継いでいくのは少々面倒で、なかなかその機会がなかったのだが、今日は穏やかな冬の青空の下を自転車を漕いで行く。だいたいの場所を頭に入れて、近くまでいったら、歩いている人に道を尋ねて、それほど苦労することなくたどり着いた。いまは大田区立になっているが、元々は日本画家の川端龍子が自宅の前の土地に自費で建てた個人美術館で、大変に立派な建物なのに驚いた。入館料は200円。たまたま今日は月に一度のギャラリートーク(ボランティアの学芸員による展示作品の解説)のある日で、けっこう人が入っていた。天井の高い、ゆったりした空間に17作品、その多くは並みの美術館なら展示するのが困難な大作である。筆遣いは男性的というか、動的というか、いわゆる日本画の繊細巧緻なイメージとは大きくかけ離れている。画壇の本流とは距離をおいた在野の巨匠という感じである。ガラスケースの中に高等小学校の授業中に描いたスケッチ(正月の獅子舞などの伝統芸能を描いたもの)が展示されていたが、とても12、3歳の少年の描いたものとは思えなかった。もしこんな少年を授業中に発見したら教師はびっくり仰天して言葉を失うだろう。栴檀は双葉より芳しとはまさにこのことだと思った。同じガラスケースの中には、『少女の友』という雑誌の挿絵画家をしていた若い頃の作品も展示してあって、それは竹久夢路や中原淳一が描いたものだといわれれば信じてしまいそうな優しいタッチの作品で、これを描いた画家と川端龍子が同一人物だとは誰も思わないであろう。生活のために描いた絵なのか、それとも彼の中にはこうした少女的なもの(への憧憬)が潜在しているのか、俄かには判断がつきかねる。学芸員の人に案内されて隣接する自宅とアトリエも見物する。777坪の大きな敷地だ(記念館の方は650坪)。外光をたっぷり取り込めるように設計されたアトリエには魅了された。ついいましがた観た大作たちが製作された現場として相応しいものだと思った。
龍をデザインした敷石(龍子自身がデザインした)
自宅玄関前の梅の古木
蝋梅
母屋
アトリエ
川端龍子記念館をあとにして、起伏のある道を自転車を押しながら池上に出て、駅前の浅野屋で葛餅を食べて帰ったきた。
夕食は妻と息子と三人で「鈴文」に出かけた。近所の薬局の女主人も息子さん(私の中学の2年先輩)と一緒に来ていた。帰宅してから、店のカウンターの下の棚にマフラーを忘れてきたことに気づき、取りに戻る。そのまま「シャノアール」で食後の珈琲を飲みながら、持参した浜矩子『グローバル恐慌』(岩波新書)を読む。「下手な小説よりずっと面白い」という言い方があるが、本書は「下手な小説」どころか「普通の小説」よりずっと面白い。
龍をデザインした敷石(龍子自身がデザインした)
自宅玄関前の梅の古木
蝋梅
母屋
アトリエ
川端龍子記念館をあとにして、起伏のある道を自転車を押しながら池上に出て、駅前の浅野屋で葛餅を食べて帰ったきた。
夕食は妻と息子と三人で「鈴文」に出かけた。近所の薬局の女主人も息子さん(私の中学の2年先輩)と一緒に来ていた。帰宅してから、店のカウンターの下の棚にマフラーを忘れてきたことに気づき、取りに戻る。そのまま「シャノアール」で食後の珈琲を飲みながら、持参した浜矩子『グローバル恐慌』(岩波新書)を読む。「下手な小説よりずっと面白い」という言い方があるが、本書は「下手な小説」どころか「普通の小説」よりずっと面白い。